「移住と土、田舎暮らしと身体」
2020年3月、私は埼玉県の小川町という田舎町に中古戸建を買った。生まれも育ちも東京。カッコつけて言えばシティーボーイの私が、ほぼ40年を過ごした都心を離れ、四方に山が見えるような田舎に移住したのだ。
移住の動機は、20代の頃から心の奥でザワついていた緑への憧憬と、「山が見えるところに住んでみたい」という、人には話さぬが何となくずっと抱いていた漠然とした欲望が、30代に入って燃え続けていたこと。東北大震災が起きて都心部で生きることを本質的に考え直したこと。結婚して、同様な感覚で移住を希求する相手と生きることになったこと。そして2人目の子どもが出来たこと…。
さて、その、私の地方移住は私に数えきれないくらいの恩恵をもたらしている。もし、これを読んでいる方がアスファルトに支配された町に住んでいるなら、無責任に、あなたも田舎に移住してみませんか、と片端から力説して回りたいくらい、私は田舎暮らしに魅了されている。
私にこの原稿を依頼してくれたしいねはるかさん(以下ハーさん)とはほぼ同世代で、彼女とは20代の若かりし頃、パンクやハードコアなど、アンダーグラウンドなバンドのシーンですれ違い、30近くなってから整体(以下調整)というキーワードで親しくなった。以来、私はたまにハーさんに身体の調整をしてもらう。
調整は目に見えない身体の中の様子を整える技であり、私は興味こそあれ、自分では何もできない。ただ、調整してもらった後は身体が楽になる、いい姿勢が取りやすくなり、具体的な不具合が緩和したりする。
話しを戻すが、私は田舎に来てから、都心で暮らしてる時より体調が良くなった。そうなった理由は複数の要素が絡み合っているのかもしれないが、例えば、水が変わった(近所の地下水を汲みに行くようになった)。身体をフルに動かすようになった(脱サラして植木屋に転職した)。食べ物が変わった(大型スーパーで野菜を買うことが減り、近所の農産物直売所で売ってる新鮮な野菜や、庭で採れたモノを食べるようになった)。これらがどう作用しているかは分からないが、緑溢れる土地に来て、身体が楽になっていく、ということひとつだけでも移住をオススメできるし、私の人生(身体)の調整たり得た。
植木屋に弟子入りして、木や草のことに一気に興味が湧き、庭の畑をいじることで、土、土壌への興味が湧いた。余談だが土いじりも身体の調整効果がある気がしている。
さて、そんな中で私は知り合いから「土中環境」という本を教えてもらった。造園技師(広義の植木屋)の高田宏臣さんという方の著書で、植木屋、土壌、という要素に引っ張られ、私はその本をすぐに購入したのだが、これが震えるほどに面白い内容だった。
健全な土壌と、病んだ土壌。健全な土壌には多様性に富んだ植生が生まれ、災害が起こりづらい。病んだ土壌は藪化してしまったり、土砂災害を誘発する。災害が起きた時、現代の土木対処では人工構造物でそれを食い止めようとするため、更に土壌が悪化する(著者は自然災害の各所を調査して回り、その事実を突き止めている)。コンクリートとアスファルトで土壌が隠され尽くした都心で育った私にとって、たったそれだけの事実が偉く感動的なこととして迫ってきた。災害に対して人工構造物で対処するのは、対症療法としてクスリを飲んで病に対峙するのと似ている…。
また、大地が呼吸をしている、というこの本に書かれている事実にも、深い感動を覚えた。なぜ路地栽培の畑に水やりが不要なのか、そんなシティーボーイの疑問にあっさりすっきり解答が用意されていた。健全な土壌には水と空気の通り路(通気浸透水脈)が縦横に確保され、微生物や菌類がその構造を支え、美しい植生が出来上がる。
人が見て、ああ、美しいな、癒されるな、という自然の景色には、そのような生物の多様性や土の呼吸が確保されている。高田さんの主張にそのような表現があって、これも印象的だった。人間も自然の一部で、多様性や循環の中で調和している生き物として、そのような環境に癒しを感じる力が備わっている、ということである。
そんな私に今1番興味があることが山の管理である。鬱蒼と茂って鳥も飛べなくなったような山は病んだ土壌となり、藪化して見た目も悪くなっていく。そんな山を人間の手で美しいモノに変えることができるかもしれない(そうやって人間が管理してできるのが里山である)。「土中環境」を読んで覚醒した私が買った中古建の裏山は、まさに竹藪となって息も詰まりそうな外観だ。この山の持ち主は高齢の女性であるため、もはや間伐などもできない。持ち主の女性と挨拶することができた私は、「竹が生い茂って管理できなくてすいません」と新参者に謝る彼女に「もし、自分でよければ、空いた時間に間引いたりしてもいいですか?」と提案し、了承を得たのである。
土地を健全に蘇らせるためには溝を切ったり、下草を刈ったり、不要な雑木を間伐したりする。その営為は科学というよりは自然であり、具象ではなく目には見えない感覚である。
ハーさんが、何となく調整と似てますね、と言うのでなるほど、と思って田舎に来て自然に巻き込まれた私は、新たな人生(身体)と向き合うのである。
