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父のこと④

父との二人暮らしは気楽だったとはいえ、出戻りで実家で暮らしている、という窮屈さをどこかで感じていたのは確かだった。私は特に父と反目するようなことはなかったが、東北大震災後の政治問題、ことに原発政策に関して話が噛み合わなくなり、たびたび言い争うようなことが起こってしまった。

それまで日本の政治に関して積極的に意識を向けてこなかった自分が、震災きっかけで急に覚醒し、当時の政権の原発政策に対して怒りが収まらなくなってしまい、脱原発デモなどに足繁く通うようになった。父は原発に対して、悪いイメージを持ってこなかった。政府の発表通り、クリーンなエネルギーとして、エネルギー資源の乏しい日本では仕方がない、そう思っていたはずだった。だから、私が突如左翼的な言動(父はそう捉えていた)を展開し始めたことに牽制したり、非難するような態度をとった。

嘘がつけず馬鹿正直な私は、政権擁護的な父の態度に何度か噛みついた。それは、父に対して、どちらかというと左寄りな人間性を見出していたと同時に、実際国歌斉唱不起立問題などで窮地に立たされた教師の同僚を庇って体制側の教頭に噛みついたり、などという父の武勇伝などから、きっと私の気持ちが伝わるだろう、そんな風にどこかで信じていたからかもしれなかった。

しかし、何回か衝突するうちに私は、自分の言動が徒労のように感じ始めてしまい、平行線で言葉をぶつけ合うことの虚しさに押され、故意に父との話題から政治的なものを排除するように努力した。その部分さえ除けば、依然、私と父との関係性にヒビが入るようなことはなかったのだ。

そんな中、私に恋人ができ、結婚することになった。当然父は喜びを隠さなかった。それから私は実家から程近い場所にアパートを借り、たまに父とピー(私の妻のことである)と3人で酒を飲んだり、飲み屋に行ったりと、良好な日々が続いた。母は亡くなっているし、近いとはいえ一人暮らしじゃオヤジも寂しいだろう、と心配したが、父は悠々自適に引退生活(公務員を終え、嘱託としてたまに学校に行っていた)を送っており、まだその頃はバラライカ楽団の顧問も任されていたし、ギター関係、大学OB会関係の大役を任されていたりと、何となく忙しく充実して過ごしていたように覚えている。

数年後ピーが妊娠した。私はついに、ギターの親子共演を越える具体的な親孝行ができるのだ、と誇らしかったし、父も目尻を垂らして喜んだ(その時垂らした目尻の皺の深さに、父が老人になっていくのを感じた)。そして何の社会的キャリアも持たず、アルバイトを転々とした後、小さな会社の会社員になった私は、慎重な考察を経ずに、ピーに、出産を機に、実家で父と同居することを提案した。単純に生計を案じてのことと、子守り生活に父の存在も力になるだろうと思ったからだった。彼女は私に精一杯気を使ったのだろう、どういう経過だったか、オーケーサインが出たため、出産数ヶ月前に私たち夫婦はアパートを引き払って実家に引っ越した。

しかしこれが裏目だった…。父とピーのすれ違いが短い間に繰り返され、3日で同居生活が崩壊することになってしまった。今になれば私の想像力のなさに呆れるが、まさかこんなに早く問題が起こるとも思っていなかった私は事態の深刻性に気づき、和平的収束を図るため、すぐに仲良くなっていたアパートの大家さんに連絡し、「すいません、戻らせてください」と泣きついた。幸い、我々の愛すべき住まいだったその部屋は埋まってなかったので運んだ荷物を一からもと居たアパートに戻す段取りをつけた。

ピーが許容できなかった父の言動のことで父と話し合い、同居案は一旦白紙撤回にしようと伝えた。デリカシーのない父は、何でそれくらいのことで、と首を傾げていたが、抵抗するようなことはなく、ただ無念そうに肩を落とした。ドタバタ極まるその3日目の夜、たまたま叔母が2人、私の子どもがじきに生まれるということでお祝いに実家にやってくることになっていた。娘と孫を持つ叔母の1人がしみじみと、親子の同居はそんなに生やさしいものじゃないわよ、と私に言った。

その日の夜は皆で酒を飲み、ただ叔母と楽しい会話をして終わるはずだった。ところが、何かの拍子で話題が原発や安倍政治のことになってしまった。私と父がその点で不和があったことは知らずに、叔母は安倍さんはひどい、というようなことを言い、もう一人の叔母もその意見に同情的だった。その時はまだ安倍を支持していた父(アベノミクスで株価が上がったと喜んでいた)はお前たちは分かっていない、というような感じで感情的になった。私もつい、叔母にそうでしょ、そうでしょ、と同情を求めてしまったのだが、段々父の口調が激しくなってきているのに、そしてまた酒がだいぶ進んできていることに気づき、
「いや、もうこの話しはよそう!!」
と無理やり話を終わらせようとした。

すると
「いいや、よくない!!」と父はかなり怒っているようだった。
祖母の葬式の後に親戚と父が口論になった時と同じで父だけが孤立している状態だった。マズイな、と思い、
「いくら話しても平行線なんだから、もうやめよう!!」
私は(確か)父を制するようなジェスチャーをして落ち着かせようとした。その時だった。父が突然机をドンと叩いて立ち上がった。
「キサマ!親に向かって何だ、その態度は!!」
その父のキレ様を前にして、私も瞬間的に理性を飛ばしてしまい、本能的に立ち上がってしまった。父の眼は見たことのないほどに血走り、そしてまた酔っていた。父は私が立ち上がったことで余計に怒りを増幅させ、机を叩いて立ち上がった以上、何かをしなければ、という様な気魄に満ち溢れていた。

やめてー、ピーが隣で泣き出し、もう、2人ともやめなさい、叔母の声も聞こえた。父が私に近づいて手を上げた。殴るのでもなく、何かしないとカッコがつかない、という風に私の首に手を突き出し、締める素振りをした。素振りだったのかどうか、最早関係なかったが、老いた父の、また泥酔した父の腕力は驚くほど弱かった。私はすぐにその手を振り払い、今度は私が何かをしないとかっこがつかない、と咄嗟に父の肩に手を当てて後ろに押した。父はされるがままに後退りをし、台所側の壁に退いた。そこに電気のスイッチがあったものだから瞬時に部屋が暗転し、女性陣の悲鳴とともに見事なパニック劇となってしまった。まるで「男はつらいよ」の寅さんとタコ社長の揉み合いの様であった。

私はそのまま無抵抗で、もはや酔いのため、自分が何故こんな風になっているのかさえ分からなくなっているかのような父を無理矢理椅子に座らせて私も座った。叔母が「自分の息子に手を上げるなんて最低よ長尾さん!!」と怒ったのを覚えている。数ヶ月後に産まれる予定の娘でお腹を大きくしていたピーはずっと泣いていてまるで修羅場の様だった。父はしばらく茫然自失といった感じでそのまま椅子から動かなかった。

その事件は、私が父を思い返す時一番濃厚な思い出としてはっきりと焼きついている。何だか惨めな思い出のようでいて、大人になるまでよく分からなかった父の存在と、最も近づいた時間だったのかもしれない、と今では思える気もするである。

⑤へ続く


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