アクセルの意気地記 第18話 多摩動物園へ行った日
その日、私は仕事が休みで、ピーはチーズ配達のバイトだった。本来ならこういう日、つまり親のどちらかでも家で子どもの面倒を見られる日は、保育園には子どもを預けられないことになっている。それはそうなのだが、大抵の親はこのような場合、仕事があるフリをして子どもを保育園に預け、空いた時間に束の間の、自分の休息を楽しむのではないだろうか?
世間がどうであるか分からないが、私もそういう日にはこと子を保育園に預け、家事に専念したり、映画に出かけたり、ボーっとしたりしてきたのである。しかしそうやってズルしてる時は何だかんだ多少の後ろめたさが心の奥にあったりするのである。
そしてその日は朝起きぬけに、(いやいや、今日は保育園には預けず私が面倒をみよう)、と心に決めたのだ。面倒をみようというよりは、もうこと子も随分大きくなって喋れるようになってきたし、どこかデートに出かけよう、と思い立ったのである。いや、もっと私の意志ははっきりしていて、今日は多摩動物園にこと子を連れて行ってみよう、と閃いて興奮していたのだ。
洗濯をして朝食の皿を洗い、洗濯物を干す。おむつ、おやつ、水筒、着替え、スタイ、タオル、いつもなら大体ピーが用意してくれるような持ち物達を漏れなく準備。よし出発。こと子に「今日は動物園に行こうか?」と尋ねると「うん、行く」と魂の抜けたような、張りのない棒読みで答えるのだった。
さて、いよいよ家を出る段階で私はバギーを持って行くかどうかで悩んだ。公共交通機関以外の道中、こと子が歩くか、抱っこになるか、バギーを持って行けば楽だけど、その分荷物が増えるのは、こと子がバギーに乗りたがらなかった場合に大変骨である。最近はバギーなしで幾度もお出かけをしているのだし、なんとかなるかもしれない。
私はバギーなしを決断して家を出た。天気は晴れていて激しい陽気は油断ならない夏だった。
汗を拭きふきバスから電車、電車からモノレールへと乗り継ぎ、1時間強で多摩動物公園駅についた。ここは母校のキャンパスのすぐ麓の駅だから私には実はとても馴染みのある土地だった。それに在学中にも1度来たことがある。もっと言えば幼少の頃親に連れられて来たりもしたはずだ。馴染みのある土地に久しぶりに訪れるということはそれだけでエモい気持ちになる。
しかし、家で洗濯などやってたせいか、もうすでに昼の12時を回っている。動物園の中ではロクなものを食べられないだろうから、入る前に腹ごしらえをしないといけないことに気づいた。そしてこんな辺鄙な八王子の山あいには珍しいような天然酵母のパン屋さんを見つけ、こと子のパンを買い、私は隣のそば屋に入ってざるを頼んだ。こと子に少しそばをたべさせながら、さっき買ったパンを店員に見られないようにこっそり与えた。こと子はまだ1人分のそばは食べられないから、ざるの580円だけで済ませてしまい、お店に申し訳ないので逃げるように会計をして出た。
動物園の入り口に大きな象の石像が立っている。私はあっと驚いて嬉しくなり、コッピ、象さんだよ、ホラ、と言うとこと子がその象の存在に気づいて喜び、ヨタヨタ走り出した。駅から入り口の正門に向かう道は既に勾配が出来ていてこの動物園が山あいにある動物園であったことを一瞬で思い出させ、私はバギーを持って来なかったことが俄かに心配になってきた。
入場券を買って中に入ると、やはり端から上り坂である。こと子はすぐに「抱っこする〜」モードになってしまい、しぶしぶ11キロの娘を持ち上げた。左から回るか右から回るか…。なんとなく人の流れを見て右から回ることにした。人の流れといっても、だいぶ疎らで、平日の、しかも都の外れの山中の動物園への来客は、間をあけると貸切り状態になってしまうような裏ぶれた感じだった。
