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アクセルの意気地記 第29話 次女の誕生

4月下旬に次女出産のため里帰り中のピーさんから夜中電話があって、こと子がホームシックで泣き止まない、ということがあり、それから少し頻繁に連絡を取るようにしていたのだが(そのことを文章に書いたため周囲の友人達からもいろいろ心配されていたのだが)、その日以降こと子のホームシックは収まって(親戚の話せる叔母からは小さい子なんてそんなもんよ、と諌められた…)安心した私は、引き続き休みごとに小川町の新居に赴いて家のリフォームや片付けに専念していた。

この新居のリフォーム大作戦の目標は、最低でも家族が戻ってくるまでに、ボロいタイル張りの風呂を生まれ変わらせ、赤ちゃんも問題なく入浴できるようにするというもので、その苦労についても書きたいが子育てには関係ないので割愛。とにかく、降って湧いたコロナによる仕事の休みをフルに活用して、私は実家居候仮暮らしの田無と、新居のある小川町を、県外移動自粛要請を無視して往ったり来たりしていた。

しかし我が子に会えないのもなかなかツラいもので、GW中に山形にお忍びで私が行く計画も持ち上がったりもしたが、コロナ感染の社会的経過が思わしくないので断念。その時点で、出産の際、山形の入院先の病院には県内在住の、妊婦のご両親しか入れない、という辛い事実を確認していて、私はかなり凹んでいた。これももちろんコロナ感染防止のやむを得ない災いによるものだった。

では、私は一体いつ家族と会えるのだろう、と不安になってピーさんに聞いてみたものの彼女も答えに窮している。義父と電話で話した際に、「退院するタイミングで1度来ればいいさー」と、義父は励ますように言ってくれたので、しばらくそのつもりでいたのだが、また後になってピーさんから、退院後も厳しそうな雰囲気だから、もうこうなったら1ヶ月検診が終わって小川町に帰れるタイミングまで再会は辛抱しよう、と提案された。私は絶望的な気持ちになったが、会えない訳ではないしグッと堪える以外ないのか、と諦めた。

とはいえ新居の風呂のリフォームは、解体DIYと職人さんのプロの仕事を組み合わせ、素人の私が采配を振るうという、やや無謀な作戦だったので、実際は山形に行く暇が惜しいのも拭えない事実だった。が、そういう事情で、とにかく動き回っていたので、寂しさに押し潰されることもなく日々が過ぎたのも事実だった。

出産予定日の5月23日よりだいぶ早い5月14日の夜、ピーさんから、おしるしがきたかも、という報せが入った。こと子の時は予定日より出産が遅れたことを思い出し、今回も何となくそんな感じだと想定してたので少し焦った。そしてその4日後の5月18日に遂に入院となった。

前回こと子の時は、この時点で私は車を飛ばして山形に向かっていたのだが、今回は手をこまねいて東京にいる他にどうしようもない。私はどこか現実的で、まあ、大丈夫だろうと思い、その日もグッスリ眠ってしまった。翌19日の午前10時ころ、ピーさんが産まれたての次女を抱いて、やつれた笑顔を向けた写メを送ってくれた。私は仕事中だったが、嬉しくてジワっと泣いた。第一話に書いたが、長女が産まれたときは陣痛が始まってから実に40時間の闘いだったので、今回はそれよりも大分スムーズ。とはいえ、出産時のあの鬼気迫る空気を夫である私が共有せずにこの時を迎えてしまい、何となく申し訳ない気持ちにさえなった。が、とにかく嬉しかったのだ。

それから1ヶ月検診の日が決まり、私が迎えに行ける日も決まった。しかし私の風呂リフォームプロジェクトはまだ道半ばで、それが家族の帰還に間に合うのか、心配のタネはまだまだ残っている。ピーさんには、何とか間に合うよ、とは伝えていたが実はかなり不安とドキドキしていた。

必死だった私は、左官屋さんにお願いしていた土間コンクリートの一部をスケジュールの都合上DIYでチャレンジしたり、新居に遊びに来てくれてウチの庭をいじってくれる予定だった植木屋さんの友人に、庭いじりではなく解体をやってもらったり、想定外のことがいろいろ舞い込んで、瞬間的に敗北感やら焦燥感やらに苛まれることもあった。コンクリートを初めて練って打った時はいつも手伝ってくれるしゅうくんも不在で、1人でセメント臭い殺風景な風呂場で、セメント粉にまみれ、汗だくになりながら泣きそうになっていた。

しかし努力の甲斐あって、家族を迎えに行く2日前にちゃんとお湯が出て入浴できる状態にまで持ち込むことができた。6月中旬には実家の居候ライフを畳んで本格的に新居で暮らし始めていたのだが、家族を迎えに行く前日に、出来上がったこだわりの檜風呂の試浴を決行。お湯を入れるとにわかに露わになる檜の薫りに酔いしれた。

6月24日、いよいよ家族を迎えに山形へと発つ。生憎の雨模様で、曇天の暗い高速をひた走る。曇天でも、これからあと数時間もすれば愛する妻子と、そして産まれたての新生児に会えるのだ、と思うと胸が高なった。その高なりは福島から山形へと抜ける長いトンネルを出た瞬間に最高潮へ達した。それまでの宿雨が嘘のように晴れ渡る空が私を迎えたのだった。

これは神の祝福か、そんなことを考えているとピーさんから、家着く時LINEして、こと子を外に出させるから、とメッセージが届く。私はここ数日こと子との再会の感動のシーンをいろいろに想像していた。こと子が走ってきて私に飛びつく。私は走ってきたこと子を、こと子の名を呼び、抱き上げる…。もう一度イメージして、「OK」と返信した。

妻の実家に着いて車を降りると、ピーに促されるように表に出てきたこと子が、想定通り私に向かって走ってきた。そして私は、やはり想定どおり、「ことこ〜」と叫んで彼女を抱き上げた。抱き上げた瞬間に涙が出てきた。こぼれはしないが視界が霞む。その様子を携帯で撮影しているピーさんがいる。横にはもらい泣きを隠そうと努力している(風に見えた)義母がいる。こと子の背中をさすりながら、そうだ私はまだ見ぬふみ(次女の名前である)にも会いにきたのだ、と思い出し、ピーさんからふみを受け取った。

軽い、軽い、軽いなぁ。1ヶ月経ったとはいえくしゃくしゃな、まだ寝ることとおっぱいを吸うことしかできない赤ん坊が腕の中で蠢いている。こと子が、ふみを抱っこする私の足元に絡みついて離れなかった。

車の荷を下ろして寛いだ。久しぶりのこと子が凄い成長していたらどうしよう、と思っていたが、中身はそこまで変わってなさそうで若干拍子抜けした。2人きりになった時、こと子が言うのだった。
「お父さんの携帯でつよくなれる見たい…」。
何のことか分からないが、狼狽しつつも、よし、と気合いを入れ、youtubeで「つよくなれる」と検索してみた。その画面を覗き込んだこと子が「これこれ」と指をさす。なんだかよく分からないけど、久しぶりに会ったのに父ちゃんそのものよりも携帯かよ、と思わずにいられなかった。

後になってそれが鬼滅の刃というアニメの主題歌で、従姉妹の影響でこと子がハマっていた事実をピーさんから聞かされた。それから今日に至るまで、私としては生理的に受け付けないその曲を、こと子がやや恥じらいながら、謎のアイドル仕草とともに熱唱するのを、毎日聴かされているのだった。
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