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バンドマンに憧れて 第32話 東京フリーターブリーダー

ラップの歌詞を書いたはいいが、ギターを弾きながらラップをするということは生易しいことではなかった。しかし、当時の私には、成功物語のためなら、我武者羅にやればそれもやれないことはないだろう、くらいに考える若さがあった。

ベースを弾いたことなかったクラッチがベースを弾き、ドラムを叩いたことなかったブレーキーがドラムを叩いているバンドである。パンクやローファイのスピリットは意外にも強靭なもので、私は下手でもいいからトライが重要だと思っていた。

ベースを上手く弾けず、裏拍の取り方が分からず何度も何度もスタジオで、そうじゃない、そうじゃない、とやり直し、とにかく時間をかけてクラッチがベーシストになっていったように、私は私で家で、またスタジオで何度も何度も練習を繰り返してギターを弾きながら歌うことや、また弾きながらラップする、ということを身体に染み込ませようと努力した。テクニックを高めるための練習は嫌いだが、やりたいことのための練習は苦じゃなかった。

ブレーキーにディスられて、その悔しさに、おぞましいボーカルスクールに通ったときのような妙な向上心で、私はロックバンドにラップを取り入れる、という画期的と思われたアイディアをカタチにするために頑張った。

それにその頃の私は「とにかくみんなを驚かせたい」という想いが人一倍強く、ヒップホップをパンクバンドがやったらみんな驚くだろう、と単純に考えていた。そういう野心やモチベーションが、薄給のアルバイト生活を支えてくれていたことも事実であった。

努力の甲斐あって、と言っていいのか分からないが、アホみたいに繰り返し練習してるウチに、リズムの正確さは置いといても、ギターを弾きながら自作の詩をラップできるようになった。

我々はその「東京フリーターブリーダー」という曲を軸に、当時ほかに演奏していた曲や、アルバム用に私が急ごしらえしたボーナストラックをまとめてアルバムを作っていった。

ボーナストラックを多用していたのはニューロティカというベテランパンクバンドの初期の作品に強い影響を受けていたからである。またハードコアパンクの先輩でフィッシュロックバンド漁港やレスザンTVの影響もあり、その頃は、CDの中にふざけた要素がないとダメだと思っていた。赤い疑惑というシリアスな感じのするバンド名のイメージをどんどんぶっ壊したい、という気持ちがあったこともそんな風にさせたのかもしれない。

さて、そのボーナストラックには、夢に向かって生きるフリーターを、サラリーマンがけちょんけちょんにバカにする寸劇や、レゲエ映画「ロッカーズ」に影響を受けまくって作ったナイヤビンギ(太鼓を中心にしたラスタファリアンの儀式音楽)風の曲、そして新宿の街を、ライブでの登場さながらにお囃子しながら手を叩き、歌い練り歩くという、謎のフィールドレコーディングのトラックなどを入れた。

この路上デモのような録音を入れたのには、自分達の音楽をストリート系として位置づけたい、というヒップホップかぶれな思惑があった。普段ライブの登場でやっているオリジナルアカペラお囃子で、新宿を練り歩いたらさぞかしみんなビックリするであろう。ただそれだけのことであった。

当日は撮影隊のオーヤン(後に大変有名になる)の他、エキストラとして、大学からの腐れ縁であるイン研の連中や、ライブで声かけてくれた年下のお客さんなどが集まり、我々のお囃子にしっぽりとついてきてくれた。新宿アルタ前から始めて、東口に向かう横断歩道を渡り、中洲のような、あのステージがある辺りまで「わっわっわっ赤い疑惑!」というリズムで囃して行って最後にアカペラでハモって終わり。

改めてこの映像を見たところ大変迫力のない、三流サブカルバンドという趣きで赤面せざるを得ない内容だった。周囲の人々はビックリするどころか目を背けて素通りといった感じである(ジャケットのブックレットにその時の記念写真があるが、通行人の中で唯一我々のお囃子を面白がってくれたおばちゃんが1人映っている)。