すぐに「アフリカ園工事中」という看板にぶつかった。アフリカといえば、象やライオンにキリン、動物園の花形達がいるエリアじゃないのか? 悔しい、残念だが諦め、すぐ先の昆虫園に行ってみた。こと子は大きな昆虫のモニュメントを珍しそうに触っていたりしたが、熱帯の植物の中で様々な蝶が無数に飛び回る楽園のような植物園の中では、怖い、などと言ってノリが悪かった。
こと子は抱っこに揺られたままなかなか下りて歩こうとはしなかった。山あいの動物園で娘を抱っこして歩くのは軽い登山に来たようなシンドさに近かった。それにこの暑さ…。先日井の頭動物園に行った時は動物と動物との間が狭かったからか、こと子は次の動物から次の動物への距離をスタスタ歩いて楽しそうだったのに、ここは動物から動物までの距離が離れてるせいか、上り下りが多いためか、積極的に歩く素振りを見せないようだった。
それでも抱っこのまま、サル、タヌキ、フクロウ、ワシや鷹の勇猛な飛翔など、私たちはそれなり鑑賞して動物園を楽しみ始めていた。しかしとにかくずっと抱っこが続いたものだから上り下り道のりに私の腕は痺れてくる。気づいたらこと子も腕の中で寝てしまったじゃないか。わたしは子どもが寝そべるのに格好なベンチを近くに見つけ、慎重にこと子を下ろした。人もほとんど通らないし、大自然の中なので私もまったりリラックスすることができた。
30分ほど経っただろうか、目を醒まし、寝ぼけ眼のこと子を起こすために私は休憩用の喫茶に入って、普段余程のことがない限り買わないソフトクリームを買ってこと子に与えた。こと子は俄然生気を取り戻し、唇の周りを真っ白に汚して嬉しそうに食べるので私は写メを連写した。しかし、閉園の17時までもう1時間半ほどなので、こと子を抱えてコアラ館に急いだ。
コアラに対し、やや特別な愛着をこと子が持っていそうだったことを感じていたので私は期待して館の中に入った。するとお化け屋敷の様に薄暗い洞窟の様な空間が広がっている。私たちのほか人もいないし私は何だか心細くなってきて、奥のコアラのケージに急いだ。
ユーカリの木が乱立するケージを見渡してもなかなかコアラの姿は見つけられなかった。コアラいるかな?とさっきまでこと子を期待させてきた分、どうしようもない焦燥感にかられた。目を皿にしてよくよく見ていたら、一本のユーカリに灰色の固まりがくっついているのが見えた。間違いなくそれはコアラだった。だったのだが、そのコアラがこちらに背を向けて昼寝をしているのがすぐに分かって落胆した。私はこと子にコアラが後ろ向きで寝ちゃってることを残念がって伝え、館を後にして次のターゲットへとまた先を急いだ。
すぐにアジアゾウのエリアにたどり着いたが、象の姿はなく、改装工事の業者がハリボテの様な造形の補修をしているばかりである。こと子に象も見せられないとは…。諦めて先に進むと、今度はヒョウが颯爽と走り回る檻の前にやってきた。そしてそこでたまたま鉢合わせた家族と、交流のタイミングができたので、私がアジア象が見られなかった話しをすると、
「アフリカ園の象はいましたよ」
と、意外なことを私に教えてくれるのだった。アフリカ園は工事中だと思い込んでいたのは私の不覚だった。アフリカ園の工事は部分的なもので、事前にそれ知っていたらこと子も象を見られたかもしれない…。しかしこれ以上こと子を抱えたまま正反対の方角のアフリカ園に戻るのは無謀に思われた。
よかったら、とその家族が悔しがってる私を哀れんで園内マップを1つ手渡してくれた。コレだ! 何で私はコレを入園した時にゲットしなかったんだろう、と自分の適当さに幻滅した。マップには工事中のエリアと、どこにどんな動物がいるか分かりやすく明示されている。アフリカ園に行っていれば象やライオンにキリン、動物園の花形達を見ることができたことも判明し、私は愕然とした。
