アクセルの意気地記 第9話 おもちゃと絵本、そして断乳
子どもができるとお金がかかるから、とよく言われているが、服とかおもちゃは周囲から大量に譲ってもらったし、赤ちゃんのうちは食費も大してかからないし、ウチは世帯所得が低いので保育料も大したことなくて、今のところは首を絞められるほどではない。
こと子が1歳の誕生日を迎えた時にこと子に電子トイピアノを買ってあげようということになったが、これとて凄い高いものではないけど我が家にしては珍しく新品で1万円以上のお買い物。私がPCの脇に置いていたMIDIキーボードはPCに繋がないと音が出ないのだが、その鍵盤をこと子がよく弄るのでピーが折角なら音が出る鍵盤を触らせたい、と言い出し、それでトイピアノを買おうとなったのだ。
初めそのリクエストを聞いた時は、邪魔になるし、とか、まだ理解できないだろうし、とか難癖をつけて渋ってみせたが、自分でもう一度よく考えてみたら、私も鍵盤楽器を触りたいかも、と思うようになりすぐ心変わり。しかも誕生日プレゼントということでオヤジが買ってくれるということなので反旗はそっと折り畳んだ。
購入したトイピアノが届いたその日に1番それを弄ったのは難癖をつけようとしていた私だった。これ、弾き語りの飛び道具として使えるかも、などとあらぬ妄想まで広げて楽しんでいた。
その赤いKORGのトイピアノは一流メーカーの製品だけあって音は良好。音色も20種以上選べて、さらに内蔵された曲サンプルも20種以上あり、まだメロディを弾けずに鍵盤を乱暴に叩くだけしかできなかったこと子でも楽しめる仕様だった。初めは乱暴に叩くだけだったこと子もその内にポロリン、ポロリンと単音で音を出すようになったが、メロディの概念がないのですぐに飽きて別のおもちゃへと移る。
電子ピアノ導入と同時期に、今度はパッドが数個配置されている、雲みたいな形のおもちゃサンプラーもいただいた。パッドに何種類かの効果音やパーカッション、動物の鳴き声なんかがインストールされていて、モードを切り替えるとある程度のバラエティーで音遊びができる。これにもサンプル音源が入っていて、ただその曲を流すだけでも子どもは楽しめる。丁度、打ち込みやDTMに私が興味を持ち始めていたところだったので、私も楽しい。
パッドを叩くより、むしろサンプル曲を流すボタンを押し、曲に合わせて興奮して身体をくねらせることの方が楽しいのか、こと子はそのおもちゃを私のところに持ってきて電源を入れろ、という意味で「コレー、コレー」という。私が電源を入れると、「ゆかいな牧場」や「きらきらぼし」など皆んなの馴染み深い曲が数小節流れては止む。止んだらまた押す。するとまた次の曲が流れる。KORGのトイピアノと違って音が安っぽいのでピーはすぐに飽きて、私がおもちゃサンプラーに入っている曲を口ずさむと頭がおかしくなるからやめて、という。私はこと子と一緒にこのサンプラーの前でしばしば身体をくねらせている。
斯様に一段階前進した仕様のおもちゃを好むようになったこと子に、最近もう1つ大きな遊びが増えた。絵本である。絵本に興味を寄せるようになる時期というのはその赤ちゃんに依るのだろうか、前まで見向きもしなかった絵本に急にこだわるようになった。
家に早い段階から準備されていた絵本が数冊あり、それらを読んで聞かせるとあからさまにテンションをあげて笑ったり、叫んだり、仕草を真似たり、言葉を真似たりするようになった。活字好きの私としては非常に嬉しい変化だったし、ピーさんの風呂中の子守にも最適だ。
数冊あった中でも絵のタッチや色合い、または言葉のテンポなどで好き嫌いがはっきりして、福音館書店の「がたんごとんがたんごとん」や「ぺんぎんたいそう」は特にお気に入りで、しばらくの間は定番だった。
私は、遂に我が子に絵本の読み聞かせをする日が来たのか、とそれだけでしばらくは染み染みとしてしまった。そして自分でも不思議なほど、すっと読み聞かせのお兄さんになってしまい、感情豊かにことばを読み上げているのだ。心配していたが恥ずかしさというものがこの段階ではなくなっているのだ。何ということか。
