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アクセルの意気地記 第28話 コロナ禍の私たち

2020年の3月上旬、長尾家は台湾への家族旅行を予定していた。ピーのお腹には次女が待機していて5月出産予定。そんな時期に、という感じであったが、私とピーで(今行かなかったらもう行く機会がしばらくないかも)という懸念が強まり、半ば強行しようとしていた。

ところが、1月から徐々に話頭に登っていたコロナウィルスの感染被害が2月中も世界で広がっていて、2月の下旬には台湾政府が緊急アナウンスメントを発表した。海外から台湾に入国する渡航者に対する要請等であったが、入国後の日々の行動記録や体温管理、健康管理の徹底が盛り込まれており、どうも観光を楽しめる状況ではなくなってきているようだった。まさかの事態ではあるが、我々は様々な不安材料を案じて旅行を断念する決断をした。

折角抑えた航空券のキャンセルに関して、我々は予想だにしない損失を被ることになったが育児と関係ないので割愛。旅行断念の直後、3/13には赤い疑惑のライブ予定があったが、主催者はライブ開催の可否で悩んでいる旨を知った。その頃にはコロナ被害は日本でも大分騒がれ出していて、人が密集するライブハウスは早い段階から警戒を求められていた。結局ライブは開催されたが、その時点で社会に不穏な、閉塞的な空気が流れ込んできているのを感じない訳にはいかなかった。

そのような最中、3月中旬から下旬にかけて長尾家は、埼玉県比企郡小川町という土地に、今年1月に内見してみつけたとても素敵な中古物件を、遂に購入契約しようとしていた。これは前年の冬から急激に持ち上がり、私とピーの前のめりな勢いで一気呵成に進められていた一大移住計画の成果なのであった。2人目の子が生まれてくることが事実として迫る中、手狭になるであろう現在の賃貸アパートから、いずれは引っ越さねばならぬ必然性は、特に子育てに私よりも時間を割くことになるであろうピーにとっては早急に解決したい焦燥感からくるものであった。

新しい住処を見つけたのはよかったが、コロナの進撃は勢いを増してきて、4月中旬に予定していたピーさんの里帰り計画が危ぶまれ出した。感染者数の増加を知って心配を深めた山形の義母が、「帰るなら早めに帰って来い!」と騒ぎ出して、心構えが整ってない我々は焦ったが、感染のリスクを考えると義母の言うことに異論を挟む余地はなさそうだった。私も、この未知の、眼に見えないウィルスの蔓延に恐れをなし、妻子の早めの里帰り計画は急ごしらえで進められ、4/4、私は2人を車で山形の実家に送り届けた。既に都内からの移動は傍目を気にしなければならない段階に突入しており、私も不安に苛まれた。

この数ヶ月の間、こと子が今まで以上に私に懐くようになり、ママ大好き、というのと合わせてトト大好き(私の呼称はトト、パパ、父ちゃんの3種からランダムに選ばれる)と頻繁に抱きついてくるようになっていたので、私は里帰りでしばらくお互いが会えなくなる事態にこと子が取り乱さないか心配だった。それで、急に繰り上がった里帰りの日が近づく数日前から、いついつからこと子はママとお姉ちゃん(姪っ子達)達の家に行くんだよ、と言い含めるように聞かせた。こと子は、うん、と言って、また従姉妹達と遊べる近い未来を悟り、喜びを隠さなかったが、同時に「パパは?」という質問も忘れないくらいに成長していた。

「パパは別々で東京にいるんだよ」と教えると、こと子は不満そうに「やだ!」というので意味が伝わったのだな、と思う反面狼狽えた。やでも何でもこの後そうせざるを得ない状況がやってくるのだ。こと子に説明しながら、このマイスイートハートともうすぐ別々に暮らさなければいけなくなる未来に現実感が肉付けされ、私も動揺した。

当初中旬に予定されてた里帰り日は4/4へと繰り上げられた。山形の実家に着くと、早速こと子は従姉妹達とそれは楽しそうにはしゃぎ出した。3姉妹の末っ子キッピはこと子と年が近いので、とりわけ仲良くしており私は姪達の存在が頼もしかった。川西の実家には大きいガレージがあり、東京ナンバーの車はガレージにかくまわれた。東京からの来客が近隣に知られると厄介なので、という配慮である。

