アクセルの意気地記 第13話 さよならほのぼの保育室
こと子が生まれて2回目の春がやってきた。例年よりいくらも早い桜の開花が印象的であった。開花期に丁度連休がぶつかったので今年は調子に乗って3回も花見に行った。
さて、以前書いた通りこと子が通っていたはのぼの保育室は3月で閉鎖となったのだが、園長F先生の提案で、閉鎖前の平日の夕方、父母に声をかけてささやかなお別れ会が行われることになった。
開催にあたって私はF先生から相談を受けていた。私がシフト制の仕事で平日にも休めるので、その平日休みに合わせてお別れ会を開き、私にギターで何か弾いてもらえませんか、ということであった。私がギターを弾いて歌う人間であることは、入園の時か何かに伝えたことがあった。それを覚えていたのである。
私は咄嗟に、アレ、これは面倒くさいことになってしまったな、と思ったが、それでもギターを弾いて歌うことというのは誰でもできることではないので、ここは一つお役に立てるのであれば、ということで引き受けることにしたのだ。園長先生とLINEを交換し、開催日の選考、打合せ日時を決めた。
打合せはまた、私が休みの日の夕方に私が保育室まで行った。いつもこと子や他の子が遊び、はしゃぎ、ご飯を食べ、時にはお昼寝をする園長先生宅のリビングルームに通された。普段めったに食べる機会の無いようなオールドスタイルな欧風クッキーが紅茶と共に出てきた。
F先生が提案してくれる曲の中で、私が知っている曲を絞って何曲か候補が決まっていった。子供達と一緒に遊戯しながら歌う童謡数曲と、大人も一緒に歌える「翼を下さい」や「今日の日はさようなら」などである。全部ではないが、F先生もピアノを弾くので合奏である。私はdimとかsus4とか余計な記号がつくコードは弾けないが、そういう難しいコードのない曲ばかりだったのでどうということはなかったが、「翼を下さい」や「今日の日はさようなら」の段階になると先生が勝手に上のパートを歌い出してハモるので妙な気分になってきた。
私はたまの「さよなら人類」にハマった時から、ハモりの副旋律を歌うのが好きだったし、何となく主旋律に対してハモりをつけることができるのであるが、急に女性の声でハモりが入ってくることに対して何の免疫もなかったのである。私はつられないように主旋律を、歯をくいしばるような気持ちで唄った。となりの和室では先生の旦那さんがテレビをつけているのか、何となく居るのだ。私と先生がハモっているのを聞いてどんな風な具合だろう、と余計な心配が出てきて脇に汗をかいた。
さて、お別れ会の話が持ち上がった頃、こと子は同級生の名前をそれぞれ呼べるようになっていた。ミオちゃんとー、ルミちゃんとー、タッくんとー、カーくんとー…。ふとした時にみんなの名前を呼び始めるのはとても可愛らしかった。それに加えてAシェンシェーとー、Fシェンシェーとー、と、先生達の名前も呼ぶようになっていて、こと子は特にA先生によくなついていた。そしてA先生とミオちゃんの登場率が高く、こと子はとりわけその2人に好意を持っているのが伝わってきた。
ところが、園長F先生とA先生は共にベテランで、それぞれ育児に関して拘りがあるのだろう、意見が合わないことが多々あって折り合いがあまりよくないらしい噂を耳にした。そしてお別れ会の行われる前にA先生は現場を辞してしまい、お別れ会の話しは何も知らされていなかったことが分かり私とピーの胸は少しザワついた。A先生の優しい人柄をなんとなく感じていたのでお別れ会にA先生が居ないのは何となく不自然な感じがしたのだ。
とはいえ当日のお別れ会は予定通りに行われた。私もピーもA先生が不在であることに一抹の寂しさを感じつつも、まだまだ道理が分からぬ幼児達が、いつもと違ってママ達が隣にいる保育室の状況に、はしゃぎ回っているカオスな光景を楽しむしかなかった。平日の夕方なので父親が参加しているのは勿論ウチだけだった。
F先生が、今日は特別にこと子ちゃんのパパがギターを弾いてくれます、と紹介してくれて、私はギターでお遊戯の曲を数曲伴奏した。子ども達は伴奏のギターのことなど気に留めずにぎゃあぎゃあ騒いでる。それを嗜めるママ達もバタバタである。
