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バンドマンに憧れて 第42話 地方遠征編

初めてツアーに行ったのはいつだったろうか?
第29話で触れた通り、赤い疑惑の初めての地方遠征は私のつまらぬ交通事故のせいでポシャったのだったが、その後、ライブに頻繁に呼ばれるようになってからは次々とツアーのチャンスが舞い込んだ。

初めはやはりパンクやハードコア、エモコアなどの人脈をきっかけに遠征することが多かった。アメリカのパンクカルチャーに長いこと憧れていた私やクラッチの間では、アメリカのパンクバンドがバンに機材を詰め込んで全米各地をツアーして回る習慣に同様に憧れていた。日本の先輩バンドマン達もバンやワゴンにみんなで乗って、ワイワイと地方に行くのを知っていたので、オレ達も遂に、という感慨が一入だった。

この地方遠征というのは、私が今までバンドを続けてきた理由の上位を占める重要な楽しみになっていった。近距離の場合は日帰りになる時もあるが、長い時は1週間前後の工程になったこともあり、そんな旅になると、ねてもさめても、多くの時間をメンバーとずっと一緒に過ごすことになり、それは普通のサラリーマンをやってたら体験できないような、特別な時間の過ごし方であり、私の人生でもかけがえのないものである。

ツアーの段取りを組むのは私の役割りで、各地のライブハウスやバンドマンと主にメールで連絡を取り合った。大抵の場合、事前に明確なギャラ設定をすることはなかったが、嬉しかったのは我々のような駆け出しのバンドでも、地方に行くとチャージバックに加えて気持ち分の交通費を出してくれた。こっちからライブやらせてください、とお願いしてるのに交通費をある程度フォローしてくれる心意気はとても嬉しかった。

とはいえチャージバックと気持ちの交通費だけでは赤字となることが多く、その穴を埋めるために物販を張り切る必要があった。まだその頃はCDがある程度売れる時代だったのでCDにTシャツ、ステッカーにバッジなどをがっつり携えて回ることがお決まりだった。

赤い疑惑号はハイエースでもバンでもなく、私の父の愛車であるワゴン車を借りることで成り立っていた。DIYパンク系の人達がこだわりのアンプセットを車に詰め込んでいるのに憧れがなくもなかったが、我々の必要機材は少なく、ギターとベース、それにドラムのスネアとキックのみだったので全く支障はなかった。

よく行ったり、呼ばれたりした地方は名古屋、京都、静岡、長野で、どういう縁か、我々を面白がるアツいお客さんがいて、それらの地にはそれぞれ5回以上行っている。その他、南は鹿児島、北は北海道まで、いろんなところでライブをやらせてもらった。

車の運転は3人で変わりばんこにこなしたので心強かったが、最長距離で広島まで行ったのは3人いるとはいえシンドかった。ツアーの宿泊は初めのうち、ツアー先の友人宅に転がり込むことも多かったが、齢を重ねるうちに我々も招聘側もお互いに気を使うので、ビジネスホテルや漫画喫茶に泊まることが増えた。

ツアーに出始めた当初は私もイケイケだったので海外のパンクスのイメージで、車内泊がアツいんじゃないか、と思い提案したこともあったのだが、ブレーキーにブレーキかけられ断念。私は苦労話自慢がしたかっただけかもしれず、そのうちに車内泊など考えないようになった。

ただ、近年はクラッチとブレーキーがビジネスホテルに泊まるのに、貧乏性の私だけが漫画喫茶に泊まるという展開(バンド内格差…)も多々あり、つまり宿泊費まではギャラで賄えないので、そこは個人の自由となるのである。無理矢理みんなで合わせないのがいい気もしている。

ツアーは楽しい。本当に楽しい。東京以外の地でライブをやる時のスペシャル感がいつでも我々を上気させた。たまにお客さんが入らずに盛り上がらない夜もあるが、大抵は東京以上の好反応が返ってきた。そして楽しみにしてたお客さんや友人達は、「必ずまた来てくださいね」と言ってくれて固い握手を交わすのである。

リハ入りからライブまでの時間はご当地の渋そうな居酒屋を見つけて景気づけをするのが恒例になり、これがまた楽しい。商店街を歩いて楽しい。地元のバンドマンと交流して楽しい。アテンドの人がいる場合は街を案内してもらったり、美味しいものを教えてもらったり…。

お別れをする頃には地元の人たちとも大分仲良くなって、手を振って何だかしみじみとした気持ちになる。車で次の地に移動する際には、さっきまで一緒だったツアー先のあの人やこの人の話題で盛り上がるのだ。東京でライブをする際は油断して対バンの人との交流が疎かになることも多いが、地方に出た時は、たとえ自分たちにとってあまり好みじゃない音楽性だったりしても人との出会い、交流としてそんな時間も楽しめるのが不思議である。

それに東京と違って面白いのが、ジャンルの細分化があまりないことだ。人が少ない土地だと音楽ファンの絶対数が限定されるために、パンクイベントにパンクバンドだけが揃うみたいなことができないところも多い。バンドもお客さんも、どんな音楽でも構わない、っていうスタンスで集まっているシーンと出会ったりして、あのジャンルはダメ、このジャンルはダメ、と拘りの強かった頭の固い私にはいい刺激が沢山あった。やってるジャンルが全然違うのに音楽が好きだからという理由で仲良く集まっているコミュニティーはとても美しいものである。

我々の男だけのむさ苦しいツアーには、結構な頻度で腐れ縁みたいな友人がついてくることも多かった。気の合う友人が旅行についてくる、といった趣きで、特に写真を撮ったり、物販をやってくれたり、スタッフ的なことをしたりする訳でもなくついてくる。我々3人もそういう道連れが好きで、そんな男旅を楽しんでいた。ついてくる友人も東京以外のライブハウスでライブを観る事自体も新鮮で、それにご当地の美味いものが食えたりするから、ツアー終わりには「最高だった。また誘って!」なんて言って帰る。もちろん、最もライブ頻度が多かった時期には、カメラマンやビデオ撮影のスタッフ(プロというより友人)がついてくることもあったけど。

これだけ楽しい思いをするのだからそれなりに体力も消耗する。運転を変わりばんこにやってるうちに、運転から解放されて交替した瞬間に後部座席で眠りにつくこともしばしば。うっすら意識が戻ってくると、クラッチとブレーキーが随分興味深い話をしていることがある。興味深い、というより、私といる時は話さないような内容の話題だったりするのだ。それで、私は寝ぼけながら、寝たふりを続け、そんな2人の会話を聞いているのも好きだった。

ライブツアーといってもかように、半分は旅行の趣きで、終わった後に思い出すと一つ一つの思い出が輝きだす。いいライブができたかどうかも重要かもしれないが、結果的にはそれ以外の一つ一つが貴重な思い出になるのが私は好きなのかもしれない。海外旅行には何度か行っているが国内のいろんな土地を知ることができたのはライブツアーのおかげである。高速の窓から眺める日本は山と緑の国であることがよく分かったし、私は山と緑が好きだ、ということに意識的になったのもライブで国内を沢山走るようになったのがきっかけだった。今これを書いてる時点で次に地方ツアーに行ける予定はまだ決まっていない。だけど、もしまたチャンスがあるなら、そのチャンスが本当に楽しみで仕方ない。
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