都を落ちて土を掘る <新しい友人>
橋を渡った向こうの、Tさん宅の枝垂れ桜の手入れをすることになった。最近始めた植木屋の仕事で、ちょっとしたきっかけでTさんが私に声をかけてくれたのだ。東京からやってきた新参者に仕事を任せてくれたかっこうで、一生懸命やるよりほかない。
Tさんが、いつでも時間ある時にやってくれれば結構ですから、と言ってくれたので、週のうちで何とか時間の作れる月曜午後に決行することに決めていた。
月曜の昼に都内での出稼ぎから帰ってきた私は、一瞬のつもりが2時間ほど焚き火に熱中してしまい、Tさんのお宅で作業を開始したのは2時を過ぎてしまった。今時分は4時半には暗くなるので片付けを考えると2時間ほどしか作業できない。でもまあ何とか2時間あれば終わるだろう。
Tさん宅のインターホンを押したが留守のようだったので作業にとりかかった。居ない時でも勝手にやっていいですから、と私は言われていたのだった。
用意したばかりの12段の脚立と、リサイクル屋でゲットしたクソ重たい8段の脚立で臨んだが、高い所は12段でも届かない。仕方がないのでそこから上は幹に這い上がって木登りをしながら切るしかなかった。
切るしかなかった、とはいうものの、そうやって木に登り、木を切る、ということが楽しいのでもあった。東京の会社員を思い切って辞め、田舎サバイバルの過程で出会った植木屋という仕事、まさか自分が体験すると思ってなかった肉体労働であったが、どういう具合か、私は楽しい、と感じて続けているのである。「木を切ること」や「草と格闘すること」がこんなにも楽しいものなのか、すぐに、というよりは時間をかけて、ジワジワと私は植木屋の面白さに取り憑かれていった。
枝垂れ桜の木は枝がしなる訳だが、幹もしなるので、折れることはないが、樹上でバランスを取るのが難しく、想像以上の作業になる予感がした。案の定2時間で終わるかどうか怪しくなってきて、私は焦りながら剪定作業を続けた。
「こんにちは」と突然声をかけられて私はハッとした。声のする方に身体を少し捻って下を見下ろすと少年が私を見上げて歩いて来る。ランドセルを背負っているので小学校の帰りらしい。「こんにちはー」と返しながら少年を観察すると、どうも私が木の上にいることを興味深そうに眺めているようである。
「ん?面白そう?」
「はい!ぼく木登り好きなんですよ」
少年の眼差しはキラキラし始めて、私は嬉しくなって「そのうち植木屋になったらいいよ!」と調子のいいことを言ってしまった。私はまだ始めて1年ちょっとのペーペーなのに…。
よく見ると少年はソフトモヒカンな髪型風情である。小学生でモヒカンとは、こんな田舎町で、とまた私は何だか嬉しくなった。しかもナイロンのジャンパーを羽織っているし「タクシードライバー」のロバート・デニーロじゃん、と私は可笑しくなってきた。
「髪型かっこいいね」
と、私が声を張り上げると、
「ありがとうございます」
と、分かってくれます?このオシャレが?とでも言いたげに、また嬉しそうに、そして続けて
「僕の家、この家です」
とTさんの隣の家を指して言った。
翌日、ピンポン飯店の出店が終わり、夕方、新居の庭に溜めている剪定ゴミを、やや盛大に燃やしていると、「こんにちは」とまた声をかけられた。振り返ると、昨日の少年である。そうか、小学校に通っているのだから毎日これくらいの時間にここを通るのか、当たり前のことだ。「こんにちはー!」と私は、彼に昨日よりも親近感を込めて声を張り上げると、彼は橋の向こうへ見えなくなり、今度はTさんの向かいのIさんの家の子供たちに挨拶をしているのが聞こえた。
それからしばらく彼らの賑やかなふざけ声が聞こえていたが、ちょっとするとまた彼が橋を渡って戻ってきて、ビニール袋をから何やら取り出して
「すいません」と言っている。私が立ち上がると彼が庭の脇をこちらに近づいてきてみかんを1つ私に差し出した。何故かお尻の部分だけ皮が丸くめくられている。
「あの、これもらったんですけど僕もう3個も食べちゃって」と笑い、
「よかったら、休憩の時にでも食べてください」と恥ずかしそうに言った。私の焚き火は仕事半分、遊び半分で、そんな風に言われてこそばゆくなったが、「ありがとう」と私は受け取った。
踵を返す少年に、「名前、なんて言うの?」と尋ねると、「あ、ぼく、ヤマトって云います」と言った。その時の爽やかな表情は私の胸に迫るものがあった。私は感動を押し隠し、「よろしくね」と平然を装っておいた。