悪いことは言わない。あなたも田舎で新たな身体と出会ってほしい。
移住の動機は、20代の頃から心の奥でザワついていた緑への憧憬と、「山が見えるところに住んでみたい」という、人には話さぬが何となくずっと抱いていた漠然とした欲望が、30代に入って燃え続けていたこと。東北大震災が起きて都心部で生きることを本質的に考え直したこと。結婚して、同様な感覚で移住を希求する相手と生きることになったこと。そして2人目の子どもが出来たこと…。
さて、その、私の地方移住は私に数えきれないくらいの恩恵をもたらしている。もし、これを読んでいる方がアスファルトに支配された町に住んでいるなら、無責任に、あなたも田舎に移住してみませんか、と片端から力説して回りたいくらい、私は田舎暮らしに魅了されている。
私にこの原稿を依頼してくれたしいねはるかさん(以下ハーさん)とはほぼ同世代で、彼女とは20代の若かりし頃、パンクやハードコアなど、アンダーグラウンドなバンドのシーンですれ違い、30近くなってから整体(以下調整)というキーワードで親しくなった。以来、私はたまにハーさんに身体の調整をしてもらう。
調整は目に見えない身体の中の様子を整える技であり、私は興味こそあれ、自分では何もできない。ただ、調整してもらった後は身体が楽になる、いい姿勢が取りやすくなり、具体的な不具合が緩和したりする。
話しを戻すが、私は田舎に来てから、都心で暮らしてる時より体調が良くなった。そうなった理由は複数の要素が絡み合っているのかもしれないが、例えば、水が変わった(近所の地下水を汲みに行くようになった)。身体をフルに動かすようになった(脱サラして植木屋に転職した)。食べ物が変わった(大型スーパーで野菜を買うことが減り、近所の農産物直売所で売ってる新鮮な野菜や、庭で採れたモノを食べるようになった)。これらがどう作用しているかは分からないが、緑溢れる土地に来て、身体が楽になっていく、ということひとつだけでも移住をオススメできるし、私の人生(身体)の調整たり得た。
植木屋に弟子入りして、木や草のことに一気に興味が湧き、庭の畑をいじることで、土、土壌への興味が湧いた。余談だが土いじりも身体の調整効果がある気がしている。
さて、そんな中で私は知り合いから「土中環境」という本を教えてもらった。造園技師(広義の植木屋)の高田宏臣さんという方の著書で、植木屋、土壌、という要素に引っ張られ、私はその本をすぐに購入したのだが、これが震えるほどに面白い内容だった。
健全な土壌と、病んだ土壌。健全な土壌には多様性に富んだ植生が生まれ、災害が起こりづらい。病んだ土壌は藪化してしまったり、土砂災害を誘発する。災害が起きた時、現代の土木対処では人工構造物でそれを食い止めようとするため、更に土壌が悪化する(著者は自然災害の各所を調査して回り、その事実を突き止めている)。コンクリートとアスファルトで土壌が隠され尽くした都心で育った私にとって、たったそれだけの事実が偉く感動的なこととして迫ってきた。災害に対して人工構造物で対処するのは、対症療法としてクスリを飲んで病に対峙するのと似ている…。
また、大地が呼吸をしている、というこの本に書かれている事実にも、深い感動を覚えた。なぜ路地栽培の畑に水やりが不要なのか、そんなシティーボーイの疑問にあっさりすっきり解答が用意されていた。健全な土壌には水と空気の通り路(通気浸透水脈)が縦横に確保され、微生物や菌類がその構造を支え、美しい植生が出来上がる。
人が見て、ああ、美しいな、癒されるな、という自然の景色には、そのような生物の多様性や土の呼吸が確保されている。高田さんの主張にそのような表現があって、これも印象的だった。人間も自然の一部で、多様性や循環の中で調和している生き物として、そのような環境に癒しを感じる力が備わっている、ということである。
そんな私に今1番興味があることが山の管理である。鬱蒼と茂って鳥も飛べなくなったような山は病んだ土壌となり、藪化して見た目も悪くなっていく。そんな山を人間の手で美しいモノに変えることができるかもしれない(そうやって人間が管理してできるのが里山である)。「土中環境」を読んで覚醒した私が買った中古建の裏山は、まさに竹藪となって息も詰まりそうな外観だ。この山の持ち主は高齢の女性であるため、もはや間伐などもできない。持ち主の女性と挨拶することができた私は、「竹が生い茂って管理できなくてすいません」と新参者に謝る彼女に「もし、自分でよければ、空いた時間に間引いたりしてもいいですか?」と提案し、了承を得たのである。
土地を健全に蘇らせるためには溝を切ったり、下草を刈ったり、不要な雑木を間伐したりする。その営為は科学というよりは自然であり、具象ではなく目には見えない感覚である。
ハーさんが、何となく調整と似てますね、と言うのでなるほど、と思って田舎に来て自然に巻き込まれた私は、新たな人生(身体)と向き合うのである。
悪いことは言わない。あなたも田舎で新たな身体と出会ってほしい。
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