味覚
好きな食べ物は何かという質問がある。自分の好きな食べ物を想像する訳だからわくわくするような質問である。力まずに楽しめる会話であり、聞く方もわくわくするが、大人になると普段は余程のことがないとそんな質問はしないしされない。
子どもの頃は自己紹介などで、好きな食べ物に触れられることがよくあった気がする。私は何と答えていただろうか。フルーツポンチ、どら焼き、カステラ、ミートソーススパゲティ。少し大きくなってから、私がはっきりと記憶してるのは麻婆豆腐である。
私が高校生の時、世間ではイタ飯ブームが起こり、私はスパゲティ(いつからパスタと呼ぶようになった?)の美味さに衝撃を受け、特にミートソースは大好きで、それで始めて料理に興味を持って自分で作るようになった(その勢いもあって大学1年の時、吉祥寺にあるイタ飯屋のキッチンでバイトした)。
丁度その、料理に興味を持ち出した頃、ミートソースに並んで、好きで時々自分でも作るようになったのが麻婆豆腐だ。ニンニクとショウガのみじん切りを油で炒め、具材より先に豆板醤と甜麺醤、コチュジャンをぶち込み、先に強い香りを出すのが私が参考にしたレシピだった(仕上げ時、鍋肌にごま油を回し入れるのもポイント)。ミートソースも麻婆豆腐も挽き肉料理で、つまり私は挽き肉が好きだったのかもしれない。
私が作ったミートソースも麻婆豆腐も、家族に美味しいと言われ、少し調子に乗った。それ以降料理は私の趣味の1つになっていった。
しかし、今回書こうと思ったのは料理の話や、好きな食べ物の話ではなくて、味覚についてなのだった。その、好きな食べ物は何、と聞かれた時に、記憶している限り私は麻婆豆腐と答えていたのであるが、それが大人になってから、麻婆豆腐は美味しいけど、それが1番好きな食べ物だろうか、というと分からなくなってくる、という感じになってきたのだ。要するに舌の好みというのは意外と曖昧で、常に変わるものだろう、ということなのだ。
麻婆豆腐が嫌いになる訳ではないのだが、自分でも料理をするようになったり、和食、洋食、アジア料理と、いろんな料理を食べる機会が増えてくると当然選択範囲は広がり始め、好きな食べ物といえば、アレも好きだし、コレも美味しいし、となってきて、1つに絞るのがバカらしくさえ思えてくるのだった。
また、大人になって、子供の頃苦手だった食べ物の旨味に気づくことがある。私の場合はシイタケやインゲンなんかがそうなのだが、地味な和食、例えばひじき煮やきんぴら、白和え、菜っ葉の胡麻和え。酒が飲めるようになれば、当然ガキのころはその旨みを想像もし得なかったような、ぬただとか木の芽和えだとか、銀杏だとか。
そんな風になってくるので好きな食べ物を1つ選ぶなんてことはやっぱりバカらしくなってくるではないか。それにその時の胃腸の具合や体調次第で舌が感ずる味わいが変わってくる、なんてことも歳を重ねると気づいてしまったりする。腹ペコで食べる何かと、満腹でさらに口にする何かでは感じられる美味さが異なってくるのも当然だろう。
味覚というのも千差万別だから、舌の経験値が高い人には深い料理の味わいが分かるだろうが、例えばいつも化学調味料がベースになった出来合いの惣菜とかコンビニ飯に慣れてる人は凝った料理の美味しさが分からない、なんていうようなこともあるだろう。これは音楽と一緒でいろんな音楽を聞き込んだ人の言う傑作を、歌謡曲しか聴かない人に聴かせてみてもピンとこないのと同じである。
さて、私は子供の頃、先にも書いたが、どら焼きやカステラが好きだった。菓子の中でも特別に好きだったので周りにも公言していたのを覚えているし、それで親が買っておいてくれることもしばしばあった。もちろんおはぎや団子も好きで、アンコが好きだったことに変わりはなく、成人して以降も自分でアンコを炊く、なんてこともやったりしていた(こんなに砂糖を沢山使ってるのか、とアンコのレシピを知って驚愕もした)し、アンコドットコムというホームページを作りたい、なんていう妄想をした時期もあったほどである。
然るに味覚、舌の欲求は長続きしないから、アンコブームは一過性で、30代になってからはアンコの甘さに若干飽きてしまい、何かのはずみで食べると美味いが、進んで買って、ということが少なくなった。
数年前、妻の実家で、その土地の名物でもあるらしいバターどら焼き(現地ではバターどらという名称で親しまれている)というのを食べた。その時私は話頭を得るために義母に「僕どら焼き好きなんですよ」と漏らしてしまった。言ってから(どら焼き好きだったんですよ、の方が良かったかも)と思ったが、深くは考えなかった。
バターどらはアンコの上の層にバターが挟まった逸品で確かに美味しいかもしれない。しかし、私は初めてそれを食べた時、美味しいかもしれないけどバターの油身とアンコの甘みがしつこいかもしれない、とも思った。(これは一個で十分だ)と思った。
それからしばらく経ってから妻の実家からの荷物の中にバターどらが箱で入っていた。何個入りだったか覚えてないが10個前後はあっただろう。私は呆然とした。バターどらはナマモノなので賞味期限が2、3日しかなかった。私は義母の老婆心に感謝しつつも、好きな食べ物を答えることに関してその時ほど恨めしい気持ちになったことはなかった。
