アクセルの意気地記 第15話 ママがいい〜
幾つになるまでお父さんとお風呂に入るのか。これは、今まで聞いたことある友人知人からの情報によると大分まちまちだ。男の子なのか女の子なのかでも勿論違ってくるだろう。
乳児期の入浴をパパがやるのは近年の育児の傾向らしく、乳飲児の時期に父親が活躍できる数少ない舞台である。これが私のオヤジの世代だと大分事情が違ったようで、その世代の父親達は、お風呂はおろかオムツを替えたことがない人も結構いるらしい。私の父などは私が誕生した瞬間、仲間と麻雀して報せを待っていたというから吃驚。
赤ちゃんの入浴なんてのは勿論初体験の所業。初めのうちは耳の裏やら、下肢とお股の間のやら、テキトーにやってたら、もうちょっとちゃんと洗ってよ、垢がたまってるよ、と注文が入った。
ちょっとの垢ぐらいいいじゃん、と思ってどれどれよく見ると、なるほど耳の裏など、皮脂が固まってガジガジになっている。これは可哀想だ。
突っ込まれることの無いように私は日毎に娘の入浴スキルを上げていき、耳の裏もシワの間も満遍なく洗えるようになっていった。湯で温まるのは乳児も気持ちがいいらしく、眠い時以外は大人しくしてるうちに業務が終わる。
イヤイヤ期というのがあって、私はそういう世間的、普遍的な常識を初めは疑ってしまう面倒な癖があり、イヤイヤ期というのも個人差でウチの子もそんなのがやってくるんだろうか、と半分眉に唾をつけていたのだが、1歳半くらいから、コレがイヤイヤ期か〜、というあからさまな娘のダダっこ兆候を突きつけられて反省した。
「ママがいい〜!」というのが口癖となり、何か本人の思うようにならないとすぐにこの台詞と共に泣き喚く。このイヤイヤ振る舞いはお風呂の時にもいかんなく発揮されるようになり、遂に私が風呂に入れるのをも拒絶するようになり、しばらくはピーさんがお風呂係に入れ替わった。
風呂から引き上げる係りは、身体を拭いてやり、オムツを履かせ、寝間着を着せてドライヤーで髪を乾かしてやればよい、というのが通常なんだろうが、こと子は関節の裏などにアトピーのような肌荒れを起こすようになったので、皮膚科でもらったクリームと、薬局で買うアトピークリームと、ネットで買った保湿クリームを塗ることをピーさんが励行するようになってしまっていた。
私も小さい頃はアトピー性皮膚炎に悩まされ、腕や脚の関節が赤くただれ、掻くと汁が出て辛かった。皮膚科に通い薬を塗ったりして、いつしか小学生くらいにはそのような肌荒れは自然となくなっていったのだが、実の娘も同じような症状を発症したので心が痛い。
しかし、そんな、3種類もクリームを塗るの?と風呂引き上げ係りに就任した私は最初戸惑った。自分も乾燥肌で冬場は特にカサカサしてきて、仕事柄、指の先が割れたりするので自衛のためにクリームを塗ることはある。しかし、身体全体に3種類も!と最初は不平を垂れたりしたが、ピーさんの女性視点のケアは侮れず、実際そのクリーム攻撃のおかげでこと子の関節付近は、酷い状態にまでは悪化せず、子供らしいツルスベ感を維持できているようなのだ。
私は、そうだよな、女の子だもん、とかそういうことで考えを改め、真面目にクリーム塗り塗りを遂行するようになった。やると決めたら私もマメな性質で塗り漏れがないように丁寧な仕事を心がけ、そうすると初めは嫌だった面倒ごとがただのルーティーンとなり、皿洗いや掃除と同じで苦痛にならなくなる。皿洗いや掃除と違って我が娘相手だからそのうち心もこもってくる。
ある日実家に遊びに行って晩飯を父と喰い、実家の風呂に入らせてもらった時、いつも通り出てきたこと子の身体中にクリームを塗りたくっていると、父が怪訝そうな、若干蔑みの表情を伴って、「何だそれは?」と言うのだ。私は、往時はオムツもまともに替えなかっただろう父のその視線に腹が立ち憮然と、クリームだよ、保湿の!と大きい声を出した。かの世代の、子育ては家内に任せてるから、というあの世代の父親達には、この私の気持ちは到底伝わらないだろうと思い、それ以上何も言わなかった。
さて、口癖の「ママがいい〜」と泣かれると私の思考回路は停止し、もう全部諦める。言われ始めは多少傷ついたがすぐに慣れてしまい、ハイハイ、と受け流し、必要な時は泣き喚かれながらも抱っこしたりあやしたり、最終的にママのところに運んだり…。それでピーさんが抱っこすることになっても、泣き止む場合もあれば泣き止まず「ママがいい〜!」と泣き叫び続けることもあり、それを見るにつけ、ママがいい〜、というのも決まり文句なだけで、ママが抱いてもイヤイヤは簡単に収まらないらしいのがイヤイヤ期なんだろう、と結論づけた。
ただ、成長は早いもので身体も生まれた時の2倍くらいにはデカくなったし、イヤイヤで泣き喚くシーンを除いたら、泣いて私やピーを手こずらせる時間は明らかに少なくなって、おしゃべりもかなり上手になってきたので育児の楽しさはうなぎ登り。
子供が2歳、3歳になると喋り出して一気に育児が楽しくなりますよ、という知人の言葉を聞いた時、そうですか、と同意しながらも、心の中ではいやいや、0歳でも1歳でもオレは楽しんでるけどね、と強がっていた。ところが、なるほど、なるほど、喋り出して短いながらも会話が成立するようになった瞬間のトキメキは忘れ難い。これからどんどんいろんな事を覚えて私を困らせるようなことを次から次へと言い出すのだろう、という予感もなくはないが、今がいいんだ今が。今がいい〜!
