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バンドマンに憧れて 第27話 ステージ衣装とお囃子

デモCD-R「東京サバンナ」をリリースし、ロックや、パンクHCに飽き始め、レゲエ、ヒップホップ、アフリカ音楽にハマり始めた頃は赤い疑惑の黎明期である。オンボロのアクセル、クラッチ、ブレーキーが搭載された車が、長い長い長ーい道のりを走り始めたわけだ。ライブの時ステージで着ている衣装も、ステージに上がるまでのお囃子も、我々はこの頃から既に義務づけていた。

ライブ衣装を取り入れたのは、間抜けな芸名をつけたのと同様、どれだけ本気で「バカ」なことをやっているかをアピールしたかったためだ。私はパンクHCになる前から、そもそも人と同じことをしちゃダメだ、という思い込みが異常に強かった。だから当時流行っていたような、バンドマンはステージでも普段着で、という隣のあんちゃんスタイルは却下だった。だからと言ってスーツで気取ったり、何かジャンルのスタイルを彷彿とさせるような衣装も絶対嫌だった。

そこで捻り出した私のステージ衣装のルーツはやはり赤い疑惑結成の少し前に体験した東南アジア旅行だった。私は2度も通ったベトナムのシクロ(ベトナムの自転車タクシー)の運ちゃんが大好きだった。不真面目で客がいないと退屈そうにその辺の屋台で油を売り、旅行者が来ればカモにして運賃をふっかける。ところが当時の私のように大した目的もなく、日々街をブラブラしてる貧乏旅行者は、いい暇潰し相手だと思ったのか、やたら気さくに接してくれて、大概がみんな愛すべきオッサンばかりだった。

シクロのオッサン達が外国人をカモるのは生きるためである。私は何度か東南アジアに行くうちにそういうことがわかって、ボッタクられても気にしないことにした。とまあ、そんな風にして仲良くなったあるシクロの運ちゃんが履いてたズボンを、私が気に入ってしまい、「そのズボンかっこいいね」なんて言ったら、「かっこいいだろ、これ、ベトナム軍のズボンなんだ。お店じゃ手に入らないヤツだ。気に入ったなら10ドルで譲ってやるよ」と言い出した。

ベトナム軍?確かにアーミーらしいカーキ系統の緑の化繊で、ズボンの脇縫い線が赤で縁取られている感じは確かに軍隊っぽい…。しかし10ドルのズボンなんてのは当時のベトナムじゃ考えられないくらい高額だったので憮然としたが、私はどうしても欲しくなってしまっていたし、エピソードとしても悪くないので値切らずに買うことにした。

すると、ちょっと待ってろ、着替えてくるから、とオッサンは消え、数十分後に別のズボンを履いて戻ってきた。ニヤニヤしながら「オレが売ったってこと内緒な」と勿体つけた。私はこれをステージ衣装にしようとある時から決めていた。そして、どうせなら上半身もベトナムのシクロ運ちゃん仕様にしたい、と思いボタンダウンのシャツの、ボタンを留めずに羽織るベトナムのオッサン風を正式衣装として導入することに決めた。ベトナムに限らず東南アジアに行くとこのシャツはだけスタイルはかなりポピュラーで、だらしない感じが何とも言えずいいんだよね。

さらに、私はベトナムの少数民族の村に行った時に、可愛い子供達から売りつけられた綺麗な刺繍の紐を頭に巻くことにした。何で巻くことにしたのか分からないが、単純に気合が入るし、スターっぽくなれるんじゃないかと思ったのだろう。後々、ジミヘンの真似ですか、と何度も言われたがそういう設定ではなかったのだ。

ちなみに私がステージ衣装に変身する時に眼鏡を取るのには特別なエピソードはなく、ただ変身するのだから眼鏡を外してしまおう、くらいのことだった。眼鏡を外すと視界がボヤけるので、ライブで非現実性を味わうのにも丁度良い。それくらいのことだ。