お遊戯伴奏が一通り終わると、次はF先生の計らいで私がオリジナル曲を3曲弾き語りすることになっていた。子ども相手なので、普段のレパートリーにしている童謡の替え歌と、地元田無をレペゼンするサザエさんの替え歌を披露することにしていた。が、初めは大きな栗の木の下での替え歌で、子ども達もみんな知ってる唄だから一緒になって口を動かそうとしていたが、歌詞がいつもと違うのが分かると、すぐに飽きてまたはしゃぎ始める。するとママ達がバタバタし始めてまた空間がカオス化する。もはや私の歌を聞いてる雰囲気はどこからも感じられず厳しい現場となった。
弾き語りのライブは毎回、場の雰囲気にかなり左右されてしまう。そういうのをモノともせず堂々と演奏するのが私の理想であるが、これが簡単なことではない。弾き語りのイベントなら大体お客さんも弾き語りを聴く雰囲気になっているのでやりやすいが、居酒屋とかバーで演奏を頼まれる時は時の運という感じである。お客さんが酔っ払って後ろの方でガヤガヤしている時に私のしっぽりとした唄はほとんど潰されてしまう。そういう逆境ライブにもある程度慣れてきたところではあったが、まだヨチヨチの幼児達とそれをコントロールしなければならないママ達に向かっての弾き語りは暖簾に腕押ししているような気分に、ややもすると引っ張られそうであった。
私はその逆境に大量の汗をかいて演奏を終えた。それが終わるとお菓子タイムとなり、最後に「翼を下さい」と「今日の日はさようなら」を大人が合唱して小一時間のお別れ会が終わった。私とピーはこと子が同級の子たちとはしゃいでいる姿を見ることができてそれなりに楽しかったのだが、やはりそこにAシェンシェーがいなかったことへの寂しさがこびりついて離れなかった。
ほのぼの保育室は閉鎖となり、こと子が新しい保育園に行きだして間もない休日、私はこと子の面倒をピーから任されて、朝から夕方までつきっきりでこと子と一緒に過ごした。公園に行ったり、絵本を読んだり、おもちゃで遊んだり、ゴハンを食べさせたり…。久しぶりに長い時間2人きりになったが、前回、前々回より格段とこと子のコミュニケーション能力も忍耐力も上がっていて、随分楽に過ごせるようになったことに気づき、いいぞいいぞと思っていた。
夕方、その日2回目のお散歩に出かけた。こと子はいつも遊んでいる近所の公園には寄らず通り過ぎてしまい、私が何となくこと子の足どりを追いかける格好になった。おや、と思った。こと子が歩いて向かってる方角は閉鎖した保育室の方なのだ。そして曲がらなきゃ行けない曲がり角を、やはり迷いなく保育室の方に曲がるのだった。
私は嫌な予感がした。このままだと保育室の前まで行ってしまう。行ったところで入れる訳じゃないのだ…。不安に襲われながら保育室まで数十メートルのあたりでこと子が、Aシェンシェーとー、ミオちゃんとー、と言い始めた。やはりこと子は確信犯で保育室に向かってるのだ。
「Aシェンシェーとー、ミオちゃんとー、あそぶの…」
はっきりとそう言ったのを聞いて私の視界に水滴が湧いてボヤけてしまった。何とも言えない切ない気持ちになった。
保育室の前まで来てしまい、私は数十秒思案し、仕方なく保育室のインターホンを押した。ほのぼの保育室はF先生の自宅なので誰かいるかもしれないのである。F先生でも、旦那さんでも、とにかく出て来てくれたら、挨拶だけしようと思った。何もせずにこと子を連れて帰るのはこと子の未練を助長してしまうのではないかと思った。
インターホンを鳴らして少し待っていると通話口に旦那さんが出た。私は、長尾です、こと子がここまで歩いて来ちゃいまして、と素直に告げた。来意を聞いた旦那さんはすぐに出て来てくれて、こと子によく来てくれたね、と頭を撫でた後、園長先生は外出中でいないことを残念そうに漏らした。
私はポカンとした顔のこと子に、先生いないんだって、仕方ないね、と言って抱きかかえた。急な訪問を旦那さんに詫びて暇乞いをした。こと子は私に抱かれるまま、泣きじゃくりもせずポカンを続けていた。私はエモい気持ちに包まれながら家路についた。
