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バンドマンに憧れて 第28話 フリースタイルラップあるいは即興

私にヒップホップを教えてくれた友人のDは、私やクラッチがラップに興味を示し始めたのを察知すると、私達の前で自分で書いた詩をラップするようになっていた。インストの曲をステレオから流して彼は自作のリリックをビートに合わせてラップした。彼は読書家でボキャブラリーも多く、言葉選びのセンスもよかったので、私達は感心した。CDで漠然と聞くラップと違い、目の前の友達が書いた詩がその場でヒップホップになったので、おお、これがヒップホップかあ、と興奮した。そして私は一計を案じ、Dのラップを赤い疑惑の3人で伴奏する、ということにトライすることになった。

本場アメリカでは生バンドでラップするthe rootsというグループがいることもその時には知っていたので、これはかなりクールなことになるんじゃないか、と何度かスタジオに入った。しかしながらDはその後ラップを辞めてしまった。自分は表現者にはなれない、ということを言い残してラップを辞めてしまったのだ。詩がよかっただけに残念だったが、そのことをきっかけに今度は私もラップに挑戦してみようと思い始めたのだ。

頭韻、脚韻、頭やお尻やとにかくリズムに合わせた一定の箇所で母音を揃えればラップになる。私の感覚では、オヤジが家族の中でウケ狙いでかますサムい駄洒落と、韻を踏むのが本丸であるラップは大して違わなかった。ラップの場合重要なのはその駄洒落を音楽の中に落とし込むタイミングに尽きた。上手い下手は分からないが私はDとフリースタイルごっこのようなことをして遊んだりするようになっていた。

フリースタイルというのを知ったのもMSCや降神を教えてもらうのと同時だった。即興で、その時の思いつきでラップを組み立てていく、素人から見れば曲芸のようなものだが、これを仲間と集まって輪になってやるのがサイファーで、相手を決めてラップで対決するのがMCバトル、ということも同時に知った。今ではこのサイファーもMCバトルも市民権を得て高校生や中学生にも広まっているのは驚きである。あの頃はまだヒップホップは若干マニアックな音楽の一ジャンルだったのに。

丁度その頃、アメリカ映画の「フリースタイル」という、ヒップホップのフリースタイルにフォーカスをあてた作品が日本で上映されていて、私とクラッチはブリブリになって観に行ったものだ。映画に出てきた本場のMCバトルがかっこよすぎて、映画を見終わった後クラッチと2人で、これからはコレだな、とか言い合って、クラッチも珍しく興奮して、オレもフリースタイルやるよ、と私に宣言したりして…。

クラッチのフリースタイルはその後すぐに封印されることになったが、私はこのフリースタイル、いわゆる即興の世界に非常にインスパイアされた。とはいえヒップホップに縁がなかった私にサイファーをする友人が他にいたわけではなく、いつも通勤の往き帰りとか、当時勤めていたバイト先の配送のドライブ中なんかにフリースタイルラップの練習をしていた。

実は即興に興味を持った経緯には下地があった。学生時代に仲良くしてもらった鉄割アルバトロスケットのパンクユニットのライブに、赤い疑惑の前身バンドGUTSPOSEが呼ばれたことがあった。その時対バンで出ていたバンドが、素晴らしく美しい大人の音楽を演奏していて、私はそのバンドでギターを弾いていた小沢あきさんに心酔してしまった。

小沢あきさんのギターはクラシック、ジャズ、フラメンコ、現代音楽なんかを通過していて、即興でどんな音楽にも瞬時に伴奏をつけられるようなテクニックを伴っていた。しかもあきさんが演奏していたのはクラシックギターで、私の父が家で弾いていたものと同じ、ナイロン弦のギターで響きが懐かしく、丸くて気持ちよかった。一方対バンで出たGUTSPOSEはローファイパンクだったので私は何となく恥ずかしかったのだが、我々の演奏を当の小沢あきさんがエラく気に入ってくださったのだ。演奏が終わった私にあきさんは「お前らの曲、オリジナルなんだよな?」と質した。私が首肯すると、あきさんは私の手を強く握ってくれたのだった。

