fc2ブログ

ROAD to 小川町 第3話 小川町の中古戸建て

宇宙祭りの前後に我々夫婦は今後の住まいを探すべく2件の不動産内見に行った。1つは今住んでいる田無の不動産情報でみつけたもので、もう1つは武蔵砂川という田無より大分下ったエリアの家だった。前者は和室が5部屋もあり、田無なのに1,200万円の訳あり中古戸建て物件。後者は中古戸建てだが比較的新しめで2,000万円強の価格設定。

田無の物件は何が訳ありかというと、公道に面してない奥まった物件で再建築が不可であること、また、売主管理の物件で売主が管理を怠っているので中はリフォームも掃除もされてない、ということを事前に聞かされていた。私は仕事柄多少リフォームについての知識があったし、何ならDIYで家を直すのもやぶさかでない、と考えていたので見てみる価値があると思っていた。

ところが、不動産屋に案内されたその家に入ると、中の状態は確かに、それも予想した以上に酷く、まず入った時点でジメジメとした空気。そしてそこら中に無数に散らばっているネズミの糞。私はこういうところも、仕事柄多少免疫があるので平気だったが、同行したピーさんは既に顔を青くしていた。先に見ていた間取り図に載っていた庭も、庭と呼べる程の面積もなく、陽当たりも微妙で、すぐに1mあるかないかでブロック塀に閉ざされ、隣家と接する窮屈さは、正に東京の住宅地のそれであり、安いとはいえ落胆するような気持ちになった。

この黴臭いボロ屋の内見の後に見た小川町のヒーさんの家の価格は、その半分にも満たなかったので、私はかなり動揺せざるを得なかった。そして、ヒーさん宅を見た後に行った2軒目の武蔵砂川の中古物件も、ただ外装と内装の見た目が綺麗なだけで、ほとんどピンと来なかった。

そこは、東京郊外でよく見かける所謂建て売り分譲タイプの安っぽい造りの家で、私もピーさんも石膏ボードにクロス張り仕上げのそういう家に魅力を感じていなかった。敷地がほとんどコンクリートに覆われていて、管理は楽かもしれないが無味無臭、と言おうか、何ともつまらない印象を受けただけで終わった。

車での送迎と丁寧な接客で迎えてくれた不動産屋さんは感じのいい方だったが、検討します、と我々は便宜上伝えたものの、そこを買う可能性がゼロであることは明白だった。もちろん、その判断の背景に小川町で見たヒーさんの家のことがチラついたことも拭いようがなかった。

家族が出来て引越しを考えている人にとっては当然問題視することかと思うが、田舎は仕事の選択肢が少なく、東京で働くにしても通勤が不便。だが家賃が圧倒的に安く、自然もあるし子育てには最適。都心部はその反対で、その夫婦の価値観によって都心部からどのくらいの距離で、どのくらいの価格なら妥協できるか、という普遍的な問題に私達も頭を悩ませてきた。それで私はというと、東京に未練があったので、当然のように東京西部の田舎に目星をつけていたのだ。その辺なら私でも何とか払える金額の中古戸建て情報が溢れている。

しかしヒーさんの住む小川町は埼玉県であり、はっきり言って死角たった。同じ埼玉でも、入間、飯能あたりまでは田無と同じ西武線沿線として視野に入れていたし、東京にも通えそうだと思っていたが、小川町なんて場所は聞いたこともなく未知の領域だった。しかし未知とはいえ東京に通えそうで、地価に関しても私が見据えていた郊外よりまた1ランク安そうだったのだ。

武蔵砂川の物件を見た後、私達は当然のように、しかしまた半ば冗談混じりに、小川町の不動産情報をネットで検索してみた。1,000万円代の中古戸建て情報に混ざって1,000万円以下の物件も散見される。するとその中に明らかに他の物件より古く、造りも古民家風で、庭を含む敷地の割合大きな中古戸建て情報が一件見つかった。それはつまり、古い中古戸建ての中でも我々が好まない石膏ボード&クロス仕上げでなく、そのスタイルが流行るその前の時代の物件なのだった。売り出し価格も690万円と破格だ。

部屋は全て和室で、8畳間、6畳間、6畳間、3畳間に板張りの台所。離れに浴室と物置きがある。畳敷きの和室の状態も酷くないが、風呂場の写真だけはボロっちい感じがしてピーさんの反応が気になった。が、リンクを送ると、「玄関もかわいいね」と割りと好意的な反応が返ってきた。言われて玄関の写真を改めて見ると、確かに玄関ドアの上に嵌め殺しの飾り窓があって可愛らしい。

