アクセルの意気地記 第23話 いこいの森公園にて
その日は休日で、掃除、洗濯、片付け業務などを淡々とこなした。遅めの昼食を済ませると、すでに15時を過ぎようとしている。天気も良いので私は公園に行こうと考え始めた。
自宅から15分程歩いたところにいこいの森公園という、割りと最近できた大きめな公園があるのだ。どうせ行くならギターを持って行こう。そこでこと子に、公園行こうか、と聞くと、うん、行く、とあっさり賛同した。
このやり取りを側で聞いていたピーさんはスマホ中なのかリアクションがない。これは無理に誘うよりこと子と2人で出かけてピーさんに1人の時間を作ってやるのがいいだろう、とそう考えた。
ギターを背負いこと子を誘う。玄関を出てバギーを持って行こうとすると、こと子は、歩く、と主張する。帰りのこともあるので、それでもバギーを手にすると、今度は、乗る、と手のひらを返す。私はホッとしてバギーを押して歩き出す。いこいの森までこと子のペースで歩いたら30分近くもかかってしまうのだから。
ローソンのある武蔵境通りに出て右折。まっすぐひばりヶ丘方面に進む。この辺は左手に広大な東大農場の敷地が広がっており大変空が広い。タイミングが良ければパノラマに近い夕陽を拝むこともできる。
途中、公園手前のファミマに入る。公園で日中にギターとくりゃビールがほしい。350ml1缶でいいんだ。しかしコンビニに入れば何か買ってもらえるという条件反射を身につけていること子にも何かを買わねば…。
アレルギー対策で添加物や乳製品、砂糖過多な飲み物はNGにしている。そうなると水かお茶が無難なところだが、それだとこと子が聞かない。中庸とって野菜ジュース。野菜ジュースだけでも何種も並んでいるが成分表示上余計な添加物の少ないものを探す。ツマミはむき甘栗。これは塩も砂糖も添加物も入ってない。
張り切って公園に向かうと、通用路となる石畳みの道沿いに河津桜が満開に咲いている。濃いピンクがはち切れんばかりである。
「ほら、コッピ、河津桜だよ。咲いてるねぇ」
「カワヅザクラ?」
今、こと子は知らない言葉が出てくるとおうむ返しして語尾を上げる。語尾を上げられたら私は適当に、うん、と答えるだけだ。
公園の入り口にはスケーターが集うスケート広場や運動場、管理事務所、遊具広場などが並んでいる。その先に芝生敷きのエリアがずっと奥まで広がり、両脇は樹々と金網とが外界とを隔てている。左手には広大な東大農場、右手には竣工からそう経っていないだろう新しいマンションが聳えている。
これまで何度か友人を誘い、この芝生の上でピクニックを楽しんできた。そして今日も同様に、入り口からさして遠くない位置に狙いを定め、敷物を敷いてギターをおろした。
ビールと野菜ジュースを取り出してこと子と乾杯。すかさず剥きグリを取り出す。口にほうばると甘みがジワっと広がって美味い。あんまり買わないけど美味いよねこれ。食い意地旺盛なこと子も負けじと剥きグリの袋に手を突っ込んで食べる。恐らくこの手の剥きグリを食べるのは初めてじゃないかな。
「おいしい?」
「うん、おいしい」
こと子はいつも誰かに言わされてるかのようなトーンでおいしいと答える。それがなんかいい。
酒のつまみとしては甘いし、格好のものではないが、私はこと子のペースに負けないように袋に手を突っ込む。こと子も気に入ったようで次から次へとクリをほうばるのですぐになくなってしまった。私は手を拭いてギターを取り出した。
ポロンと音を出すとすぐにこと子が「だけどもやって」と私に迫る。これは想定内の反応だ。こと子は私の弾き語りの「幸せは君の疫病神」という曲をやってくれ、と言っているのである。歌詞の中に「だけども今でもどうにかこうにか」というフレーズが出てくるのだが、その歌い回しが気に入っているのか、曲名のように「だけども」と呼んでくれている。家でギターの練習をしようとギターを取り出すと、最近では必ずこの曲をリクエストされるのだ。
リクエストにお応えして私はその曲を演奏し始める。1人で練習してるのと変わらないようにも思えるが、たとえ我が娘1人だけだとしても、聴いてくれる相手がいるというのは心持ちが違う。私は上機嫌になる。
しかし、「だけども」が終わって、別の曲を弾き始めるとすぐにこと子は退屈し始める。これも想定内のことであった。
