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アクセルの育児記 第30話 新たな生活

5月に誕生した次女ふみと里帰り中のピーとこと子を、6月下旬に迎えに行った。山形から移住先の小川町に連れて帰る際に田無の実家に寄ってオヤジと佐野夫妻(移住のキーパーソンでこと子が懐いている)に顔見せした。私は長く寂しい遠距離生活から解放された急激な安堵からか、その日1日、運転しながら頭痛と倦怠感があり、実家で熱を測ると38度あった。

晩餐を共にして、泊まらずに小川町に帰る予定だったが、みんなにその熱じゃあ、と止められ、結局実家で一晩休んで翌日小川町に帰った。行きしなに、開店前のハードオフ朝市で、ベビーバス(ピーの実家からもらってくるのを忘れてしまい…)を発見し300円で購入。お昼はピーさんに食べさせたかった小川町農産物直売所の武蔵野うどんを食べた。

私はその後も4日ほど有給休暇を取っていたので、中途であった引越し段ボールの開梱作業と片付け作業にピーさんと取り組んで時間を割いた。週末には小川町移住の先輩である石原家と、小川町で知り合った吉原家を招いてパーティー。それぞれの子どもたちが子どもたちらしく大声で遊び、駆け回るのを見守りながら新たな日常が始まるのをじんわり感じていた。

新居は古ぼけた日本家屋で、お隣さんというのが東京とは異なり、少し離れている。坂を降りたところに2軒、橋を渡ったところに2軒。家のリフォームを始める際に私は単身でその4軒に菓子折りを持って挨拶をしていたが、家族が揃ったので改めて挨拶をしにいった。坂を降りた右手の立派な農家さんで初老のOさん夫妻、特に奥さんの方がこと子を可愛がってくれた。人見知りをほとんどしないこと子は、挨拶で来ただけなのに勝手に家にあがってしまうのであったがOさんは咎めずお菓子をくれた。

佐野夫妻とこの家のリフォームに励んでいた際しゅうくんが、「このお家さ、まさにトトロのお家だよね」と言ったが、確かに娘が姉妹である点、田舎のボロ屋である点、自然に囲まれている点、かなり一致度が高かった。とはいえメイと同じくらいの年齢であること子はメイより臆病で、東京生活では見かけない無数の虫たちに恐る恐る接している。これは母親であるピーの虫への反応にも影響してそうである。

佐野家とリフォームで泊まっていた際は縁側を開け放して蚊もハエも入りたい放題。流石に寝る時は辟易したがその開放感が心地よかった。しかしさすがにピーさんからは苦情が出て網戸の導入を検討。ムカデ出現の報告もしていたので事前に買っていた蚊帳の中で妻子は寝ることになり、私は蚊帳の外で寝る生活スタイルが出来上がった。

虫の多さに慣れるのには少し時間がかかりそうだが、この緑に囲まれた田舎暮らしの日々は我々夫妻に希望の光をもたらした。これからここで子育てができることを思うと明るい未来しか浮かばないのである。

思えば、こと子の子育てに奮闘しながらも、私はこの子に兄妹ができたらそれはまたどんなに愛らしく楽しいことになるだろうと想像したものだったが、現にこうしてふみが産まれ、ふみを可愛がること子を見ていると、ここでその生活ができることにまた大きな楽しみを感じている。

ところが、新宿までの通勤時間は私の推測であった1時間半強を軽く上回ってほぼ2時間であることが判明し、仕事が始まってからというもの、仕事のある日は非常に目まぐるしかった。朝7時前の電車に乗って仕事を終え急いで帰っても20時。それから晩飯を済ませ、2人の娘を風呂に入れ、皿洗いと風呂洗い(檜の風呂なのでその日のうちに排水して洗う)を済ませた頃にはもう0時近く。早く寝ないと起きられなくなってしまう。

そんな中、こと子はやっと再会した私とあんまり遊べてないことへの不満を抱き始めていた。

私がちょっとトイレに行こうと縁側へ回る時、ちょっと生ゴミを外に置いてあるバケツに移す時、ちょっと離れにある風呂を洗いに行く時、私の行動の気配をつぶさに読み取ってこと子がにわかにやってきたり、大きな声で私を呼び止めたりして
「パパどこ行くの?」
と鋭い調子で聞いてくるのだ。その度にすぐ戻るよ、とか、ちょっとトイレ行くだけだよ、とか適当に返事をするのだが、いささか過剰な反応に戸惑った。