さて、以前書いた通りこと子が通っていたはのぼの保育室は3月で閉鎖となったのだが、園長F先生の提案で、閉鎖前の平日の夕方、父母に声をかけてささやかなお別れ会が行われることになった。
開催にあたって私はF先生から相談を受けていた。私がシフト制の仕事で平日にも休めるので、その平日休みに合わせてお別れ会を開き、私にギターで何か弾いてもらえませんか、ということであった。私がギターを弾いて歌う人間であることは、入園の時か何かに伝えたことがあった。それを覚えていたのである。
私は咄嗟に、アレ、これは面倒くさいことになってしまったな、と思ったが、それでもギターを弾いて歌うことというのは誰でもできることではないので、ここは一つお役に立てるのであれば、ということで引き受けることにしたのだ。園長先生とLINEを交換し、開催日の選考、打合せ日時を決めた。
打合せはまた、私が休みの日の夕方に私が保育室まで行った。いつもこと子や他の子が遊び、はしゃぎ、ご飯を食べ、時にはお昼寝をする園長先生宅のリビングルームに通された。普段めったに食べる機会の無いようなオールドスタイルな欧風クッキーが紅茶と共に出てきた。
F先生が提案してくれる曲の中で、私が知っている曲を絞って何曲か候補が決まっていった。子供達と一緒に遊戯しながら歌う童謡数曲と、大人も一緒に歌える「翼を下さい」や「今日の日はさようなら」などである。全部ではないが、F先生もピアノを弾くので合奏である。私はdimとかsus4とか余計な記号がつくコードは弾けないが、そういう難しいコードのない曲ばかりだったのでどうということはなかったが、「翼を下さい」や「今日の日はさようなら」の段階になると先生が勝手に上のパートを歌い出してハモるので妙な気分になってきた。
私はたまの「さよなら人類」にハマった時から、ハモりの副旋律を歌うのが好きだったし、何となく主旋律に対してハモりをつけることができるのであるが、急に女性の声でハモりが入ってくることに対して何の免疫もなかったのである。私はつられないように主旋律を、歯をくいしばるような気持ちで唄った。となりの和室では先生の旦那さんがテレビをつけているのか、何となく居るのだ。私と先生がハモっているのを聞いてどんな風な具合だろう、と余計な心配が出てきて脇に汗をかいた。
さて、お別れ会の話が持ち上がった頃、こと子は同級生の名前をそれぞれ呼べるようになっていた。ミオちゃんとー、ルミちゃんとー、タッくんとー、カーくんとー…。ふとした時にみんなの名前を呼び始めるのはとても可愛らしかった。それに加えてAシェンシェーとー、Fシェンシェーとー、と、先生達の名前も呼ぶようになっていて、こと子は特にA先生によくなついていた。そしてA先生とミオちゃんの登場率が高く、こと子はとりわけその2人に好意を持っているのが伝わってきた。
ところが、園長F先生とA先生は共にベテランで、それぞれ育児に関して拘りがあるのだろう、意見が合わないことが多々あって折り合いがあまりよくないらしい噂を耳にした。そしてお別れ会の行われる前にA先生は現場を辞してしまい、お別れ会の話しは何も知らされていなかったことが分かり私とピーの胸は少しザワついた。A先生の優しい人柄をなんとなく感じていたのでお別れ会にA先生が居ないのは何となく不自然な感じがしたのだ。
とはいえ当日のお別れ会は予定通りに行われた。私もピーもA先生が不在であることに一抹の寂しさを感じつつも、まだまだ道理が分からぬ幼児達が、いつもと違ってママ達が隣にいる保育室の状況に、はしゃぎ回っているカオスな光景を楽しむしかなかった。平日の夕方なので父親が参加しているのは勿論ウチだけだった。
F先生が、今日は特別にこと子ちゃんのパパがギターを弾いてくれます、と紹介してくれて、私はギターでお遊戯の曲を数曲伴奏した。子ども達は伴奏のギターのことなど気に留めずにぎゃあぎゃあ騒いでる。それを嗜めるママ達もバタバタである。