礼を言ってその場を離れたが、時間を確認すると、あと30分で戻らなければいけない。出口でもある正門まではまだ大分距離があった。ギリギリまで動物園を楽しみたい私は、道中に残るアジアの平原コーナーに向かってこと子を抱えながら走った。そして足早にウマを鑑賞し、さらに走った。アジアの平原コーナーにいるらしいオオカミが見たかったのだ。しかしオオカミの大自然エリアは思ったよりも広く、なかなかオオカミを見つけられずグルグルしてしまった。周りにはもう誰も観覧客がいなくなり、まるで1人で登山してる時の様な心細さがまた私をゾワっとさせた。
オオカミも見られないかな、ダメかなと思い諦めかけ、念のため、と覗いたオオカミ舎に3匹のオオカミ当たり前いの様にそこにいた。オオカミ達は立派な体躯をたたえ、牙を研ぐためなのか檻の鉄柵に噛みついてヨダレを垂らしている。私が感心して見ていたら、腕の中のこと子は、明らかに今まで見たどの動物よりも目を輝かせてオオカミに見入っていた。怖くないのかな、と不思議な気持ちになった。
園内放送が流れ出したので私は早歩きで正門に急いだ。結局こと子はほとんど歩いてくれず、腕は棒の様だし歩き疲れもしたけれど、私はそれなりの充実感を覚えていた。お目当ての動物も大して見られなかったかもしれないが、動物園に2人で来たという実績に満足しかけていた。フワフワとそんなことを考えていたら、こと子が抱かれたままハッキリと
「オオカミかわいかったね」
と言った。他の動物を見ても特に感想を述べなかったこと子がそのあと何回か同じことを言った。私はその度に、
「かわいかったよねー」
と同意しながら、確かにあの威武堂々たる逞しいオオカミも、見方によっては「かわいい」とも思えるような気がして、あたたかい気持ちになってきた。
最後の最後に頑張ってオオカミを見せられて、しかも、オオカミかわいかったね、ということ子の心の上向きな機微を感じ、(奮起して多摩動物園までやってきてホントによかった)、と思った。充実した気持ちのまま象の石像の正門まで早歩きで戻ってきて、ふと門の近くの小屋の並びに目をやると、1日500円で借りられるベビーカーのレンタル屋さんが、まさかそんなところにあった。あっ、と気づいても後の祭りで、私は苦笑せざるを得ないのだった。
世間がどうであるか分からないが、私もそういう日にはこと子を保育園に預け、家事に専念したり、映画に出かけたり、ボーっとしたりしてきたのである。しかしそうやってズルしてる時は何だかんだ多少の後ろめたさが心の奥にあったりするのである。
そしてその日は朝起きぬけに、(いやいや、今日は保育園には預けず私が面倒をみよう)、と心に決めたのだ。面倒をみようというよりは、もうこと子も随分大きくなって喋れるようになってきたし、どこかデートに出かけよう、と思い立ったのである。いや、もっと私の意志ははっきりしていて、今日は多摩動物園にこと子を連れて行ってみよう、と閃いて興奮していたのだ。
洗濯をして朝食の皿を洗い、洗濯物を干す。おむつ、おやつ、水筒、着替え、スタイ、タオル、いつもなら大体ピーが用意してくれるような持ち物達を漏れなく準備。よし出発。こと子に「今日は動物園に行こうか?」と尋ねると「うん、行く」と魂の抜けたような、張りのない棒読みで答えるのだった。
さて、いよいよ家を出る段階で私はバギーを持って行くかどうかで悩んだ。公共交通機関以外の道中、こと子が歩くか、抱っこになるか、バギーを持って行けば楽だけど、その分荷物が増えるのは、こと子がバギーに乗りたがらなかった場合に大変骨である。最近はバギーなしで幾度もお出かけをしているのだし、なんとかなるかもしれない。
私はバギーなしを決断して家を出た。天気は晴れていて激しい陽気は油断ならない夏だった。
汗を拭きふきバスから電車、電車からモノレールへと乗り継ぎ、1時間強で多摩動物公園駅についた。ここは母校のキャンパスのすぐ麓の駅だから私には実はとても馴染みのある土地だった。それに在学中にも1度来たことがある。もっと言えば幼少の頃親に連れられて来たりもしたはずだ。馴染みのある土地に久しぶりに訪れるということはそれだけでエモい気持ちになる。