それ以来私はあきさんのギターのファンになり、あきさんの参加しているアフロオーケストラのようなバンドや、ソロや、即興のライブに足繁く通った。私はあきさんにギターを教えてもらったのではないが、あきさんのギターを聴き続けていれば即興ギター演奏ができるようになるんじゃないかと思い込んでいた。しかし、絶対音感もない、その上ある程度に音痴で、しかもギターの練習が嫌い、という私に即興演奏の道は険しく、結局諦めてしまった。

たまに、あきさんの即興音楽仲間の飲み会に呼んでもらって遊びに行ったこともあった。集まっているミュージシャンの中には音楽で喰っている敏腕の人もいたし、かなり世代が上の人も多く、彼女や奥さんも集まってきていた。その雰囲気は、野郎ばかりでいつも集まって飲んだり吸ったりしてダベっていた私の交流とは次元の違う温かさがあった。

そういう席で、依頼仕事に柔軟に対応できる人や、それが嫌でできない人、楽器がバカみたいに上手くても、喰える人、喰えない人がいる現実を知ったし、「いいよな、お前は演奏でメシが喰えてんだから」と僻みなのか嫌味なのか冗談なのか、そういう会話があったりして、「音楽で喰えること」を至上の目標としていた当時の私には刺激が大きかった。

また、ある時、私は酒の席であきさんに悩みを打ち明けたことがあった。私がやっている赤い疑惑に関して、自分はバイトでチャンスを掴むまで頑張るつもりだが、メンバーをその道連れにしていいのだろうか、という弱気で情けない相談だ。私は根拠のない自信で、いつか音楽でどうにかできるようになるだろう、と考えていたが、もしそれがうまく行かなかった場合、メンバーの人生はどうなんだろう…。

バイトでバンドをやっているのは楽しさとスリルが伴うことだが、そのまま歳を重ねていって音楽による報酬がなかった時、メンバーの人生を保障するものは何もない、ということも私は分かっていた。しかし、そんなことを心配していても解決策などない。怖いならバンドをやめればいいだけだ。あきさんもそんな相談をされて困ったことだろう。ただ、私は音楽で喰う喰わない問題が、身近にシリアスな問題として存在しているようだったあきさんに、その辺のことを聞いてもらいたかっただけだったと思う。

いくら音楽が死ぬほど好きでも、ミュージシャンシップの違いで喰えるか喰えないかは変わってくる…。その中でも小沢あきさんは拘りが強く、金銭よりも自分の音楽をひたすら追い求めているピュアさに溢れていて私はそんなあきさんの姿にかっこよさを見出していた。

あきさん周りの飲み会で、みんなで酒を飲んで興が乗ってくると、楽器を持つ人、太鼓やらその辺のものを叩く人が出てきて、俄かに即興大演奏会が始まる。私も何か叩いたりして混ざっていたが、こんな時に自分も存在感のある即興ができればいいのに、と密かに考えて、地団駄踏んでいた。

そんな時に出会ったのがフリースタイルラップだった。これなら自分の個性を生かせる即興ができるのかもしれない、と考えていた。

その頃、MSCが始めたMCバトルがヒップホップ界隈で注目を集め始めていた。私がラップを始めたことを知った友人が、MCバトルへの挑戦を薦めてくれたこともあったが、大して自信もなかったし、逡巡して結局やらなかった。しかし、その後しばらくライブMCの時、気分次第でフリースタイルラップに挑戦することは何度もあった。韻が踏めなくて噛んでしまうことばかりだったが、予定調和じゃないスリルが生まれて面白かった。

結局、現在に至るまでフリースタイルラップをやり続けたわけでもなく、ヒップホップを聴き続けたわけでもないのだが、この時期にラップの練習をした経験は後にワールドミュージックのDJ業をやり出した頃に、手持ち無沙汰でやり始めたDJのサイドMCの時なんかにも生かされた。何の生産性も残さない無駄な努力は多いものだが、気づいたら武器になっていた、という努力も必ず存在する。ラップは私にとって無駄にならなかった努力であり遊びのひとつである。
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