さて、ステージ衣装のスタイルに関して、クラッチもブレーキーも何も抵抗を示さなかったのは、変な芸名をつけた時に抵抗を示さなかったのと同じくらい不思議であるが、メンバーはむしろ面白がっていた。どうせやるなら、とか言って私のエンターテイメント志向に乗っかってきた。

この傾向は更に、ステージに上がるまでに我々がずーっと行っている入場お囃子に関しても同様で、クラッチもブレーキーもこの謎の行進を楽しんでいる。このお囃子のルーツは、大学の時世話になった鉄割や、その鉄割に教えてもらった渋さ知らズ、そしてレスザンTVと同じくらい尊敬していたキクチレコードの漁港というバンドの存在、それに加えて南アフリカのンブーベという南ア版ゴスペルにある。

私はパンクバンドでありながら、出来うる限りエンターテイメント要素を大事にしたいと強く意識していた。だからライブの中に芝居染みた要素やハプニング的な要素が介在するのが面白いと思っていた。渋さ知らズも漁港も、マニアックなVHSで見た南アのンブーベのチームも、ステージに上がるまでにお客さんと同じフロアでパフォーマンスすることで客の心を簡単に掴んでいた。私はこの要素を自分達なりにローファイに遂行すれば絶対ウケるはずだ、という確信を持っていた。

結果的にこのステージ衣装計画も入場お囃子計画も、その後の赤い疑惑ライブを支える重要な要素となった。我々は出番が近づくと楽屋に集合し、曲順を確認して衣装に着替える。クラッチとブレーキーはボタンダウンのシャツを持参して胸をはだける。私は更にズボンを履き替えて鉢巻を巻く。そして手拍子を3人で打ち始めて歌を歌ったりラップしながらフロアーへ出て行く。

これが一連のルーティーンとなった。これをやることで実際気合も入るし、お客さんの注意を確実に集めることができるのである。しかし、10年前くらいのとあるライブで1度だけこの着替えで可笑しさがこみ上げて仕方なくなったことがある。

対バンで出ていたバンドに、いかにもヒッピー風なパーカッショニストがいて、彼が楽屋で堂々とウィードを巻き始めた。私はソワソワしながら物欲しそうな視線を送っていたので、彼に伝わったのか、巻いたものを私にも回してきてくれた。しかし、それがどうやらただのウィードじゃなかったらしく、私はすっかり、過剰に出来上がってしまった。

視界が軽く波打ち、楽屋内の話し声も自分の声も全てがサラウンドで響いてきて様子が違って可笑しい。そして後からクラッチとブレーキーが楽屋にやってきていつも通りシャツを脱ぎ始めるのだ。クラッチの腹はビール腹でだらしなく膨らみ、高校時代のスマートさは見る影もない。ブレーキーの胸には立派な胸毛が踊っている。それを過度な変性意識の中で目の当たりにした私は吹き出しそうになってしまった。何でこんなダサくて恥ずかしいことをメンバーは何の疑問もなくやってるんだろうか…。考えた末、これは自分が提唱したステージ衣装とお囃子なんだと気づき苦笑が禁じ得ない。そして、また同時にこんなバカなことを一緒に続けてついてきてくれるメンバーに涙が出そうなほど感謝した。

余談だが、結局その日のライブは私が使い物にならず結果はボロボロ。出来上り過ぎた私はギターをボローンとかき鳴らして歌っている自分が、ロックンロール過ぎてダサくてダサくて仕方なくなってしまい、歌いながらも消え入りたかった。きっと私の深層心理では「ロック=ダサい」という矛盾する感情が潜んでいる…。

思い出すと冷や汗が出るほどのダメライブであったが、たまたま主催者がヘロヘロの私のライブを面白がってくれたのと、ヘロヘロの私の演奏に関して何の咎め立てもしなかったメンバーの優しさが、せめてもの救いだった。

その後も今日に至るまでライブ前の着替えは欠かしたことがなく、楽屋が狭い場合は廊下の暗がりだったり、屋外の物陰だったり、屋内の物陰だったり、とにかく着替えられる場所を探してはシャツを脱ぎ、いい歳の男達がステージ上の男へと変身するのであった。
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