しかし、家で洗濯などやってたせいか、もうすでに昼の12時を回っている。動物園の中ではロクなものを食べられないだろうから、入る前に腹ごしらえをしないといけないことに気づいた。そしてこんな辺鄙な八王子の山あいには珍しいような天然酵母のパン屋さんを見つけ、こと子のパンを買い、私は隣のそば屋に入ってざるを頼んだ。こと子に少しそばをたべさせながら、さっき買ったパンを店員に見られないようにこっそり与えた。こと子はまだ1人分のそばは食べられないから、ざるの580円だけで済ませてしまい、お店に申し訳ないので逃げるように会計をして出た。
動物園の入り口に大きな象の石像が立っている。私はあっと驚いて嬉しくなり、コッピ、象さんだよ、ホラ、と言うとこと子がその象の存在に気づいて喜び、ヨタヨタ走り出した。駅から入り口の正門に向かう道は既に勾配が出来ていてこの動物園が山あいにある動物園であったことを一瞬で思い出させ、私はバギーを持って来なかったことが俄かに心配になってきた。
入場券を買って中に入ると、やはり端から上り坂である。こと子はすぐに「抱っこする〜」モードになってしまい、しぶしぶ11キロの娘を持ち上げた。左から回るか右から回るか…。なんとなく人の流れを見て右から回ることにした。人の流れといっても、だいぶ疎らで、平日の、しかも都の外れの山中の動物園への来客は、間をあけると貸切り状態になってしまうような裏ぶれた感じだった。
すぐに「アフリカ園工事中」という看板にぶつかった。アフリカといえば、象やライオンにキリン、動物園の花形達がいるエリアじゃないのか? 悔しい、残念だが諦め、すぐ先の昆虫園に行ってみた。こと子は大きな昆虫のモニュメントを珍しそうに触っていたりしたが、熱帯の植物の中で様々な蝶が無数に飛び回る楽園のような植物園の中では、怖い、などと言ってノリが悪かった。
こと子は抱っこに揺られたままなかなか下りて歩こうとはしなかった。山あいの動物園で娘を抱っこして歩くのは軽い登山に来たようなシンドさに近かった。それにこの暑さ…。先日井の頭動物園に行った時は動物と動物との間が狭かったからか、こと子は次の動物から次の動物への距離をスタスタ歩いて楽しそうだったのに、ここは動物から動物までの距離が離れてるせいか、上り下りが多いためか、積極的に歩く素振りを見せないようだった。
それでも抱っこのまま、サル、タヌキ、フクロウ、ワシや鷹の勇猛な飛翔など、私たちはそれなり鑑賞して動物園を楽しみ始めていた。しかしとにかくずっと抱っこが続いたものだから上り下り道のりに私の腕は痺れてくる。気づいたらこと子も腕の中で寝てしまったじゃないか。わたしは子どもが寝そべるのに格好なベンチを近くに見つけ、慎重にこと子を下ろした。人もほとんど通らないし、大自然の中なので私もまったりリラックスすることができた。
30分ほど経っただろうか、目を醒まし、寝ぼけ眼のこと子を起こすために私は休憩用の喫茶に入って、普段余程のことがない限り買わないソフトクリームを買ってこと子に与えた。こと子は俄然生気を取り戻し、唇の周りを真っ白に汚して嬉しそうに食べるので私は写メを連写した。しかし、閉園の17時までもう1時間半ほどなので、こと子を抱えてコアラ館に急いだ。
コアラに対し、やや特別な愛着をこと子が持っていそうだったことを感じていたので私は期待して館の中に入った。するとお化け屋敷の様に薄暗い洞窟の様な空間が広がっている。私たちのほか人もいないし私は何だか心細くなってきて、奥のコアラのケージに急いだ。