とにかく、そのお囃子の録音データを9曲目に入れて、最後は今でも時々演奏している「何度だって立ち上がってやる」という曲を持ってきて10曲入りアルバムを作った。

この「何度だって立ち上がってやる」という曲ができたのは、とあるライブがきっかけだった。とにかく奇をてらう傾向の強かったその時期は、ライブでどれだけ変なインパクトをお客さんに与えられるか、というようなことばかり考えていたため、際どいことをMCで言ってみたり、ややもすると毒づいたり、そんなことがちょこちょこあったようである。その上に酔いすぎて演奏がめちゃくちゃだったり、とにかく空回りが激しかったり。

それで、その日は馴染みの大学のイン研の連中がライブに来ていて、ライブ後の打ち上げで私は散々みんなにディスられたのだ。具体的にどんな風に非難されたか覚えてないが、とにかく、今日のライブは最悪だった、という訳である。私はそこまで言われるのは初めてだったので正直凹んだ。

腐れ縁のような何にも気にしないで語り合える連中だったからこそ言ってくれたディスである。何度も赤い疑惑を応援してライブに来てくれている連中でもある。酷いライブで彼らも恥ずかしかったのだろう。それはわかった。それはわかったが、悔しくて悔しくて仕方なかった。

また丁度同じ頃、私が反町のビーチボーイズに号泣した折に天使のように私を温かく包み込んでくれた当時の彼女から、赤い疑惑を激しくディスられる、という事件があった。酒が好きで時々ネジが外れることのある人だったが、その日は夜中に泥酔状態で私の風呂なしのアパートにやってくるやいなや、赤い疑惑って一体何なのよっ、と激しい剣幕で私に迫るのだ。

訳が分からない状態でしどろもどろしていた私は最終的には、何でそんな酷いことを言うんだよ、とまたぞろ泣き出してしまう。オトナの男に突然泣かれ、俄かに我を取り戻した彼女が急に、泣かないでよ、そんなに傷つけるつもりじゃなかったんだから、と一転謝り出す始末。

直後に冷静になって話し合ったところ、彼女の古い飲み仲間のY(女性)に、あんたの彼のやってる赤い疑惑ってどんなバンドなん?とバカにするような感じで言われて、彼女は赤い疑惑のいいところを考えて伝えようと思ったのに全然うまく説明できなくて、悔しくて、私に八つ当たりしてきたようだった。だから彼氏のやってるバンドを応援したいのに、赤い疑惑の持ち味に彼女の価値観とリンクしない部分やノリがあるのを、酔った勢いで爆発させてきたのであった。

私がその頃強く意識していたハードコア根性や、アングラ精神、アウトローへの憧憬、訳のわからなさ、愚痴っぽさ、弱音、そういったものを面白いと思えない女性はむしろ普通かもしれない。音楽的なよさや、ユーモア性はさておき、赤い疑惑大好きなの、と女性が言いづらいようなオーラを纏っているかもしれないことは自分でも想像できた。

私はそういった、近い人からの厳しめの評価に、一時的に押しつぶされそうになっていた。音楽で成功しようと思って始まった、先の見えないフリーターライフを賭したバンド人生の第1関門だった。そして必死に考えていた。自分がバンドをやりたかったのは、みんなを元気にさせたいからじゃなかったかな。みんなを、うおー、って気持ちにさせて盛り上がりたいからじゃなかったかな。

アウトサイダーに憧れるあまり、自分の持ち味を腐らせている部分や、捻くれよう捻くれようとするあまりから回ってる部分や、シニカルになり過ぎたり愚痴っぽくなる傾向は、自分が本当に望んでることなのか。

いや、私はロックでもっとアゲていきたいんだ。自分もお客さんもアゲていきたい。そして私は、私をディスってくれた親しい連中の顔を想像しながら、彼らの心も身体も踊らせるような曲を作ってやろう、と思った。何度挫けても立ち上がってやろうじゃねえか、という心意気、自分への応援歌でもあるもの。

その想いと長時間のスタジオ練習が実って「何度だって立ち上がってやる」は完成した。我ながらよくできた曲だ。今まで作った曲の中でも群を抜いてポジティブなオーラに溢れている。ライブでの客の反応ですぐに分かった。この曲をラストに収録して遂に「東京フリーターブリーダー」が出来上がった。
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