乳児期の入浴をパパがやるのは近年の育児の傾向らしく、乳飲児の時期に父親が活躍できる数少ない舞台である。これが私のオヤジの世代だと大分事情が違ったようで、その世代の父親達は、お風呂はおろかオムツを替えたことがない人も結構いるらしい。私の父などは私が誕生した瞬間、仲間と麻雀して報せを待っていたというから吃驚。
赤ちゃんの入浴なんてのは勿論初体験の所業。初めのうちは耳の裏やら、下肢とお股の間のやら、テキトーにやってたら、もうちょっとちゃんと洗ってよ、垢がたまってるよ、と注文が入った。
ちょっとの垢ぐらいいいじゃん、と思ってどれどれよく見ると、なるほど耳の裏など、皮脂が固まってガジガジになっている。これは可哀想だ。
突っ込まれることの無いように私は日毎に娘の入浴スキルを上げていき、耳の裏もシワの間も満遍なく洗えるようになっていった。湯で温まるのは乳児も気持ちがいいらしく、眠い時以外は大人しくしてるうちに業務が終わる。
イヤイヤ期というのがあって、私はそういう世間的、普遍的な常識を初めは疑ってしまう面倒な癖があり、イヤイヤ期というのも個人差でウチの子もそんなのがやってくるんだろうか、と半分眉に唾をつけていたのだが、1歳半くらいから、コレがイヤイヤ期か〜、というあからさまな娘のダダっこ兆候を突きつけられて反省した。
「ママがいい〜!」というのが口癖となり、何か本人の思うようにならないとすぐにこの台詞と共に泣き喚く。このイヤイヤ振る舞いはお風呂の時にもいかんなく発揮されるようになり、遂に私が風呂に入れるのをも拒絶するようになり、しばらくはピーさんがお風呂係に入れ替わった。
風呂から引き上げる係りは、身体を拭いてやり、オムツを履かせ、寝間着を着せてドライヤーで髪を乾かしてやればよい、というのが通常なんだろうが、こと子は関節の裏などにアトピーのような肌荒れを起こすようになったので、皮膚科でもらったクリームと、薬局で買うアトピークリームと、ネットで買った保湿クリームを塗ることをピーさんが励行するようになってしまっていた。
私も小さい頃はアトピー性皮膚炎に悩まされ、腕や脚の関節が赤くただれ、掻くと汁が出て辛かった。皮膚科に通い薬を塗ったりして、いつしか小学生くらいにはそのような肌荒れは自然となくなっていったのだが、実の娘も同じような症状を発症したので心が痛い。
しかし、そんな、3種類もクリームを塗るの?と風呂引き上げ係りに就任した私は最初戸惑った。自分も乾燥肌で冬場は特にカサカサしてきて、仕事柄、指の先が割れたりするので自衛のためにクリームを塗ることはある。しかし、身体全体に3種類も!と最初は不平を垂れたりしたが、ピーさんの女性視点のケアは侮れず、実際そのクリーム攻撃のおかげでこと子の関節付近は、酷い状態にまでは悪化せず、子供らしいツルスベ感を維持できているようなのだ。
私は、そうだよな、女の子だもん、とかそういうことで考えを改め、真面目にクリーム塗り塗りを遂行するようになった。やると決めたら私もマメな性質で塗り漏れがないように丁寧な仕事を心がけ、そうすると初めは嫌だった面倒ごとがただのルーティーンとなり、皿洗いや掃除と同じで苦痛にならなくなる。皿洗いや掃除と違って我が娘相手だからそのうち心もこもってくる。
ある日実家に遊びに行って晩飯を父と喰い、実家の風呂に入らせてもらった時、いつも通り出てきたこと子の身体中にクリームを塗りたくっていると、父が怪訝そうな、若干蔑みの表情を伴って、「何だそれは?」と言うのだ。私は、往時はオムツもまともに替えなかっただろう父のその視線に腹が立ち憮然と、クリームだよ、保湿の!と大きい声を出した。かの世代の、子育ては家内に任せてるから、というあの世代の父親達には、この私の気持ちは到底伝わらないだろうと思い、それ以上何も言わなかった。
さて、口癖の「ママがいい〜」と泣かれると私の思考回路は停止し、もう全部諦める。言われ始めは多少傷ついたがすぐに慣れてしまい、ハイハイ、と受け流し、必要な時は泣き喚かれながらも抱っこしたりあやしたり、最終的にママのところに運んだり…。それでピーさんが抱っこすることになっても、泣き止む場合もあれば泣き止まず「ママがいい〜!」と泣き叫び続けることもあり、それを見るにつけ、ママがいい〜、というのも決まり文句なだけで、ママが抱いてもイヤイヤは簡単に収まらないらしいのがイヤイヤ期なんだろう、と結論づけた。
ただ、成長は早いもので身体も生まれた時の2倍くらいにはデカくなったし、イヤイヤで泣き喚くシーンを除いたら、泣いて私やピーを手こずらせる時間は明らかに少なくなって、おしゃべりもかなり上手になってきたので育児の楽しさはうなぎ登り。
子供が2歳、3歳になると喋り出して一気に育児が楽しくなりますよ、という知人の言葉を聞いた時、そうですか、と同意しながらも、心の中ではいやいや、0歳でも1歳でもオレは楽しんでるけどね、と強がっていた。ところが、なるほど、なるほど、喋り出して短いながらも会話が成立するようになった瞬間のトキメキは忘れ難い。これからどんどんいろんな事を覚えて私を困らせるようなことを次から次へと言い出すのだろう、という予感もなくはないが、今がいいんだ今が。今がいい〜!
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