子どもの頃は自己紹介などで、好きな食べ物に触れられることがよくあった気がする。私は何と答えていただろうか。フルーツポンチ、どら焼き、カステラ、ミートソーススパゲティ。少し大きくなってから、私がはっきりと記憶してるのは麻婆豆腐である。
私が高校生の時、世間ではイタ飯ブームが起こり、私はスパゲティ(いつからパスタと呼ぶようになった?)の美味さに衝撃を受け、特にミートソースは大好きで、それで始めて料理に興味を持って自分で作るようになった(その勢いもあって大学1年の時、吉祥寺にあるイタ飯屋のキッチンでバイトした)。
丁度その、料理に興味を持ち出した頃、ミートソースに並んで、好きで時々自分でも作るようになったのが麻婆豆腐だ。ニンニクとショウガのみじん切りを油で炒め、具材より先に豆板醤と甜麺醤、コチュジャンをぶち込み、先に強い香りを出すのが私が参考にしたレシピだった(仕上げ時、鍋肌にごま油を回し入れるのもポイント)。ミートソースも麻婆豆腐も挽き肉料理で、つまり私は挽き肉が好きだったのかもしれない。
私が作ったミートソースも麻婆豆腐も、家族に美味しいと言われ、少し調子に乗った。それ以降料理は私の趣味の1つになっていった。
しかし、今回書こうと思ったのは料理の話や、好きな食べ物の話ではなくて、味覚についてなのだった。その、好きな食べ物は何、と聞かれた時に、記憶している限り私は麻婆豆腐と答えていたのであるが、それが大人になってから、麻婆豆腐は美味しいけど、それが1番好きな食べ物だろうか、というと分からなくなってくる、という感じになってきたのだ。要するに舌の好みというのは意外と曖昧で、常に変わるものだろう、ということなのだ。
麻婆豆腐が嫌いになる訳ではないのだが、自分でも料理をするようになったり、和食、洋食、アジア料理と、いろんな料理を食べる機会が増えてくると当然選択範囲は広がり始め、好きな食べ物といえば、アレも好きだし、コレも美味しいし、となってきて、1つに絞るのがバカらしくさえ思えてくるのだった。
また、大人になって、子供の頃苦手だった食べ物の旨味に気づくことがある。私の場合はシイタケやインゲンなんかがそうなのだが、地味な和食、例えばひじき煮やきんぴら、白和え、菜っ葉の胡麻和え。酒が飲めるようになれば、当然ガキのころはその旨みを想像もし得なかったような、ぬただとか木の芽和えだとか、銀杏だとか。
そんな風になってくるので好きな食べ物を1つ選ぶなんてことはやっぱりバカらしくなってくるではないか。それにその時の胃腸の具合や体調次第で舌が感ずる味わいが変わってくる、なんてことも歳を重ねると気づいてしまったりする。腹ペコで食べる何かと、満腹でさらに口にする何かでは感じられる美味さが異なってくるのも当然だろう。
味覚というのも千差万別だから、舌の経験値が高い人には深い料理の味わいが分かるだろうが、例えばいつも化学調味料がベースになった出来合いの惣菜とかコンビニ飯に慣れてる人は凝った料理の美味しさが分からない、なんていうようなこともあるだろう。これは音楽と一緒でいろんな音楽を聞き込んだ人の言う傑作を、歌謡曲しか聴かない人に聴かせてみてもピンとこないのと同じである。
さて、私は子供の頃、先にも書いたが、どら焼きやカステラが好きだった。菓子の中でも特別に好きだったので周りにも公言していたのを覚えているし、それで親が買っておいてくれることもしばしばあった。もちろんおはぎや団子も好きで、アンコが好きだったことに変わりはなく、成人して以降も自分でアンコを炊く、なんてこともやったりしていた(こんなに砂糖を沢山使ってるのか、とアンコのレシピを知って驚愕もした)し、アンコドットコムというホームページを作りたい、なんていう妄想をした時期もあったほどである。
然るに味覚、舌の欲求は長続きしないから、アンコブームは一過性で、30代になってからはアンコの甘さに若干飽きてしまい、何かのはずみで食べると美味いが、進んで買って、ということが少なくなった。
数年前、妻の実家で、その土地の名物でもあるらしいバターどら焼き(現地ではバターどらという名称で親しまれている)というのを食べた。その時私は話頭を得るために義母に「僕どら焼き好きなんですよ」と漏らしてしまった。言ってから(どら焼き好きだったんですよ、の方が良かったかも)と思ったが、深くは考えなかった。
バターどらはアンコの上の層にバターが挟まった逸品で確かに美味しいかもしれない。しかし、私は初めてそれを食べた時、美味しいかもしれないけどバターの油身とアンコの甘みがしつこいかもしれない、とも思った。(これは一個で十分だ)と思った。
それからしばらく経ってから妻の実家からの荷物の中にバターどらが箱で入っていた。何個入りだったか覚えてないが10個前後はあっただろう。私は呆然とした。バターどらはナマモノなので賞味期限が2、3日しかなかった。私は義母の老婆心に感謝しつつも、好きな食べ物を答えることに関してその時ほど恨めしい気持ちになったことはなかった。
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