ゆっくりページの中の言葉を読み終わろうとすると、こと子が乱暴にページをめくろうとして、下手すると一気に最後のページに飛んでしまったりするので、私はこと子の指の皮脂がちゃんと1ページだけをめくれるように、以下のページを抑えてやる。こと子のページのめくり方は容赦がないので「がたんごとんがたんごとん」は折れ曲がったり、ゴハンのついた手で触ったりでボロボロになってしまった。最近は子供が大きくなった友人からのおさがりで「だるまさん」シリーズや「ももんちゃん」シリーズが書庫に追加されたのだが、こと子はそれらをすぐに気に入って「がたんごとんがたんごとん」や「ぺんぎんたいそう」への執着が剥がれてしまったのか、ないがしろにされていて悲しい。
この絵本ブームのおかげで私もピーも子守のしのぎが少し楽になったが、困るのは、早く寝て1番早く目を覚ますこと子が絵本を掴んで、寝ている我々の顔の辺りに近づいてきて、「コレー」と言って絵本を顔に叩きつけることだ。別に危害を加えようとかいうことでもなく、腕の力加減のコントロールが未発達なのと、言葉が喋れないからそうなるので、怒るわけにもいかない。いてっ、とビックリして眼をこじ開けるとこと子が満面の笑みでこちらを見てるではないか。
ここ1ヶ月でこと子は遂に歩き始めて、ヨチヨチ歩くか歩かないかの時から1週間くらいで目覚ましく成長し、ほとんどハイハイはなくなってしまった。歩き出すと歩くのが楽しくて仕方がないらしく、抱っこしてても嫌がって下ろせ、と身体をバタバタさせる。靴を履かせて下ろすとあっちへフラフラこっちへフラフラ。
初めのうち、私が仕事から帰って晩飯を済ませると私の手を握ってきて、何かと思えば、その手を引っ張って玄関へと誘うのである。歩きたいから外へ連れてけ、という訳である。私は可愛いし嬉しいし楽しいので、いいよ、行くかと言って数日付き合っていたのだが、寝る時間が遅くなるという理由で母ちゃんからクレームが出たので夜のお散歩はそれきりになった。
こと子と初めて手を繋いで歩いた時のあの感覚は忘れ難い。恋人のようでも恋人じゃないし、他人じゃないし、まあ家族なのであるが、この感じたことのない尊さは一体何だろう、と胸が熱くなった。しかしこと子の身長に合わせるので私は屈まねばならず、すぐに腰が痛くなった。
夜のお散歩が流れてからすぐ断乳となった。こと子に歯が生えてきて、ピーさんが授乳で悲鳴をあげるようになったからだ。しかし、これは容易ではなく、それまでずーっと「おっぱい飲んで寝んねして」状態で眠りについていたからおっぱいなしで寝かせるのは骨が折れた。それにこと子にとって安堵の柱だった行為を無理矢理奪う訳で、何でおっぱいくれないんだろう、と気づいたこと子の泣き叫ぶ様は正直胸が苦しくなった。
そして、断乳の大変なポイントは、夜中こと子が眼を覚ましたら私が抱っこしてあやさないといけないことだった。母ちゃんが抱っこしてもすぐにおっぱいにアクセスできてしまうから、という道理でそうなんだそうだ。
いつもは夜中数回起きて泣く度に、ピーさんがすかさず授乳してこと子を黙らせていたので、私は初めのうちこそ泣き声に気づいてこと子を母の乳まで運ぶ仕事をしていたが、泣き声に慣れたのか、ピーさんの授乳が神業のように早いからか、数日でこと子が泣いても起きなくなってしまっていた。
しかし、断乳期は父ちゃんよろしく、とピーに頼まれて、なるほど、よし、分かりました。人間、覚悟が決まればどうにかなるもんで、断乳初めの夜中、こと子が泣いて起きると私もすぐに気づいて起きた。しばらく抱いてスクワットして頑張ると、そこまでこじれずにまた寝てくれた。大体10分かそれくらいだったか。それが2、3回繰り広げられるわけだが、これでまた一歩前進できるならなんてことない。
不思議なことだが、断乳して数日でこと子のおっぱいへの執着はなくなった。周囲から聞いた経験則通りだ。断乳成功である。そしてまた不思議なことだが、私がこと子の声に気づいて起きるようになってからは、ピーさんはこと子が泣いても起きなくなってしまった。が、そんなものらしい。
