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アクセルの意気地記 第20話 こと子と言葉

喋り始めるとホントにそれまでの幾倍も可愛くなりますよ、と以前同僚に言われたのを、私はまあそうでしょうね、とクールに聞き流し、落ち着いたフリを装っていた。が、いざ、娘が言葉を覚え、そして声に出して発話し始めた時の興奮は、私の想像を軽く越えていていた。何とも言われぬ。超絶いとおしい、とでも申そうか…。

感激してるのも束の間、こと子が、単語と単語を結びつけて文章にして声を発するようになるのに大して時間はかからなかった。保育園の影響も大いにあるのだろう。

この発話のメカニズムを分析すると、子どもは大人や周りの子どもの会話に耳をそばだて、どういう状況でどういう言葉や文章が話されているのかを注意深く観察する。そしてまず真似てみて、それが周りの人に理解されたことが分かると味をしめ、それらを覚え、のち応用し始める、という流れをたどっているように見える。

そのように思ったのには、私の(大して熱量のない)英語学習と、そのメカニズムがほとんど同じであると感じたからである。私は外国人が滞在するシェアハウスで物件管理の仕事をしているのだが、日常会話程度の簡単な英語力を求められる。働くのに、厳格な英語力の審査がある訳ではなく、海外旅行に行ったことがあり、ホントに片言でも、とにかく外国人と簡単なコミュニケーションができれば、まあ務まる仕事なのではあるが。

私は大学4年まで英語を学んでいたが、海外旅行に行って、初めて自分が全然英語が話せないことが分かり、ジェスチャーや度胸の重要性を噛み締めたクチだが、この仕事を始めて、以前よりは英語のヒアリングに少しは慣れてきたような気がする。

職場内にも外国人のスタッフが多いので、私はスタッフ同士の英語の会話や、お客さん同士の英語の会話などに耳を傾け、どういうシチュエーションでどういう言葉が使われるのかに耳をそばだてている。全然成長しないなぁ、と思っていたけど、初めて海外旅行に行った時と比べればある程度進歩したような気がするのだ。

そんな私の(不真面目ではあるが)英語の勉強と、こと子の言葉の吸収は、ノウハウがどうも似ている。1歳時の頃にこと子が「よいしょ」という言葉を比較的早い段階で覚えたのは、保育園の先生達がこと子を持ち上げる時によいしょ、よいしょと言ってたからに違いない、と踏んでいる。

よく会ったり、よく話したりする友人や同僚の言葉遣いが、気がついたら移ってしまった、なんてことがあるが、ゼロから言葉を覚える幼児にとっては周りに現れる全ての人が言葉の先生となる。だから保育園の園児や先生、それに私やピーさんが師となる訳だが、1番近くにいるピーさんの影響は当然大きくなっていて、ピーさんと同じイントネーションで、同じセリフをこと子が言ってきたりするのだから、それが可笑しい。

何か許可を求めた時の「うん、いいよ〜」、何かお願いした時の気の抜けた「はーいっ」という返事、私がヘンテコな表情をした時の「そ〜の、か〜おぉ」、などなどである。

言葉の先生になるのは人間だけじゃなくて、今の世代の子たちはインターネットやスマホの影響が計り知れないことは誰も否定しないはずである。ネットもスマホも、こと子は気づいたら大好物になってしまっていて、悲しいかな私もピーも、それぞれのレベルでなるべく見せないように努力をしている。

それでもとにかく便利なので時々見せる。その間に自分のことをやる、といった具合である。

しかし、そのこと子のケータイ(スマホ)への執着といったらなかなか凄いものがある。彼女にとってのケータイはアイフォーンの写真アプリのみなのであるが、1度開いたら1時間くらいは平気で見てる。写真アプリといっても好物は動画で、今まで私やピーさんが撮った動画を際限なく見返しているのだ。

スマホ世代とはよくいったものだが、タッチパネルの使い方などお手の物で、ダブルクリック、上下左右のスワイプ、大人が教えなくてもあっという間に使いこなしていること子がいる。動画を見ながら、私宛てのLINEが入って、小さなポップアップのメッセージが画面上部に表示されるや否や、それを人差し指でもって、スッと上へなぞって画面から消し去った、その所作を初めて見た時は驚いた(スティーブ・ジョブズはとんでもない利器を発明したものだ…)。

スマホやネットの依存はどうかと思う反面、親がそれらに依存している矛盾もあり、そういうものから言葉や社会のことを学べる側面も否めない。もちろん、活字好きの私としては絵本もないがしろにできないと感じているけどね。

何にせよ、自分の子が脳みそをフル回転させながら喋ったり、喋ろうとしたりする姿、そしてそのあどけない声色とたどたどしさ、それらは全てがいとおしいくくるおしい。

例えば、さっき帰宅した時、まだ靴も脱ぎ切らないで玄関に立っている私に、こと子は「あのね」と言ったのだが、うん、と相槌を打ったら、あのね(うん)…、スヌーピーのね(うん)、リュックにね(うん)、ハンバーグ入ってるの、とどっか明後日の方角を向いて一生懸命に言葉を探しては呟いた。そうなの? と、私は驚いて、そういえば昨日そのリュックの中にこと子と膨らんだ風船をいれたことを思い出し、はて、こと子は風船のことをハンバーグと言ってるのだろうか、と案じながらこと子のスヌーピーのリュックを鴨居から外して中を広げてみたら、昨日膨らんでいた風船が1/3ほどに縮んでいた。

また、さっきは遅い夕飯を食べている私のところに、プラスチック製の腕輪を右手と左手にぶら下げてやってきて、「どっちがいい?」と聞いてくるのである。左手のはオレンジで、右手のピンクのより一回り大きい。私は大人だし男だから左手のオレンジを指差し、こっちがいいな、と返答した。するとこと子はなんとしたものか、右手のピンクのを私の方に少し差し出して、「こっち?」と問いかけるのである。(いやいや)と私は鼻を鳴らし、「トトはこっちがいいな(私はトトと呼ばれている)」ともう1度オレンジの方を、今度は手に持って触ってみると、こと子は、そんなことは聞こえない風な顔をして、「こっち?…こっち?」と、またピンクの方を私に差し出してくるのであった。

と、まあ、こんな感じでこと子との会話は、毎度腹の底から可笑しくなったり、いとおしくなったりするのである。

私は子供を持つまで、この、「いとおしい」というのが、どういう感情なのか分からなかったが、子どもに対して湧き上がってくる感情は、当然今まで体験したことのないもので、「いとおしい」というのはこういう感覚なのかもしれない、と気づいた。覚えたての言葉を1語1語一生懸命喋る子どもの姿はホントにいとおしいものである。
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