その晩は家族3人で横並びに寝たが、翌日は午後出勤になっていたので早朝に帰途に就かねばならなかった。別れ際、こと子は平常で、ホントにこれから別れ別れになることを理解しているとは思えなかったが辛い空気になるよりよかった。私は車を飛ばして東京に戻った。

4/6から東京に緊急事態宣言が宣告され、町の景色が変わり始めた。私の職場も出勤人数を調整する、と言い始め、週5勤務から週3日、または週2日しか仕事に行かなくていいようになった。周囲は皆動揺していたが、私には引越しと新居のリフォームという重大行事が控えていたため、臨時の休日は片付けと荷造り、荷物の運搬、古いお風呂の解体などに当てられたため私としてはラッキーだった。

その間数日置きにピーさんと電話で話していたが、こと子は従姉妹達と楽しくやっていて大丈夫そうだ、とのことだった。電話の途中でこと子に代わると「今ねぇねと遊んでたよー」と言う。そして私に毎回「今新しいオイチ(お家)にいるの?」「古いオイチ(お家)にいるの?」と尋ねるのだった。こと子は帰省前に2、3度新居の方にも行っていたので、住む家が変わる、ということは理解しているようだった。

4/21には全ての荷物をアパートから運び出し、大家さんに挨拶をした。こと子の出産前に父との同居プロジェクトがあり、それが私と父との喧嘩で崩壊してまたこのアパートに戻るというドタバタ劇が勃発したため途中1週間ほど空白期間があったが、結婚後今まで約7年半の楽しい思い出が詰め込まれた我が家との別れは惜しかった。誰か知ってる人がこの後住んでくれればまた来れるのにね、とピーと冗談で話していた。それくらい愛着のあるアパートだった。

アパートを引き払い新居の浴室がリフォームできるまでの間、私は実家にパラサイトすることにした。父は晩酌の相手ができるので歓迎ムードだった。そして、里帰りから1ヶ月が経とうとする5/1、オヤジと近所の友人夫妻と酒を呑んで盛り上がっていた23時過ぎ、ピーさんから着信があった。こんな時間に? と訝しんで出ると受話器の向こうでは大号泣すること子の声が鳴り響いている。

どうやらホームシックになったらしく、「おうちに帰りたい」「パパと一緒に遊びたい」ということを嗚咽の合間にやっと絞り出すのが精いっぱいで、後はずっと泣いていた。私は「あと何日したら会えるから!」と励ましたかったが、具体的な約束ができる状況じゃないので「大丈夫だよ、こと子…」と、泣き声の合間に呟くことしか出来なかった。

電話の様子をすぐに察知した父と友人夫妻は会話をやめ、スマホを握って黙る私を心配そうに見つめ、父は酔いの流れに押されてもらい泣きしていた。数十分こと子の悲鳴にも思える泣き声を聞いて、とにかくこまめに電話をしようとピーと話して電話を切った。

ピーさん曰く「今日布団に入ってすぐ、〈トトと住みたい〉〈ここはネネたちの家だもん〉と言って堰を切ったように泣き出し」たのだそうだ。ここは楽しいけど自分のお家じゃない、ということをもうすぐ4歳になること子は、ふと思い出したように、幼いながらに感じ取ったのか、と考えると感心と切なさが入り混じった不思議な気持ちになった。

翌日、テレビ電話をするとこと子はいつものこと子に戻っていて、私と話して笑っていた。私は一安心し、ピーさんと、GW中、超極秘的に私が行ってもいいか、ということを協議したが、やはり今はやめておこう、という結論にいたった。山形では県外の人と接触した人は2週間外出禁止になるという厳しい制度が臨時に敷かれており、出産の立ち会いはおろか、出産で入院する病院の出入りも県外の人は禁止になっていた。

数日後、ピーさんがSNSに上げていたこと子の写真を見たら、1ヶ月前までのこと子には見られなかった大人びた表情をしてると思ってまた切なくなった。いやいや、ただの親バカの錯覚なのかもしれないのだが…。
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