アクセルの育児記 第36話 最近のこと
遂に立ったか、と思っていたその2、3ヶ月後にはたどたどしいながらもはや歩き出している。幼児の成長は竹のごとし。
次女のふみは両の足で歩くという運動を覚え、またそのおかげか、ただ無闇に泣き出す、というようなことが少なくなって、保護者である私は随分楽になった。
5歳の姉こと子を、それまでよりもずっと「お姉ちゃん」として認識し始め、こと子があやしたりからかったりしてくるのを、楽しそうに、時にはまた奇声を上げて反応している。たまにこと子がピーさんや私に怒られて泣き出すと、少なくない確率でふみがやってきて、少し姉の泣いてる様子を覗き込んでから手を伸ばし「よしよし」をする。それがまったく滑稽で可笑しいのだが、「よしよし」とやって、時々我々大人の反応を確認しているのがまた可笑しい。赤ちゃんによしよしされて何だか悔しく、自分が哀れに思うのだろう、こと子はそんな時、そのふみのよしよしを手で払い退けたりする。
しかし話には聞いていたが、キョウダイがお互いを尊い存在として無邪気に遊び、じゃれ合う姿というのは見事に愛らしいものである。ノーフューチャー上等、などと粋がっていた20代のロック青年だった私に、40代まで頑張れば素晴らしい未来が待ってるぞ、と伝えたいほどである。
2人目のふみを育てていて、その可愛らしい姿に胸が震える時があるが、それと同時に、ああこと子がこれくらいの時期にもまた同様の感動を私に与えてくれたことをふと思い出す。思い出すのだけど、鮮明にという訳にいかず、うっすらとぼやけていることもある。こんなに可愛い瞬間瞬間を、その時点ではしっかり胸に刻もう、と心に誓うのだけど、実際のところは儚くもどんどん忘れていってしまうのだ。悲しいけどそんなものではなかろうか。
いや、一つ一つの思い出を鮮明に記憶して忘れないタイプの人もいるのかもしれないが、大抵はそうじゃないから写真なんていうものが発展したんだろう。写真も今ではみんなケータイでパシャパシャいくらでもやれるのだから、尊い瞬間はふんだんに記録されることになった。
私もしょっちゅうケータイを取り出して娘らを撮影している。ただ沢山記録を残しても、それらを振り返るタイミングは意外と少ない。というか、ほとんどない。何十年も経って爺さんになった時、ケータイにしろパソコンにしろそういうデジタルのデータを見返す姿というのがどうもうまく想像できない。生の写真とかアルバムなんてものは、そう考えてみると貴重な代物である。
田舎に来てから、不思議なことに思えるが、いわゆる「やりたいこと」というのが野放図に増えた。自給自足で野菜を賄う、薪ストーブを導入する、軽トラを買う、などなど、瑣末なことも含めるとキリがない。その中で、子どものためのブランコを作る、というのがあって、先日遂にその課題を果たした。
植木屋の仕事で出た丸太を、チェーンソーで縦半分に切って、ロープでぶら下がれるように細工した。それを、これまた植木屋の仕事で回収した(おそらく物置きか何かの)鉄製のフレームにぶら下げて草の生い茂る庭の端の方に設置してみた。
試しに私が乗ってみるとブランコなりの機能をしたので、出来上がったものをこと子を呼んできて見せると大変喜んで遊んでくれた。ヨチヨチ歩きのふみも座らせてみると、危なっかしいなりに遊べて、笑顔満面。企画者の私は大分満足だったが、この庭は藪蚊も多いので1回遊んで以来大して遊んでいるのを見ない。秋冬になればもう少し人気が出るとよいのだが…。
こんな田舎町でもコロナの陽性者が増えてきたらしく、8月中、関係者に陽性者が出たとかで娘2人の通う保育園が2週間閉園になってしまった。その間、キッチンカーの出店の日もあり、我々は手のかかる2人の娘を引き連れて移動販売車で出動していた。幸い子どもの多い現場も含まれていたため、仕事にならないほど追い込まれることはなかったが、気苦労は確かにあった。