お遊戯伴奏が一通り終わると、次はF先生の計らいで私がオリジナル曲を3曲弾き語りすることになっていた。子ども相手なので、普段のレパートリーにしている童謡の替え歌と、地元田無をレペゼンするサザエさんの替え歌を披露することにしていた。が、初めは大きな栗の木の下での替え歌で、子ども達もみんな知ってる唄だから一緒になって口を動かそうとしていたが、歌詞がいつもと違うのが分かると、すぐに飽きてまたはしゃぎ始める。するとママ達がバタバタし始めてまた空間がカオス化する。もはや私の歌を聞いてる雰囲気はどこからも感じられず厳しい現場となった。
弾き語りのライブは毎回、場の雰囲気にかなり左右されてしまう。そういうのをモノともせず堂々と演奏するのが私の理想であるが、これが簡単なことではない。弾き語りのイベントなら大体お客さんも弾き語りを聴く雰囲気になっているのでやりやすいが、居酒屋とかバーで演奏を頼まれる時は時の運という感じである。お客さんが酔っ払って後ろの方でガヤガヤしている時に私のしっぽりとした唄はほとんど潰されてしまう。そういう逆境ライブにもある程度慣れてきたところではあったが、まだヨチヨチの幼児達とそれをコントロールしなければならないママ達に向かっての弾き語りは暖簾に腕押ししているような気分に、ややもすると引っ張られそうであった。
私はその逆境に大量の汗をかいて演奏を終えた。それが終わるとお菓子タイムとなり、最後に「翼を下さい」と「今日の日はさようなら」を大人が合唱して小一時間のお別れ会が終わった。私とピーはこと子が同級の子たちとはしゃいでいる姿を見ることができてそれなりに楽しかったのだが、やはりそこにAシェンシェーがいなかったことへの寂しさがこびりついて離れなかった。
ほのぼの保育室は閉鎖となり、こと子が新しい保育園に行きだして間もない休日、私はこと子の面倒をピーから任されて、朝から夕方までつきっきりでこと子と一緒に過ごした。公園に行ったり、絵本を読んだり、おもちゃで遊んだり、ゴハンを食べさせたり…。久しぶりに長い時間2人きりになったが、前回、前々回より格段とこと子のコミュニケーション能力も忍耐力も上がっていて、随分楽に過ごせるようになったことに気づき、いいぞいいぞと思っていた。
夕方、その日2回目のお散歩に出かけた。こと子はいつも遊んでいる近所の公園には寄らず通り過ぎてしまい、私が何となくこと子の足どりを追いかける格好になった。おや、と思った。こと子が歩いて向かってる方角は閉鎖した保育室の方なのだ。そして曲がらなきゃ行けない曲がり角を、やはり迷いなく保育室の方に曲がるのだった。
私は嫌な予感がした。このままだと保育室の前まで行ってしまう。行ったところで入れる訳じゃないのだ…。不安に襲われながら保育室まで数十メートルのあたりでこと子が、Aシェンシェーとー、ミオちゃんとー、と言い始めた。やはりこと子は確信犯で保育室に向かってるのだ。
「Aシェンシェーとー、ミオちゃんとー、あそぶの…」
はっきりとそう言ったのを聞いて私の視界に水滴が湧いてボヤけてしまった。何とも言えない切ない気持ちになった。
保育室の前まで来てしまい、私は数十秒思案し、仕方なく保育室のインターホンを押した。ほのぼの保育室はF先生の自宅なので誰かいるかもしれないのである。F先生でも、旦那さんでも、とにかく出て来てくれたら、挨拶だけしようと思った。何もせずにこと子を連れて帰るのはこと子の未練を助長してしまうのではないかと思った。
インターホンを鳴らして少し待っていると通話口に旦那さんが出た。私は、長尾です、こと子がここまで歩いて来ちゃいまして、と素直に告げた。来意を聞いた旦那さんはすぐに出て来てくれて、こと子によく来てくれたね、と頭を撫でた後、園長先生は外出中でいないことを残念そうに漏らした。
私はポカンとした顔のこと子に、先生いないんだって、仕方ないね、と言って抱きかかえた。急な訪問を旦那さんに詫びて暇乞いをした。こと子は私に抱かれるまま、泣きじゃくりもせずポカンを続けていた。私はエモい気持ちに包まれながら家路についた。
スポンサーサイト