ユーカリの木が乱立するケージを見渡してもなかなかコアラの姿は見つけられなかった。コアラいるかな?とさっきまでこと子を期待させてきた分、どうしようもない焦燥感にかられた。目を皿にしてよくよく見ていたら、一本のユーカリに灰色の固まりがくっついているのが見えた。間違いなくそれはコアラだった。だったのだが、そのコアラがこちらに背を向けて昼寝をしているのがすぐに分かって落胆した。私はこと子にコアラが後ろ向きで寝ちゃってることを残念がって伝え、館を後にして次のターゲットへとまた先を急いだ。
すぐにアジアゾウのエリアにたどり着いたが、象の姿はなく、改装工事の業者がハリボテの様な造形の補修をしているばかりである。こと子に象も見せられないとは…。諦めて先に進むと、今度はヒョウが颯爽と走り回る檻の前にやってきた。そしてそこでたまたま鉢合わせた家族と、交流のタイミングができたので、私がアジア象が見られなかった話しをすると、
「アフリカ園の象はいましたよ」
と、意外なことを私に教えてくれるのだった。アフリカ園は工事中だと思い込んでいたのは私の不覚だった。アフリカ園の工事は部分的なもので、事前にそれ知っていたらこと子も象を見られたかもしれない…。しかしこれ以上こと子を抱えたまま正反対の方角のアフリカ園に戻るのは無謀に思われた。
よかったら、とその家族が悔しがってる私を哀れんで園内マップを1つ手渡してくれた。コレだ! 何で私はコレを入園した時にゲットしなかったんだろう、と自分の適当さに幻滅した。マップには工事中のエリアと、どこにどんな動物がいるか分かりやすく明示されている。アフリカ園に行っていれば象やライオンにキリン、動物園の花形達を見ることができたことも判明し、私は愕然とした。
礼を言ってその場を離れたが、時間を確認すると、あと30分で戻らなければいけない。出口でもある正門まではまだ大分距離があった。ギリギリまで動物園を楽しみたい私は、道中に残るアジアの平原コーナーに向かってこと子を抱えながら走った。そして足早にウマを鑑賞し、さらに走った。アジアの平原コーナーにいるらしいオオカミが見たかったのだ。しかしオオカミの大自然エリアは思ったよりも広く、なかなかオオカミを見つけられずグルグルしてしまった。周りにはもう誰も観覧客がいなくなり、まるで1人で登山してる時の様な心細さがまた私をゾワっとさせた。
オオカミも見られないかな、ダメかなと思い諦めかけ、念のため、と覗いたオオカミ舎に3匹のオオカミ当たり前いの様にそこにいた。オオカミ達は立派な体躯をたたえ、牙を研ぐためなのか檻の鉄柵に噛みついてヨダレを垂らしている。私が感心して見ていたら、腕の中のこと子は、明らかに今まで見たどの動物よりも目を輝かせてオオカミに見入っていた。怖くないのかな、と不思議な気持ちになった。
園内放送が流れ出したので私は早歩きで正門に急いだ。結局こと子はほとんど歩いてくれず、腕は棒の様だし歩き疲れもしたけれど、私はそれなりの充実感を覚えていた。お目当ての動物も大して見られなかったかもしれないが、動物園に2人で来たという実績に満足しかけていた。フワフワとそんなことを考えていたら、こと子が抱かれたままハッキリと
「オオカミかわいかったね」
と言った。他の動物を見ても特に感想を述べなかったこと子がそのあと何回か同じことを言った。私はその度に、
「かわいかったよねー」
と同意しながら、確かにあの威武堂々たる逞しいオオカミも、見方によっては「かわいい」とも思えるような気がして、あたたかい気持ちになってきた。
最後の最後に頑張ってオオカミを見せられて、しかも、オオカミかわいかったね、ということ子の心の上向きな機微を感じ、(奮起して多摩動物園までやってきてホントによかった)、と思った。充実した気持ちのまま象の石像の正門まで早歩きで戻ってきて、ふと門の近くの小屋の並びに目をやると、1日500円で借りられるベビーカーのレンタル屋さんが、まさかそんなところにあった。あっ、と気づいても後の祭りで、私は苦笑せざるを得ないのだった。
スポンサーサイト