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アクセルの意気地記 第12話 ベトナムへ行く

赤ちゃんだったと思ってたらもう子供である。0歳児の子と比べると体格の差が歴然。大きくなった。訳分からず泣きじゃくることも随分減ったし、会話までにはならなくとも、こっちが言ったことを真似したり、こっちが言ったことの意図を理解して行動してくれることも増えてきた。

こっちにおいで、とか、椅子持ってきて、とか、手って繋いで、とか、そういうことが、まだ気まぐれではあるが少しずつ伝わるようになってきている。そんな風にリアクションが出てくると、子育てもより一層楽しくなってくる。成長というものをこんな風にありありと感知できるのは小さな子供を持つ親の特権なのかもしれない。同時に、この時期のこの表情や振る舞いは今だけなのだ、と思うと毎度胸を締め付けられるような…。おい、しっかりしろ。

とはいえ自我の目覚めというほどにはまだ遠いか。善悪の判断など持ち得ようはずがない。だから飲み物こぼしたり、皿を割ったりして怒られても、なんで怒られてるのかも分からないだろう。怒ると大体唖然とした顔でこちらを見るか、怒られてるとも知らず、へへへ、と笑ったりする。

善悪といえば、子育て中に不思議に思ったことがあるのだが、どうだろうか。もうだいぶ前のことだが、こと子が物を掴んだり離したり渡したりということが自由にできるようになったころ、同時に「どうぞ」という、相手に何かを差し上げる行為を覚えた。

私がこと子に、たとえば彼女がボール持っていたとして、そのボールちょうだい、と手を差し出したとする。するとこと子は、どうぞ、と言って素直に渡してくれることもあるのだが、結構高い確率でそのボールを渡そうとしつつ、ニヤリと笑ったかと思うとその手を後ろに引っ込めるのである。私がさらに、ちょうだいよぉ、とまた手を伸ばすと、こと子は更に手を後ろに隠し、またニヤリと笑うのである。

何も珍しい光景ではない。私の数少ないこれまでの幼児との触れ合いの中でも、ほとんど同様の、幼児特有のこのような意地悪をされたことが何度もある。それくらい普遍的なことなのだろう。

しかし、いざ我が子のそのような行動を前に、私は人間の本性というものを見るような気がしたのである。つまり人間というのは教えられたりしなくても、もともと悪の素質があるのではないか、ということである。悪とは言わないまでも意地悪なこころ。穢れなきおさな子の御心にも悪魔が隠れて住んでいる。

もちろん、大概において人間は性善説に基づいていると思うことも揺るぎなく、その証しにこと子は「どうぞ」といって何かを渡してくれたり、食べ物を私の口に運んできてくれたりもする。その時のこと子の顔は、慈愛の気と得意の気が混ざったような何ともいえぬ表情になる。

昨年の冬、こと子が8ヶ月の時に台湾に家族旅行に行った。幼児連れの海外旅行は困難、という世間の思い込みを覆すべく敢行してみたのだが、これがなかなか充実の旅路となったので、丁度1年後の去る2月頭から中旬にかけて、今回はベトナムへとひとっ飛び(正確にはLCC乗り継ぎでふたっ飛び)。

昨年の台湾は充実したとはいえ、1歳に満たない子を連れての旅はそりゃ大変だった。それに比べれば今回はこと子がおっぱいを卒業し、しかも歩けるようになったのだから気持ち的にも体力的にも少し余裕があった。

自ら動けるようになったこと子は、我々がこと子を乗せて歩くために持参したバギーを見ると、毎度興奮気味に「のる〜」と言いながら押したがった。こと子はバギーに乗るよりも押して歩く方に魅力を感じるらしく、我々が折り畳みのバギーを拡げてこと子を乗せようとすると、海老反りになって泣いて嫌がる。だから急いで移動しなきゃいけない時以外はあまり使わなかったのだが、ないとないで大変なのだ。

こと子は自分より多少大きくても同じ子供だと判断すると、初めは視線で追いかけて見つめ、そのあとジワジワと近づいていく。積極的なのだ。調子がいいときは「あーそーぼ」と言いながら近づいていく。今回の旅のように相手が日本人の子どもじゃなくても関係なく「あーそーぼ」とアプローチしていくので私はニヤニヤしてみていた。

空港では異国のお友達と、喋らずともフラフラ交流したり、ベトナムに行けば現地の子ども達にフラフラと近づいていく。きっかけが掴めず相手側に気にかけてもらえない場合もしばしばだが、それでもこと子は一定の距離まで近づいて観察する。じっと見ている。子ども以外でも犬や猫やニワトリを見つけると一定の距離まで近づいて止まり、観察する。ちなみにベトナムではニワトリは売り物として街中でよくみかけるし、郊外にいけば昔の日本のように飼っている家が多い。