近所に顔見知りの子どもはいるけど、この距離感は初めてなのだった。私の田舎暮らしに新たな友人ができた気がした。
Tさんが、いつでも時間ある時にやってくれれば結構ですから、と言ってくれたので、週のうちで何とか時間の作れる月曜午後に決行することに決めていた。
月曜の昼に都内での出稼ぎから帰ってきた私は、一瞬のつもりが2時間ほど焚き火に熱中してしまい、Tさんのお宅で作業を開始したのは2時を過ぎてしまった。今時分は4時半には暗くなるので片付けを考えると2時間ほどしか作業できない。でもまあ何とか2時間あれば終わるだろう。
Tさん宅のインターホンを押したが留守のようだったので作業にとりかかった。居ない時でも勝手にやっていいですから、と私は言われていたのだった。
用意したばかりの12段の脚立と、リサイクル屋でゲットしたクソ重たい8段の脚立で臨んだが、高い所は12段でも届かない。仕方がないのでそこから上は幹に這い上がって木登りをしながら切るしかなかった。
切るしかなかった、とはいうものの、そうやって木に登り、木を切る、ということが楽しいのでもあった。東京の会社員を思い切って辞め、田舎サバイバルの過程で出会った植木屋という仕事、まさか自分が体験すると思ってなかった肉体労働であったが、どういう具合か、私は楽しい、と感じて続けているのである。「木を切ること」や「草と格闘すること」がこんなにも楽しいものなのか、すぐに、というよりは時間をかけて、ジワジワと私は植木屋の面白さに取り憑かれていった。
枝垂れ桜の木は枝がしなる訳だが、幹もしなるので、折れることはないが、樹上でバランスを取るのが難しく、想像以上の作業になる予感がした。案の定2時間で終わるかどうか怪しくなってきて、私は焦りながら剪定作業を続けた。
「こんにちは」と突然声をかけられて私はハッとした。声のする方に身体を少し捻って下を見下ろすと少年が私を見上げて歩いて来る。ランドセルを背負っているので小学校の帰りらしい。「こんにちはー」と返しながら少年を観察すると、どうも私が木の上にいることを興味深そうに眺めているようである。
「ん?面白そう?」
「はい!ぼく木登り好きなんですよ」
少年の眼差しはキラキラし始めて、私は嬉しくなって「そのうち植木屋になったらいいよ!」と調子のいいことを言ってしまった。私はまだ始めて1年ちょっとのペーペーなのに…。
よく見ると少年はソフトモヒカンな髪型風情である。小学生でモヒカンとは、こんな田舎町で、とまた私は何だか嬉しくなった。しかもナイロンのジャンパーを羽織っているし「タクシードライバー」のロバート・デニーロじゃん、と私は可笑しくなってきた。
「髪型かっこいいね」
と、私が声を張り上げると、
「ありがとうございます」
と、分かってくれます?このオシャレが?とでも言いたげに、また嬉しそうに、そして続けて
「僕の家、この家です」
とTさんの隣の家を指して言った。
翌日、ピンポン飯店の出店が終わり、夕方、新居の庭に溜めている剪定ゴミを、やや盛大に燃やしていると、「こんにちは」とまた声をかけられた。振り返ると、昨日の少年である。そうか、小学校に通っているのだから毎日これくらいの時間にここを通るのか、当たり前のことだ。「こんにちはー!」と私は、彼に昨日よりも親近感を込めて声を張り上げると、彼は橋の向こうへ見えなくなり、今度はTさんの向かいのIさんの家の子供たちに挨拶をしているのが聞こえた。
それからしばらく彼らの賑やかなふざけ声が聞こえていたが、ちょっとするとまた彼が橋を渡って戻ってきて、ビニール袋をから何やら取り出して
「すいません」と言っている。私が立ち上がると彼が庭の脇をこちらに近づいてきてみかんを1つ私に差し出した。何故かお尻の部分だけ皮が丸くめくられている。
「あの、これもらったんですけど僕もう3個も食べちゃって」と笑い、
「よかったら、休憩の時にでも食べてください」と恥ずかしそうに言った。私の焚き火は仕事半分、遊び半分で、そんな風に言われてこそばゆくなったが、「ありがとう」と私は受け取った。
踵を返す少年に、「名前、なんて言うの?」と尋ねると、「あ、ぼく、ヤマトって云います」と言った。その時の爽やかな表情は私の胸に迫るものがあった。私は感動を押し隠し、「よろしくね」と平然を装っておいた。
近所に顔見知りの子どもはいるけど、この距離感は初めてなのだった。私の田舎暮らしに新たな友人ができた気がした。
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