それからしばらく小川町や、小川町周辺の物件情報を見てみたがその物件より惹かれる物件情報は見当たらず、チャンスがあれば内見してみたいよね、という結論が夫婦の間で取り交わされた。ちょうどその頃、確か宇宙祭りの翌月の12月だったと思うが、ヒーさんから、1月にウチで新年会やるから都合合えば是非、とのお誘いが入った。私達は、またあのお家に行けるのか、と喜び、さらにその折に例の物件の内見も行けたらいいよね、と勝手に盛り上がった。

2020年、年明けの未明は、毎年恒例の御岳山初日の出登山でご来光を拝んだ。振り返れば厄年だった2019年の前半は酷い歯痛に悩まされ、笑えない交通事故に巻き込まれ、その他、赤裸々な私でも書くに憚られる様な悲劇が続いた。気にしてなかったが厄年であることに気づき、4月になって慌てて御嶽神社に厄払いに行った。幸いその後は不運の連鎖は止まり、9月にピーさんの2人目の妊娠が分かった。私達は山頂の(その名も長尾平という)眺望スポットで新たな生命誕生の無事を新年の太陽に拝んだ。

1月某日、ヒーさん宅での新年会という名のお泊まり会に、寝袋持参で参加した。5、6名の男手が揃うので、皆んなでヒーさんが買った元養蚕古民家の外溝を掘る作業をした。家の裏側の山の斜面からくる湿気を抑えるための土木作業で、なかなかの力仕事だ。本職が植木屋さんや大工さんもいたので、非力な私は足手まといのようで情けなかった。まだ各所の扉や窓に傷んだところも多く、夜は寒くて何度も起きてしまった。

翌日、私はヒーさんに相談して不動産の内見をしたいので、と車を出してもらうことにした。我々長尾家が小川町移住仲間になるかもしれない、ということでヒーさんは快く我々家族を、不動産屋さんと待ち合わせの現地に連れて行ってくれた。もちろん宇宙祭りの主催者であるサノ夫妻も興味本位でついてきた。

物件のそばのミニストップで待ち合わせた不動産屋さんSさんは不動産の内見に、我々家族以外の子ども2人を含むヒーさん一家、それにヒッピー風情のサノ夫妻がわらわらと車から降りてきてさぞ驚いたことであろう。しかし、そのことを気にする風もなく丁寧に我々を案内してくれた。

空は快晴で、現地に着くとたまげた。家の敷地と同じかそれより広いくらいの庭が我々を出迎えた。敷地のすぐ裏は竹林で自然との距離感がワイルド。さらに庭の一角にはビニールハウスが残っており、ここの所有者が畑をやってたことをうかがわせた。まさに私がイメージする田舎暮らしに持ってこいの庭である。

興奮しながらSさんが開錠した(南京錠で管理されていた…)家へと入っていく。玄関もかなり広いし、何より家を支える柱をはじめ各所が古い割に造りがかなりしっかりしていた。ネットで見た玄関の飾り窓の細工は麻柄で、(これは…)と私は引き続き興奮が抑えられない。

畳や障子は日灼けしてしまっており、押し入れ内にもハクビシンが入って暴れた足跡が残ってたり、台所もそれなりに傷んでいるのだ。ただ、このレベルならDIYで直せるだろうとも思えた。問題の風呂場は母屋と1.5mほど距離をあけた離れに存在し、Sさんも、ここは直さないとちょっと厳しいかもしれません、と言いながら脱衣場の床板がフカフカに緩んでいるのを示してくれた。

私やピーさんがじっくり内見してる間、こと子とタネとイト(ヒーさんの娘と息子)は襖で仕切られただけの和室をグルグル走り回ってはしゃいでいて、その光景は私の心をホンワカ温かい気持ちにさせた。私はこの時点で既にここに住めたらどんなに面白いことになるだろう、と考え始めていた。ただ気になったのは子どもが大きくなった時、この古民家風の造りだと子ども部屋を確保できないだろうこと、それに川越街道のバイパスが近くを通っていて交通音がかなり気になったことだった。が、私の心臓は高鳴っていた。(つづく)
スポンサーサイト



プロフィール

アクセル長尾

Author:アクセル長尾
赤い疑惑の活動報告
およびアクセルの手記
赤い疑惑WEB

最新記事
カテゴリー+月別アーカイブ
 
リンク