「ゾウさん乗る」
とこと子が言い出した。
はて、それは遊具広場にあるバネ付きの乗り物のことかな。
確かにあそこの遊具広場にはゾウと虎とリスだかアライグマだかのバネ遊具が3つ並んでいたな。思い出した私は
「ゾウさん、あそこの広場にあったね。トト(私のこと)ここいるから、遊んできていいよ」
と伝えた。口から出たと同時に、私は娘を試すつもりになっているのに気づいた。
ここから遊具広場はちょっとした樹木の茂みに隠れて見えないが、距離は大したことない。走れば数十秒で確認に行ける程だ。とはいえこと子は親目から離れて遊ぶことは、例えば友人やなんか、誰か見てくれる人がいる場合以外経験したことがない。でもすぐそこだし大丈夫じゃないか、こういう機会を経て子どもも成長するんじゃないか。
ビールで酔ってるせいなのか、私はそう軽く考えて、遊んできていいよ、と言ったのだ。とはいえこういう場合、こと子が1人で行くことはなく、「いやん、一緒に!」とごねられて大体同行するのだが、この時は「うん、じゃあ行ってくる」と、活き活きした返事が返ってきたのだ。
私は、逆に大丈夫かな、と僅かに心配したが、靴を履いていそいそと準備してること子を見て、大丈夫だろう、と思った。それにこと子は10mくらい歩いたところでこちらを振り返り、「トトはここで待ってるんだよ!」と、親が子どもに言い聞かせるような忠告をしてくれるのであった。これを聞いて安心した私は、こと子が樹木の茂みの陰に見えなくなるのを、ギターを弾き、歌いながら見送った。
そらから3曲くらい弾き語りの練習を続けていたが、斜陽の加減で空が若干暗くなってきた気がし、こと子のことが急に気になりだした。ギターをしまい遊具広場に早足で歩いた。急ぎつつも、マイペースなこと子は1人で真剣に遊んでいるだろう、と想像していた。
茂みを通り過ぎて遊具広場に目を向けると思わぬ光景が待ち構えていた。遊具に囲まれた砂場の脇で、泣いてること子を中心に子ども6、7人、そして親御さん2、3人が輪になってこと子に話しかけているのである。いけねー、コレは完全にヤラかしだ、と慌てて私は「すいません、ウチの子ですー!」と大きい声を出しながら駆け寄った。
その時私に投げかけられた彼らからの視線は恐ろしく冷たいものだった。まるで、汚らしいモノでも見るかのような蔑みの表情である。子どもたちも、親御さんたちの私に対する態度と似たような、異界のモノを眺めるような視線を私に向けていた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません、どうもどうも…」
頭をかきながらも私は円の中に入っていった。
「泣いてましたよ…」
その中の1人の親御さんがとても冷淡に私に言い放った。いやあ、すいません、と何度も頭を下げながらも、その苦言を耳にして私の心は何だか反抗的な気持ちになってきた。
何だい、確かに我が娘を放ったらかしてビール飲んで呑気にギター弾いてたオヤジの私に非はあるのだろう。だけどそんな眼で睨までもいいではないか。私は頭を下げながらもこと子を回収し、抱えて輪の外へ出た。
私は小さい頃からみんなと違うことをしようとしたり、天邪鬼だったり、目立とうとしたり、物心ついてからはそういうことを意識的にやったりして生きてきた。親になって丸くなったかな、と思っていたけど、こういう状況に直面すると脱線してしまいたくなる。こういう能天気な親もいるんだ、変わったヤツもいるんだ、と世間に表明してみせたくなる。そうじゃないとあーしなきゃいけない、こーしなきゃいけない、で世間は窮屈になる。
いい加減な親に見えたかもしれないが、そんなオヤジでも娘とは実はこんなに仲良しなんだぞ、ということを彼らにアピールしようと反旗を翻した私は、やたらわざとらしくポジティブな感じでこと子と遊び始めた。
すぐに機嫌を取り戻したこと子はゾウさんにも乗ったし、私などは虎さんに乗ってバッタンバッタンとしたりした。飛び石の様に配置された、作り付けの切株の遊具に乗って、キャッ、キャとこと子とはしゃいだりした。しかし私の頑張りも虚しく、周囲にいた家族たちは我々に目もくれず三々五々散って行ってしまった。ちょっ、と舌打ちをしてこと子と芝生に戻り、(そういえばあの時彼らにギターを見られなくてよかったな)などと思いながら私は帰り支度を始めた。