こと子が1歳の誕生日を迎えた時にこと子に電子トイピアノを買ってあげようということになったが、これとて凄い高いものではないけど我が家にしては珍しく新品で1万円以上のお買い物。私がPCの脇に置いていたMIDIキーボードはPCに繋がないと音が出ないのだが、その鍵盤をこと子がよく弄るのでピーが折角なら音が出る鍵盤を触らせたい、と言い出し、それでトイピアノを買おうとなったのだ。
初めそのリクエストを聞いた時は、邪魔になるし、とか、まだ理解できないだろうし、とか難癖をつけて渋ってみせたが、自分でもう一度よく考えてみたら、私も鍵盤楽器を触りたいかも、と思うようになりすぐ心変わり。しかも誕生日プレゼントということでオヤジが買ってくれるということなので反旗はそっと折り畳んだ。
購入したトイピアノが届いたその日に1番それを弄ったのは難癖をつけようとしていた私だった。これ、弾き語りの飛び道具として使えるかも、などとあらぬ妄想まで広げて楽しんでいた。
その赤いKORGのトイピアノは一流メーカーの製品だけあって音は良好。音色も20種以上選べて、さらに内蔵された曲サンプルも20種以上あり、まだメロディを弾けずに鍵盤を乱暴に叩くだけしかできなかったこと子でも楽しめる仕様だった。初めは乱暴に叩くだけだったこと子もその内にポロリン、ポロリンと単音で音を出すようになったが、メロディの概念がないのですぐに飽きて別のおもちゃへと移る。
電子ピアノ導入と同時期に、今度はパッドが数個配置されている、雲みたいな形のおもちゃサンプラーもいただいた。パッドに何種類かの効果音やパーカッション、動物の鳴き声なんかがインストールされていて、モードを切り替えるとある程度のバラエティーで音遊びができる。これにもサンプル音源が入っていて、ただその曲を流すだけでも子どもは楽しめる。丁度、打ち込みやDTMに私が興味を持ち始めていたところだったので、私も楽しい。
パッドを叩くより、むしろサンプル曲を流すボタンを押し、曲に合わせて興奮して身体をくねらせることの方が楽しいのか、こと子はそのおもちゃを私のところに持ってきて電源を入れろ、という意味で「コレー、コレー」という。私が電源を入れると、「ゆかいな牧場」や「きらきらぼし」など皆んなの馴染み深い曲が数小節流れては止む。止んだらまた押す。するとまた次の曲が流れる。KORGのトイピアノと違って音が安っぽいのでピーはすぐに飽きて、私がおもちゃサンプラーに入っている曲を口ずさむと頭がおかしくなるからやめて、という。私はこと子と一緒にこのサンプラーの前でしばしば身体をくねらせている。
斯様に一段階前進した仕様のおもちゃを好むようになったこと子に、最近もう1つ大きな遊びが増えた。絵本である。絵本に興味を寄せるようになる時期というのはその赤ちゃんに依るのだろうか、前まで見向きもしなかった絵本に急にこだわるようになった。
家に早い段階から準備されていた絵本が数冊あり、それらを読んで聞かせるとあからさまにテンションをあげて笑ったり、叫んだり、仕草を真似たり、言葉を真似たりするようになった。活字好きの私としては非常に嬉しい変化だったし、ピーさんの風呂中の子守にも最適だ。
数冊あった中でも絵のタッチや色合い、または言葉のテンポなどで好き嫌いがはっきりして、福音館書店の「がたんごとんがたんごとん」や「ぺんぎんたいそう」は特にお気に入りで、しばらくの間は定番だった。
私は、遂に我が子に絵本の読み聞かせをする日が来たのか、とそれだけでしばらくは染み染みとしてしまった。そして自分でも不思議なほど、すっと読み聞かせのお兄さんになってしまい、感情豊かにことばを読み上げているのだ。心配していたが恥ずかしさというものがこの段階ではなくなっているのだ。何ということか。
