ROAD to 小川町 第4話 家買う
小川町の古い民家を内見し、興奮冷めやらぬままヒーさん宅に戻った我々は上気していた。いい家だったよ〜、といった調子で戻ってきた我々に、内見に帯同しなかった植木屋さんが、
「その家に決めるつもりは何パーセント?」
と冗談めかして尋ねてきて、不意を突かれた私は、その場の雰囲気を盛り下げたくないのもあったし若干盛って、
「80パーセントっすかねー」
と答えてみた。おー、かなり高いねー、じゃあピットさんは? と、妻のピーさんが今度は標的になった。
「え〜…」
照れながらも満更でもない表情なのである。
「う〜ん、90パーセントかなっ」
と言うので周囲は、やんやと盛り上がってしまった。私は、自分が盛った80パーセントに輪を掛けてピーさんが90パーセントと答えたのに驚きを禁じ得なかった。てっきり自分と同じくらいか、それよりも下回るくらいかと思っていたのだ。が、それくらい彼女はあの家に愛着を抱いたのだろう…。
帰宅した夜、私はピーさんに、
「あの家すっごいよかったんだけどさ、、まだ内見1軒目だし、もうちょっと他の物件も見てみない?」
と何気なく声をかけた。将来の子供部屋のことと県道からの交通音のことがまだ心に引っかかっていた。
するとピーさんがかなり動揺した感じで
「え? 玄ちゃんはあのお家に住みたくないの?」
と語気は強いのだった。若干気色ばんだ感じなのだ。私も動揺し、私が懸念している事柄について正直に正確に説明した。しかし、ピーさんの顔色は変わらず、かなり凹んだ様子である。
彼女が動揺している理由は、つまり、我々が他の物件を見ている間に、あの家が他の人に買われてしまうかもしれない、という心配からなのだ。実際、不動産屋のSさんは、
「内見をして検討中の家族さんが何組かおります…」
と言っていたし、私もその点はちょっと心配なのだった。
ちなみに新宿までの通勤に関しては軽い見積もりで1時間45分くらいなのではないかとアプリを使って予測していた。これは人によってはあり得ない所要時間かもしれないが、小川町は東武東上線の始発だから絶対に座れる、と聞いているし、それに読書やらSNSやらがあれば大したことではないと考えていた。逆に通勤時間か家族の就寝後くらいしか、子持ちの父親にとって1人きりの時間というのはほとんどないことも自明であった。だから思い切ってあの家を買っちゃう、という決断は、私の意志一つで実現するのである。
その夜、私は寝つきが悪かった…。家を買う、なんていうことは、バンドマンで売れてやる、なぞと考えていた尻の青い時にはつゆも考えなかったことなのだ。それが、家を買った方が、ずっと賃貸で家賃を払い続けるより賢いのではないだろうか、と考えるようになったのは、正社員として働き出し、結婚し、家族を持ってから、だから30代も後半の頃で、つまり最近のことなのである。そして家を買う、なんてことは一生に一度あるかないか、そのくらい重大な選択なのではないか、という現実的な恐怖心が私を煽るのである。
もし、あの家以外にも他の物件を見て、その間に誰かにあの家を買われてしまい、結果あの家以上の物件が見つからなかった場合の私の責任の度合いたるやどうだろう。ピーさんにどれだけ落胆されてしまうだろう…。いや、しかし、これから他の物件情報が出てきて、あの家を凌ぐものが見つからないとも限らないではないか…。何度も寝返りを打ちながら私は煩悶した。そして、おもむろにスマホを取り出し、もう一度インターネットで小川町の不動産情報をむさぼってみた。いくつかの不動産サイトを順番に、見落としはないか、という具合にだ。しかし、やはりあの年代の造りの物件は他に見つからないのだ。(やっぱり…)と私は思った。やっぱりあの家に決めるべきでは? 私は幾度目かの往復の末に腹を決めていた。
いつの間にか朝を迎え、目が覚めてから仕事に出かける通勤途上、ピーさんにLINEで、あの家に決めよう、そして、Sさんにその決意を伝えるつもりである、という旨のメッセージを送った。彼女は父に話さなくていいのか、ということを心配するほど冷静だったが、その瞬間から私達の2020年はワクワクの1年となる予感がした。
不動産屋のSさんに電話し、例の家なんですが、(購入を)進めたいと思ってます、ということを伝えると、私が次に何をすればいいのか教えてくれた。そして私はすぐにこの大きな決断について実家に出向いて父親に話した。下手すると大反対される可能性がなくもないと思っていた。根拠はないが、やもめの父にとって突然孫を含む私達家族が遠くに行ってしまうことにある程度の困惑は隠せないのではないか、と思ったのだが、実際は肯定も否定もなく話を聞いてくれた。父は、小川町といえば、と言うのだった。しょっちゅうゴルフをしに行ってるぞ、小川カントリーだろ、と少し嬉しそうでさえあった。
これで後は「家を買う」ことに関して誰に憚ることもないだろう、と思われた。とはいえ、この後現実的に突破しなければならないローンの審査だとか、不動産購入についてのあれこれに関しては、ほとんど知識がないために五里霧中状態でもあった。私はSさんに言われた通りに1週間以内に、仕事を半休にしてまたSさんに会いに、都からやや離れた埼玉の盆地、小川町の隣町へと訪れたのであった。(つづく)