近所で、同じ保育園に子どもを通わせてる仲良しの友人家族たちも、自粛ムードだったので積極的に会うこともしにくくなり、何となくモヤモヤした日々が続いた。陽性者と直接接触したかは判然としないが、こと子もふみも念のためPCR検査を受けてくれ、というので受けてみたが幸い2人とも陰性だった。
次女を可愛い可愛い、と言ってるとこと子が「わたしは?」と嫉妬することがたまにあるので私は努めて平等に可愛がろうと心がけているが、話せるようになってワガママを言ったりこちらの言いつけをわざと守らずに困らせようとすること子が、手がかかるがただ可愛いだけのふみより憎らしく思えることがあり、そんな狭量な自分に嫌気がさすことがある、と育児の先輩にこぼしたら、意外な反応があった。
下が中学生を含む3人の子どもを育ててきた彼女は、曰く「私は赤ちゃんとか幼児って苦手だったな。だって虫みたいじゃない?」ということだった。私は即座に虫と幼児をイコールで結びつけられずに戸惑ったが、その後に彼女が言った「私は(子ども達が)大きくなって、それぞれの個性が出てきた時の方が断然楽しくなった。だって3人とも全然違うんだよー」というのに感銘を受けた。
なるほど確かにそれは楽しみである。小さいウチは手がかかって大変だけど、「言いつけをわざと守らずに困らせようとする」こと子もそのうちまた違う段階に入る。プリキュアじゃなくてもっといろんな世界があることを知って成長していく。いま憎たらしく思うことがあっても大した問題でもないような気がしてくるのである。
そんなこと子の着替えを、いつもは自分でできるのに、眠過ぎて何もできなくなったこと子に代わり久しぶりにやってあげたら、アレ…、と驚くほどに足が長くなっていることに気づく。その感じは(よく成長したな!)と感心するのと同時に何だか恐ろしいようでもあった。
次女のふみは両の足で歩くという運動を覚え、またそのおかげか、ただ無闇に泣き出す、というようなことが少なくなって、保護者である私は随分楽になった。
5歳の姉こと子を、それまでよりもずっと「お姉ちゃん」として認識し始め、こと子があやしたりからかったりしてくるのを、楽しそうに、時にはまた奇声を上げて反応している。たまにこと子がピーさんや私に怒られて泣き出すと、少なくない確率でふみがやってきて、少し姉の泣いてる様子を覗き込んでから手を伸ばし「よしよし」をする。それがまったく滑稽で可笑しいのだが、「よしよし」とやって、時々我々大人の反応を確認しているのがまた可笑しい。赤ちゃんによしよしされて何だか悔しく、自分が哀れに思うのだろう、こと子はそんな時、そのふみのよしよしを手で払い退けたりする。
しかし話には聞いていたが、キョウダイがお互いを尊い存在として無邪気に遊び、じゃれ合う姿というのは見事に愛らしいものである。ノーフューチャー上等、などと粋がっていた20代のロック青年だった私に、40代まで頑張れば素晴らしい未来が待ってるぞ、と伝えたいほどである。
2人目のふみを育てていて、その可愛らしい姿に胸が震える時があるが、それと同時に、ああこと子がこれくらいの時期にもまた同様の感動を私に与えてくれたことをふと思い出す。思い出すのだけど、鮮明にという訳にいかず、うっすらとぼやけていることもある。こんなに可愛い瞬間瞬間を、その時点ではしっかり胸に刻もう、と心に誓うのだけど、実際のところは儚くもどんどん忘れていってしまうのだ。悲しいけどそんなものではなかろうか。
いや、一つ一つの思い出を鮮明に記憶して忘れないタイプの人もいるのかもしれないが、大抵はそうじゃないから写真なんていうものが発展したんだろう。写真も今ではみんなケータイでパシャパシャいくらでもやれるのだから、尊い瞬間はふんだんに記録されることになった。