自宅から15分程歩いたところにいこいの森公園という、割りと最近できた大きめな公園があるのだ。どうせ行くならギターを持って行こう。そこでこと子に、公園行こうか、と聞くと、うん、行く、とあっさり賛同した。
このやり取りを側で聞いていたピーさんはスマホ中なのかリアクションがない。これは無理に誘うよりこと子と2人で出かけてピーさんに1人の時間を作ってやるのがいいだろう、とそう考えた。
ギターを背負いこと子を誘う。玄関を出てバギーを持って行こうとすると、こと子は、歩く、と主張する。帰りのこともあるので、それでもバギーを手にすると、今度は、乗る、と手のひらを返す。私はホッとしてバギーを押して歩き出す。いこいの森までこと子のペースで歩いたら30分近くもかかってしまうのだから。
ローソンのある武蔵境通りに出て右折。まっすぐひばりヶ丘方面に進む。この辺は左手に広大な東大農場の敷地が広がっており大変空が広い。タイミングが良ければパノラマに近い夕陽を拝むこともできる。
途中、公園手前のファミマに入る。公園で日中にギターとくりゃビールがほしい。350ml1缶でいいんだ。しかしコンビニに入れば何か買ってもらえるという条件反射を身につけていること子にも何かを買わねば…。
アレルギー対策で添加物や乳製品、砂糖過多な飲み物はNGにしている。そうなると水かお茶が無難なところだが、それだとこと子が聞かない。中庸とって野菜ジュース。野菜ジュースだけでも何種も並んでいるが成分表示上余計な添加物の少ないものを探す。ツマミはむき甘栗。これは塩も砂糖も添加物も入ってない。
張り切って公園に向かうと、通用路となる石畳みの道沿いに河津桜が満開に咲いている。濃いピンクがはち切れんばかりである。
「ほら、コッピ、河津桜だよ。咲いてるねぇ」
「カワヅザクラ?」
今、こと子は知らない言葉が出てくるとおうむ返しして語尾を上げる。語尾を上げられたら私は適当に、うん、と答えるだけだ。
公園の入り口にはスケーターが集うスケート広場や運動場、管理事務所、遊具広場などが並んでいる。その先に芝生敷きのエリアがずっと奥まで広がり、両脇は樹々と金網とが外界とを隔てている。左手には広大な東大農場、右手には竣工からそう経っていないだろう新しいマンションが聳えている。
これまで何度か友人を誘い、この芝生の上でピクニックを楽しんできた。そして今日も同様に、入り口からさして遠くない位置に狙いを定め、敷物を敷いてギターをおろした。
ビールと野菜ジュースを取り出してこと子と乾杯。すかさず剥きグリを取り出す。口にほうばると甘みがジワっと広がって美味い。あんまり買わないけど美味いよねこれ。食い意地旺盛なこと子も負けじと剥きグリの袋に手を突っ込んで食べる。恐らくこの手の剥きグリを食べるのは初めてじゃないかな。
「おいしい?」
「うん、おいしい」
こと子はいつも誰かに言わされてるかのようなトーンでおいしいと答える。それがなんかいい。
酒のつまみとしては甘いし、格好のものではないが、私はこと子のペースに負けないように袋に手を突っ込む。こと子も気に入ったようで次から次へとクリをほうばるのですぐになくなってしまった。私は手を拭いてギターを取り出した。
ポロンと音を出すとすぐにこと子が「だけどもやって」と私に迫る。これは想定内の反応だ。こと子は私の弾き語りの「幸せは君の疫病神」という曲をやってくれ、と言っているのである。歌詞の中に「だけども今でもどうにかこうにか」というフレーズが出てくるのだが、その歌い回しが気に入っているのか、曲名のように「だけども」と呼んでくれている。家でギターの練習をしようとギターを取り出すと、最近では必ずこの曲をリクエストされるのだ。
リクエストにお応えして私はその曲を演奏し始める。1人で練習してるのと変わらないようにも思えるが、たとえ我が娘1人だけだとしても、聴いてくれる相手がいるというのは心持ちが違う。私は上機嫌になる。
しかし、「だけども」が終わって、別の曲を弾き始めるとすぐにこと子は退屈し始める。これも想定内のことであった。
「ゾウさん乗る」
とこと子が言い出した。
はて、それは遊具広場にあるバネ付きの乗り物のことかな。