「その家に決めるつもりは何パーセント?」
と冗談めかして尋ねてきて、不意を突かれた私は、その場の雰囲気を盛り下げたくないのもあったし若干盛って、
「80パーセントっすかねー」
と答えてみた。おー、かなり高いねー、じゃあピットさんは? と、妻のピーさんが今度は標的になった。
「え〜…」
照れながらも満更でもない表情なのである。
「う〜ん、90パーセントかなっ」
と言うので周囲は、やんやと盛り上がってしまった。私は、自分が盛った80パーセントに輪を掛けてピーさんが90パーセントと答えたのに驚きを禁じ得なかった。てっきり自分と同じくらいか、それよりも下回るくらいかと思っていたのだ。が、それくらい彼女はあの家に愛着を抱いたのだろう…。
帰宅した夜、私はピーさんに、
「あの家すっごいよかったんだけどさ、、まだ内見1軒目だし、もうちょっと他の物件も見てみない?」
と何気なく声をかけた。将来の子供部屋のことと県道からの交通音のことがまだ心に引っかかっていた。
するとピーさんがかなり動揺した感じで
「え? 玄ちゃんはあのお家に住みたくないの?」
と語気は強いのだった。若干気色ばんだ感じなのだ。私も動揺し、私が懸念している事柄について正直に正確に説明した。しかし、ピーさんの顔色は変わらず、かなり凹んだ様子である。
彼女が動揺している理由は、つまり、我々が他の物件を見ている間に、あの家が他の人に買われてしまうかもしれない、という心配からなのだ。実際、不動産屋のSさんは、
「内見をして検討中の家族さんが何組かおります…」
と言っていたし、私もその点はちょっと心配なのだった。
ちなみに新宿までの通勤に関しては軽い見積もりで1時間45分くらいなのではないかとアプリを使って予測していた。これは人によってはあり得ない所要時間かもしれないが、小川町は東武東上線の始発だから絶対に座れる、と聞いているし、それに読書やらSNSやらがあれば大したことではないと考えていた。逆に通勤時間か家族の就寝後くらいしか、子持ちの父親にとって1人きりの時間というのはほとんどないことも自明であった。だから思い切ってあの家を買っちゃう、という決断は、私の意志一つで実現するのである。
その夜、私は寝つきが悪かった…。家を買う、なんていうことは、バンドマンで売れてやる、なぞと考えていた尻の青い時にはつゆも考えなかったことなのだ。それが、家を買った方が、ずっと賃貸で家賃を払い続けるより賢いのではないだろうか、と考えるようになったのは、正社員として働き出し、結婚し、家族を持ってから、だから30代も後半の頃で、つまり最近のことなのである。そして家を買う、なんてことは一生に一度あるかないか、そのくらい重大な選択なのではないか、という現実的な恐怖心が私を煽るのである。
もし、あの家以外にも他の物件を見て、その間に誰かにあの家を買われてしまい、結果あの家以上の物件が見つからなかった場合の私の責任の度合いたるやどうだろう。ピーさんにどれだけ落胆されてしまうだろう…。いや、しかし、これから他の物件情報が出てきて、あの家を凌ぐものが見つからないとも限らないではないか…。何度も寝返りを打ちながら私は煩悶した。そして、おもむろにスマホを取り出し、もう一度インターネットで小川町の不動産情報をむさぼってみた。いくつかの不動産サイトを順番に、見落としはないか、という具合にだ。しかし、やはりあの年代の造りの物件は他に見つからないのだ。(やっぱり…)と私は思った。やっぱりあの家に決めるべきでは? 私は幾度目かの往復の末に腹を決めていた。
いつの間にか朝を迎え、目が覚めてから仕事に出かける通勤途上、ピーさんにLINEで、あの家に決めよう、そして、Sさんにその決意を伝えるつもりである、という旨のメッセージを送った。彼女は父に話さなくていいのか、ということを心配するほど冷静だったが、その瞬間から私達の2020年はワクワクの1年となる予感がした。
不動産屋のSさんに電話し、例の家なんですが、(購入を)進めたいと思ってます、ということを伝えると、私が次に何をすればいいのか教えてくれた。そして私はすぐにこの大きな決断について実家に出向いて父親に話した。下手すると大反対される可能性がなくもないと思っていた。根拠はないが、やもめの父にとって突然孫を含む私達家族が遠くに行ってしまうことにある程度の困惑は隠せないのではないか、と思ったのだが、実際は肯定も否定もなく話を聞いてくれた。父は、小川町といえば、と言うのだった。しょっちゅうゴルフをしに行ってるぞ、小川カントリーだろ、と少し嬉しそうでさえあった。
これで後は「家を買う」ことに関して誰に憚ることもないだろう、と思われた。とはいえ、この後現実的に突破しなければならないローンの審査だとか、不動産購入についてのあれこれに関しては、ほとんど知識がないために五里霧中状態でもあった。私はSさんに言われた通りに1週間以内に、仕事を半休にしてまたSさんに会いに、都からやや離れた埼玉の盆地、小川町の隣町へと訪れたのであった。(つづく)
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