私もしょっちゅうケータイを取り出して娘らを撮影している。ただ沢山記録を残しても、それらを振り返るタイミングは意外と少ない。というか、ほとんどない。何十年も経って爺さんになった時、ケータイにしろパソコンにしろそういうデジタルのデータを見返す姿というのがどうもうまく想像できない。生の写真とかアルバムなんてものは、そう考えてみると貴重な代物である。
田舎に来てから、不思議なことに思えるが、いわゆる「やりたいこと」というのが野放図に増えた。自給自足で野菜を賄う、薪ストーブを導入する、軽トラを買う、などなど、瑣末なことも含めるとキリがない。その中で、子どものためのブランコを作る、というのがあって、先日遂にその課題を果たした。
植木屋の仕事で出た丸太を、チェーンソーで縦半分に切って、ロープでぶら下がれるように細工した。それを、これまた植木屋の仕事で回収した(おそらく物置きか何かの)鉄製のフレームにぶら下げて草の生い茂る庭の端の方に設置してみた。
試しに私が乗ってみるとブランコなりの機能をしたので、出来上がったものをこと子を呼んできて見せると大変喜んで遊んでくれた。ヨチヨチ歩きのふみも座らせてみると、危なっかしいなりに遊べて、笑顔満面。企画者の私は大分満足だったが、この庭は藪蚊も多いので1回遊んで以来大して遊んでいるのを見ない。秋冬になればもう少し人気が出るとよいのだが…。
こんな田舎町でもコロナの陽性者が増えてきたらしく、8月中、関係者に陽性者が出たとかで娘2人の通う保育園が2週間閉園になってしまった。その間、キッチンカーの出店の日もあり、我々は手のかかる2人の娘を引き連れて移動販売車で出動していた。幸い子どもの多い現場も含まれていたため、仕事にならないほど追い込まれることはなかったが、気苦労は確かにあった。
近所で、同じ保育園に子どもを通わせてる仲良しの友人家族たちも、自粛ムードだったので積極的に会うこともしにくくなり、何となくモヤモヤした日々が続いた。陽性者と直接接触したかは判然としないが、こと子もふみも念のためPCR検査を受けてくれ、というので受けてみたが幸い2人とも陰性だった。
次女を可愛い可愛い、と言ってるとこと子が「わたしは?」と嫉妬することがたまにあるので私は努めて平等に可愛がろうと心がけているが、話せるようになってワガママを言ったりこちらの言いつけをわざと守らずに困らせようとすること子が、手がかかるがただ可愛いだけのふみより憎らしく思えることがあり、そんな狭量な自分に嫌気がさすことがある、と育児の先輩にこぼしたら、意外な反応があった。
下が中学生を含む3人の子どもを育ててきた彼女は、曰く「私は赤ちゃんとか幼児って苦手だったな。だって虫みたいじゃない?」ということだった。私は即座に虫と幼児をイコールで結びつけられずに戸惑ったが、その後に彼女が言った「私は(子ども達が)大きくなって、それぞれの個性が出てきた時の方が断然楽しくなった。だって3人とも全然違うんだよー」というのに感銘を受けた。
なるほど確かにそれは楽しみである。小さいウチは手がかかって大変だけど、「言いつけをわざと守らずに困らせようとする」こと子もそのうちまた違う段階に入る。プリキュアじゃなくてもっといろんな世界があることを知って成長していく。いま憎たらしく思うことがあっても大した問題でもないような気がしてくるのである。
そんなこと子の着替えを、いつもは自分でできるのに、眠過ぎて何もできなくなったこと子に代わり久しぶりにやってあげたら、アレ…、と驚くほどに足が長くなっていることに気づく。その感じは(よく成長したな!)と感心するのと同時に何だか恐ろしいようでもあった。
スポンサーサイト