他にも
「トト、今日寝てさあ、起きたらさあ休み?」
とか
「今日寝てさあ、起きたら仕事?」
といった具合に私の行動をいろいろ調査してくることがあったり、
「パパ仕事終わったらすぐ帰ってきてね」
なんてことも度々言われるようになったのだ。今までより私への執着が増したな、とちょっとよく考えてみたのだが、これは山形への里帰りのことが関連してるのではないか、と思えてきた。

というのも、あの時はお腹を膨らませたピーさんとこと子を山形の実家に送り届けて、私だけそそくさと東京に戻ってしまった。こと子が父ちゃんと会えなくて混乱するかと思って事前に何度か説明したけど、ちゃんと理解しているとは思えなかった。別れ際、こと子がさして寂しそうにしてなかったのは、よく分かってなかったことの証左である。

そしてこと子にとっては突然、しかも明けても暮れても父ちゃんと会えない状況が続いたのだ。だから家族が元通り一緒に過ごせるようにはなったが、コロナの経緯を理解していないこと子にとって、私はまだ「突然会えなくなっちゃう人」というイメージがまとわりついているのかも知れず、そう考えると、一見過剰に映ること子のかような私への執着も健気で愛おしく思えてくるのだった。

さて、そんな状況の中、私の勤める職場の雰囲気が悪化傾向にあった。コロナで自粛ムードに社会が覆われ始めるとそれが如実に感じられた。

私の勤務する会社は外国人のみを顧客対象にしたゲストハウス業で、コロナ禍による打撃をもろに喰らったため、経営陣が苛立ち、その煽りを社員が受ける、という構造は理解できないものではなかったのだが、ある日一線越えたパワハラを受け、私の忍耐に亀裂が生じた。2時間かけて通勤する、この仕事はその努力に値するほど私に価値のあるものだろうか?

新宿までの通勤を忍ぶつもりで始めた田舎生活だったが、新居の形容し難い居心地の良さと、通勤時間と勤務先の居心地の悪さとの乖離に整合性が見つけられず、私を大きな決断へと誘うのであった。よし、もうこの際今の仕事を辞めてどっぷり小川町の生活に身を委ねよう。幸い、私にしてはまともに正社員勤務を続けられたので新居のローンは組んだあとなのだ。

勤務先のブラックな体質や、勤務先がコロナ禍で逼塞した状況であることを知っていたピーさんはビックリしていたが、理解してくれて反対はされなかった。私は心のつかえが取れたようにまた晴れやかな気分になった。どうにかなるだろう。

家族と再会して不思議なことがあった。家族と別れてからの2、3ヶ月間、平時から弱い私の胃腸が最悪な状況になっていた。ほぼ毎日のように下痢を繰り返して何が原因か全然分からない。

いつもお世話になってる整体の友人に診てもらっても改善されず自ずと食べる量を減らしてなるべく消耗しないように努めた。断食を試したりいろいろ試したが元の木阿弥。

昔から精神的に落ち着かないと(特に旅行中とか)お腹を壊しやすいことは自認していたので、もしかすると(もはや自分の部屋もない)実家に居候したり、新居のリフォームをしたりなどの根なし生活のせいかな、と考えたりもしたが、そうじゃなくて家族と会えてないからかな、などと大袈裟な予測を立ててみたりした。

それが家族と再会して復活したのである。いやいや、こうも考えた。以前は溜め込まなかった仕事のストレスを最近は感じるようになっていて、その仕事を辞めることにしたその爽快感が影響したのかな、と。

実際仕事を辞めることを決めてからの心の軽さは形容し難いものだった。だからホントのところは分からない。だけど家族と一緒にいられること、っていうのは人によってはそれくらい大きな影響を持っているのかもしれない。そうだとしたら私の胃腸もどんだけナーバスなんだ、って恥ずかしくなるんだけども。
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