確かにあそこの遊具広場にはゾウと虎とリスだかアライグマだかのバネ遊具が3つ並んでいたな。思い出した私は
「ゾウさん、あそこの広場にあったね。トト(私のこと)ここいるから、遊んできていいよ」
と伝えた。口から出たと同時に、私は娘を試すつもりになっているのに気づいた。
ここから遊具広場はちょっとした樹木の茂みに隠れて見えないが、距離は大したことない。走れば数十秒で確認に行ける程だ。とはいえこと子は親目から離れて遊ぶことは、例えば友人やなんか、誰か見てくれる人がいる場合以外経験したことがない。でもすぐそこだし大丈夫じゃないか、こういう機会を経て子どもも成長するんじゃないか。
ビールで酔ってるせいなのか、私はそう軽く考えて、遊んできていいよ、と言ったのだ。とはいえこういう場合、こと子が1人で行くことはなく、「いやん、一緒に!」とごねられて大体同行するのだが、この時は「うん、じゃあ行ってくる」と、活き活きした返事が返ってきたのだ。
私は、逆に大丈夫かな、と僅かに心配したが、靴を履いていそいそと準備してること子を見て、大丈夫だろう、と思った。それにこと子は10mくらい歩いたところでこちらを振り返り、「トトはここで待ってるんだよ!」と、親が子どもに言い聞かせるような忠告をしてくれるのであった。これを聞いて安心した私は、こと子が樹木の茂みの陰に見えなくなるのを、ギターを弾き、歌いながら見送った。
そらから3曲くらい弾き語りの練習を続けていたが、斜陽の加減で空が若干暗くなってきた気がし、こと子のことが急に気になりだした。ギターをしまい遊具広場に早足で歩いた。急ぎつつも、マイペースなこと子は1人で真剣に遊んでいるだろう、と想像していた。
茂みを通り過ぎて遊具広場に目を向けると思わぬ光景が待ち構えていた。遊具に囲まれた砂場の脇で、泣いてること子を中心に子ども6、7人、そして親御さん2、3人が輪になってこと子に話しかけているのである。いけねー、コレは完全にヤラかしだ、と慌てて私は「すいません、ウチの子ですー!」と大きい声を出しながら駆け寄った。
その時私に投げかけられた彼らからの視線は恐ろしく冷たいものだった。まるで、汚らしいモノでも見るかのような蔑みの表情である。子どもたちも、親御さんたちの私に対する態度と似たような、異界のモノを眺めるような視線を私に向けていた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません、どうもどうも…」
頭をかきながらも私は円の中に入っていった。
「泣いてましたよ…」
その中の1人の親御さんがとても冷淡に私に言い放った。いやあ、すいません、と何度も頭を下げながらも、その苦言を耳にして私の心は何だか反抗的な気持ちになってきた。
何だい、確かに我が娘を放ったらかしてビール飲んで呑気にギター弾いてたオヤジの私に非はあるのだろう。だけどそんな眼で睨までもいいではないか。私は頭を下げながらもこと子を回収し、抱えて輪の外へ出た。
私は小さい頃からみんなと違うことをしようとしたり、天邪鬼だったり、目立とうとしたり、物心ついてからはそういうことを意識的にやったりして生きてきた。親になって丸くなったかな、と思っていたけど、こういう状況に直面すると脱線してしまいたくなる。こういう能天気な親もいるんだ、変わったヤツもいるんだ、と世間に表明してみせたくなる。そうじゃないとあーしなきゃいけない、こーしなきゃいけない、で世間は窮屈になる。
いい加減な親に見えたかもしれないが、そんなオヤジでも娘とは実はこんなに仲良しなんだぞ、ということを彼らにアピールしようと反旗を翻した私は、やたらわざとらしくポジティブな感じでこと子と遊び始めた。
すぐに機嫌を取り戻したこと子はゾウさんにも乗ったし、私などは虎さんに乗ってバッタンバッタンとしたりした。飛び石の様に配置された、作り付けの切株の遊具に乗って、キャッ、キャとこと子とはしゃいだりした。しかし私の頑張りも虚しく、周囲にいた家族たちは我々に目もくれず三々五々散って行ってしまった。ちょっ、と舌打ちをしてこと子と芝生に戻り、(そういえばあの時彼らにギターを見られなくてよかったな)などと思いながら私は帰り支度を始めた。
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