一定の距離を保つのは本人の臆病さからのようだが、そのように距離を保って観察する時、こと子はうんこ座りになる。これがまたかわいい。大人はうんこ座りが簡単に出来ない人、要するにバランス取れずに後ろにひっくり返ってしまう人もいるが、こと子はすっと腰を下に下ろすとうんこ座りになる。私のように脚を開かないでも、膝を閉じて無理なくすっと座る。そうやって籠に閉じ込められたニワトリを1.5mほどの距離感でじっと観察していた。

ベトナムではこんにちは、というのに「シンチャオ」という。ピーがそれをこと子に覚えさせていて、何故かついでに「シェシェ」という中国語をセットにして教え込んでいた。何日目かにはこと子はそれらを容易に復唱できるようになっていた。

フエというベトナムの古都に行った時はエアビーアンドビーで抑えた宿が、中心地からはだいぶ離れていて最初は心細かったのだが、森の中の洒落た庭付きコテージの様相で、何だか凄かった。どこまでがホストの敷地なのか判然としないほど広い庭で我々はかなりリラックスした。

庭内には放し飼いの子犬と猫が走り回っていて、こと子は大興奮。観光にはやや不便な立地だったものの、こと子の満面の笑みを見て私とピーはハイタッチ。この少し変わった宿はゲイの男性が管理しており、LGBT歓迎を標榜し、その主人の恋人も含め個性溢れる、国際色豊かな旅人が集まっていた。

そこで交わされる言語は英語だったので、私の貧相な英語がある程度役立ち、連れ立って晩ご飯を食べに行ったり、庭でバーベキューをしたり、充実した時間を過ごしたのだが、この後、こと子の外国語レパートリーが増えていた。シンチャオ、シェシェ、と発した後に「オーバイガッ」と言うのである。オーマイガッのことであるとすぐに分かったが、これは私が発したことはないので、大人の英会話を聞いてたこと子の脳に強烈な印象を残したものと思われる。確かに英語の口語の中でも最もポピュラーな感嘆表現である。この程度の日本の幼児にも発音しやすいフロウ、いや発音したくなるフロウなのだな、と私は面白く思った。しかもこと子は「オーバイ」で頭を上げ、「ガッ」のくだりで首を縦に振ってこうべを垂れるのだ。幼いながらもオーマイガッのニュアンスを捉えている…。

今回の旅もメインの楽しみはベトナムご飯を満喫する、ということだったが、それに次いで楽しかったのはレンタルバイクであった。ベトナムはバイク社会で、ほとんどの市民は車ではなくバイクで動き回る。日本のような厳しい交通ルールはないのでバイクをレンタルするのに免許はいらないし、2人乗りもオーケー。というか現地の家族は親子4人で乗っている姿も見かける。そんな感じなのでバイクを借りて3人乗りに挑戦したらこれが思いのほか楽しかった。

初めはこと子をおんぶ紐で背負って私が乗った後ろにピーが座る、というスタイルだったが、地元の幼児連れ3人乗りを観察してみると、幼児を大人の間のシートの隙間にただ跨らせて乗っけているだけだ。で、とりあえずそれを真似してみたら意外とハマった。我々はホイアンでバイクを借りて味をしめ、フエでもハノイでもバイクを借りた。バイクといってもオートマのスクーター。私は原付きの免許しか持ってないのでね。レンタル代は1日500円くらい。ゴミゴミとバイクが行き交う街中から郊外の畑中までこと子とピーを乗せてフラフラドライブしたことは忘れ得ぬ思い出になった。

オムツ替える場所がなくて土産屋の店裏の階段で無理矢理替えさせてもらったり、食べ歩きに調子づいて夫婦でお腹壊したらこと子も同時に下痢したり、ゲストハウスのホットシャワーが弱くてこと子に号泣されながら身体洗ったり、子連れのシンドさがなかった訳ではないが、ことあるごとに愛すべきベトナム人の素朴で優しい人情に触れて我々は大満足だった。

帰りのトランジットで寄った中国の広州の空港内で、美しいインド人女性がこちらに近づいてきて目を丸くさせて話しかけてきた。まあ、なんて可愛い子なの、とこと子を絶賛し、写真を撮らせてくれ、という。親バカ鼻を伸ばしどうぞどうぞ。最後に握手をするとその女性の手には見事なヘナタトゥーが描かれていた。
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