ゆっくりページの中の言葉を読み終わろうとすると、こと子が乱暴にページをめくろうとして、下手すると一気に最後のページに飛んでしまったりするので、私はこと子の指の皮脂がちゃんと1ページだけをめくれるように、以下のページを抑えてやる。こと子のページのめくり方は容赦がないので「がたんごとんがたんごとん」は折れ曲がったり、ゴハンのついた手で触ったりでボロボロになってしまった。最近は子供が大きくなった友人からのおさがりで「だるまさん」シリーズや「ももんちゃん」シリーズが書庫に追加されたのだが、こと子はそれらをすぐに気に入って「がたんごとんがたんごとん」や「ぺんぎんたいそう」への執着が剥がれてしまったのか、ないがしろにされていて悲しい。
この絵本ブームのおかげで私もピーも子守のしのぎが少し楽になったが、困るのは、早く寝て1番早く目を覚ますこと子が絵本を掴んで、寝ている我々の顔の辺りに近づいてきて、「コレー」と言って絵本を顔に叩きつけることだ。別に危害を加えようとかいうことでもなく、腕の力加減のコントロールが未発達なのと、言葉が喋れないからそうなるので、怒るわけにもいかない。いてっ、とビックリして眼をこじ開けるとこと子が満面の笑みでこちらを見てるではないか。
ここ1ヶ月でこと子は遂に歩き始めて、ヨチヨチ歩くか歩かないかの時から1週間くらいで目覚ましく成長し、ほとんどハイハイはなくなってしまった。歩き出すと歩くのが楽しくて仕方がないらしく、抱っこしてても嫌がって下ろせ、と身体をバタバタさせる。靴を履かせて下ろすとあっちへフラフラこっちへフラフラ。
初めのうち、私が仕事から帰って晩飯を済ませると私の手を握ってきて、何かと思えば、その手を引っ張って玄関へと誘うのである。歩きたいから外へ連れてけ、という訳である。私は可愛いし嬉しいし楽しいので、いいよ、行くかと言って数日付き合っていたのだが、寝る時間が遅くなるという理由で母ちゃんからクレームが出たので夜のお散歩はそれきりになった。
こと子と初めて手を繋いで歩いた時のあの感覚は忘れ難い。恋人のようでも恋人じゃないし、他人じゃないし、まあ家族なのであるが、この感じたことのない尊さは一体何だろう、と胸が熱くなった。しかしこと子の身長に合わせるので私は屈まねばならず、すぐに腰が痛くなった。
夜のお散歩が流れてからすぐ断乳となった。こと子に歯が生えてきて、ピーさんが授乳で悲鳴をあげるようになったからだ。しかし、これは容易ではなく、それまでずーっと「おっぱい飲んで寝んねして」状態で眠りについていたからおっぱいなしで寝かせるのは骨が折れた。それにこと子にとって安堵の柱だった行為を無理矢理奪う訳で、何でおっぱいくれないんだろう、と気づいたこと子の泣き叫ぶ様は正直胸が苦しくなった。
そして、断乳の大変なポイントは、夜中こと子が眼を覚ましたら私が抱っこしてあやさないといけないことだった。母ちゃんが抱っこしてもすぐにおっぱいにアクセスできてしまうから、という道理でそうなんだそうだ。
いつもは夜中数回起きて泣く度に、ピーさんがすかさず授乳してこと子を黙らせていたので、私は初めのうちこそ泣き声に気づいてこと子を母の乳まで運ぶ仕事をしていたが、泣き声に慣れたのか、ピーさんの授乳が神業のように早いからか、数日でこと子が泣いても起きなくなってしまっていた。
しかし、断乳期は父ちゃんよろしく、とピーに頼まれて、なるほど、よし、分かりました。人間、覚悟が決まればどうにかなるもんで、断乳初めの夜中、こと子が泣いて起きると私もすぐに気づいて起きた。しばらく抱いてスクワットして頑張ると、そこまでこじれずにまた寝てくれた。大体10分かそれくらいだったか。それが2、3回繰り広げられるわけだが、これでまた一歩前進できるならなんてことない。
不思議なことだが、断乳して数日でこと子のおっぱいへの執着はなくなった。周囲から聞いた経験則通りだ。断乳成功である。そしてまた不思議なことだが、私がこと子の声に気づいて起きるようになってからは、ピーさんはこと子が泣いても起きなくなってしまった。が、そんなものらしい。
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