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バンドマンに憧れて 第26話 ヒップホップとアフリカ音楽

東京サバンナを出した頃、私は音楽的趣味趣向がどんどん変わっていく自分をどうすることもできなかった。というのは、それまでひたすら聴き続け、のめり込み、愛し続けていたロックやハードコアやパンクロックに飽き始めていたのである。

それは抗い難い感性の反応だったと思うが、自分がパンクだHCだ、と言いふらし形成されつつあった私のパンク仲間や先輩達に後ろめたさを感じるほどの急変だった。今思えばバカみたいな拘りだが、やはりハードコアパンクというのは信仰めいた宗教めいた側面を持っているのだ。自分はラスタファリアンだ、と表明するのと同じように自分はハードコアパンクスだと言い切ればその人のアティチュードや考え方をある程度簡単に表明できる武器でもあったのだ。

だから私はその後しばらくの間、自分はハードコア出身だ、ということを表明まではしなくても強く意識していたし、その部分はクラッチとも言葉にして確認しあったりしていた。逆に言えばそれくらい私の憧れていたハードコアパンクの人達は優しかったり、かっこよかったり、個性的で魅力的な人達が多かった。

しかし、バンドマンを目指す人生の大切な第1章が始まるという船出の時に、私はロックやパンクの持つ8ビートや4ビートや2ビートのいわゆる縦のノリにそこまで身体が反応しなくなり始めていたのだ。そのきっかけは先にも書いた通りレゲエへの興味関心であったであろうか。

レゲエのリズムは3拍目にバスを入れる独特な重みのあるリズムが多く、それらは縦ノリに馴染んだ私にとって初めは違和感の固まりだったのだが、名作映画「ロッカーズ」にハマったことやレゲエもある種の不良音楽であることを知ったことをきっかけに少しずつハマっていった。大好きだったthe clashやthe policeがレゲエを取り入れた曲を演奏していたことも、manu chaoの存在を知ったことも後押ししていたのだろう。

また、丁度レゲエにハマるのと同じ頃私はヒップホップにも少しずつ興味を寄せ始めていた。きっかけは大学時代からの友人で、音楽全般ほかレゲエにも詳しかったDである。彼は私の風呂なしの家に遊びに来るたびにいろんなヒップホップを聴かせてくれていた。私はそれまでスチャダラパーくらいしかヒップホップを知らず、レゲエを最初に聞いた時と同様に、ヒップホップにも苦手意識しかなかった。オネエチャンのお尻と水着と高級車ばかり出てくるようなアメリカのヒップホップPVを高校生の時に観て、何て悪趣味なんだろう、という感興しか湧かず、また、地元の友人がキングギドラとかブッダブランドとか日本のハードコアなヒップホップを聴かせてくれた時も変な巻き舌発音の日本語ラップに嫌悪感しか湧かず、馴染めず、そういう流れで大学生以降も一切注意を向けたことがなかった。

それが不思議なものだが、いろんなタイプのヒップホップをDから聴かせてもらって、少しずつビートとラップの押韻に面白みがあることなどを知り、どんどん抵抗感は薄れていくようだった。またレゲエの揺れるようなリズムに慣れたことは、ヒップホップのミドルテンポのリズムを咀嚼するのにかなり貢献していた。そして、Dが教えてくれた当時の現役で同世代の日本語ラップが、私が昔イメージしていた巻き舌ラップでなかったこともかなり衝撃だった。

Dは「東京サバンナ」で私が、荒涼とした東京社会でダラダラする、みたいなことをポエトリーっぽく呟くパートを聴いて、これは今の日本語ラップの連中とリンクするところがある、と言い出して、降神とMSCという当時かなりの衝撃とともに日本語ラップシーンを湧かせていたクルーの存在を教えてくれたのだ。そこには私がイメージしていた英語風巻き舌ラップは微塵もなく、カクカクした日本語の普通の発音による、ほぼ私と同世代の不良達によるラップが流れていた。

私は彼らのラップを聴いて本当に衝撃を受けた。何しろ私が好きだった当時の日本のパンク、ハードコアの世界では積極的に日本語で歌うバンドの方が少なかったし、こんな風にバブルの残り香から長い不景気の時代に突入しようとしていた東京の重苦しさを、また社会のどんよりした感じを的確に日本語で表現するような音楽を私は初めて耳にした気分だった。

またMSCはギャングスタラップを新宿スタイルで解釈していたので、内容もハッパのことなんかもいっぱい出てきて、私は嬉しくなって夢中になって聴いていた。聴いてる間はあたかも自分が新宿の不良になった気分で調子よくなったりしていた。ハードコアパンクに入れ込んだ気持ちに匹敵する興奮でもあった。

熱くなってしまったが、降神とMSCを知ったことでヒップホップ自体への関心も自然と高まり、ロックの縦ノリに飽きてきたことも尻を押して私はヒップホップを聴くようになった。まさか自分がレゲエを聴くようになると思わなかったのと同じくらい、まさか好きになるとは思わなかったヒップホップを聴いて楽しんでる自分を面白くも思った。繁華街のヒップホップ服屋の前を通り過ぎる時など、音が爆音で漏れてきたらこれみよがしに身体を揺らしたりしていきがっていた。

それでも、20代前半だった私は、レゲエもヒップホップも好きになってしまったけども、いやでも、もっと何か求めている音楽が他にあるんじゃないか、という若き探究心が収まらず、暇を見つけてはタワレコを巡っていろんなジャンルの試聴コーナーを渡り歩き、何でもかんでも聴いてみた時期があった。ソウル、ファンク、ジャズ、ブルース、クラシック、現代音楽、ワールド…。いつも大した収穫はなかったのだが、諦めずにウロウロしていた。

ある日、何回か来ているワールドミュージックのコーナーで、南アフリカのマハラティーニというおじさんのCDをみつけた。セピア色のジャケに小洒落た格好のおじさんがやや頼りなげに佇んでいる。ヘッドフォンをつけて再生を開始すると私の身体に電撃が走った。チャラチャラと忙しなくスケールを上り下りして絡み合う2本のギター、唸るベース、細やかに跳ねるドラミングに、マハラティーニの低く野太いダミ声が被さる。そこに絶妙な女性コーラスの華やかさが加わるのだが、私は初めてキャプテンビーフハートを聴いた時と同様の興奮を感じていた。

それ以降、私の音楽的関心は一気にアフリカ音楽へとシフトしていくことになるのであるが、私がここでアフリカ音楽に見出したのはアフリカ音楽が持つロック性だったのだ。ただ単純に趣味として気に入ったり、リスナーとしてハマったのではなく、この感じを自分のバンドに導入できないだろうか、という野心と、きっとこの魅力をロックバンドの中で活かせるだろう、という予感とが私をよりアフリカ音楽ファンにさせたのだ。

ラッキーなことにその当時アフリカ音楽への世間的評価は相当に低く、ディスクユニオンのワールドミュージックコーナーでアフリカの音源を探すと500円くらいで買えるものが腐るほどあった。私は少ないバイト代をアフリカ音楽の中古CD購入にあて、聞き飽きたロックのCDを売り、そうこうしているうちに私のCD棚からロック系のものはほとんどなくなり、アフリカ音楽のCDばかりが並ぶという妙な事態になってしまったのだ。一体私は何を目指してバンドマンを全うすればよいのだろうか? その命題は以降長くつづくことになる。

つづく
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