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父のこと⑤

泥酔の父との取っ組み合い(というほどでもないか…?)の喧嘩と同居プロジェクトの破綻がきっかけで、ピー(奥さん)は里帰り出産の予定を急遽前倒しにして実家に戻った。父は自分がブチ切れて私の首を絞めようとしたことなど全く記憶に残ってなかった。そんなことをオレがしたのか、とまるで他人事のように気まずそうだった。

その2、3ヶ月後、無事長女が生まれ、私達は、父との同居前に暮らしていたアパートに戻り、家族3人の新しい生活が始まった。それから以降は、もう政治のことで喧嘩することもなく、私と父との関係性でいえば黄金期だったのではないだろうか。父は初めての孫の存在にメロメロ。喜ぶとは思っていたけどここまでか、というくらい「コッピ」とか「こっちゃん」と呼んでは長女のこと子を可愛がってくれた。

同居が叶わなかった反動で寂しくなって一方的前のめりでこちらに押しかけてくるようなこともなかったし、大体週に1度くらい連絡があって、こちらも都合がよければ実家に行ってメシを食ったり、田無の居酒屋で飲んだりする関係が続いた。行きつけの赤提灯に父が入れた焼酎のボトルには「コッピー」と長女のあだ名が書かれていた。同居プロジェクトですれ違いのあった父とピーさんは順調に間柄を取り戻していき、円満な雰囲気での付き合いが続いた。

この頃から父は私にしょっちゅうお金の話しをするようになり、生前贈与だの生命保険がどうこうとか、妙に保守的な雰囲気になっていった。ギターを弾くことも減り、昔のように指が動かなくなってきた、とよく漏らした。そしてその時期最もメインの活動になっていたと思われる、北川記念バラライカオーケストラの団長に関しても、もうオレは辞めてもいいんだ、とかもう降りたい、とかなんとか事あるごとに言うようになっていた。

背筋は丸まり、見た目にも父が老いてきているのが判然としてきた。足腰も弱まり、酔った後では座敷から立ち上がれず、後ろにひっくり返ることもザラ。何とか歩き出してもフラフラ、私は父の肩を担ぎ上げながら、普段はいろんな方が飲み会の後のこういう父の介抱にあたっているのだろう、と想像してヤレヤレとも思っていた。が、ギターや執筆活動の減退に伴い、酒飲みが父の生きがいの中枢になりつつあったのだろう。

この時期に私が地元田無で出会った運命の友人夫妻にしゅうくんとはるかちゃんがいる。私達家族のファンになっちゃった、と公言して、長女の面倒見から始まって何でも力を貸してくれる仏のような2人なのだが、自然な流れで彼らは私の父とも仲良くなった。

ドレッド頭に全身タトゥーといういでたちのしゅうくんと、金髪で派手目な化粧をするはるかちゃんは、定職を持たずいろんな人のお手伝いをしながら徳を積んで生きている、といった風な特殊な友人だ。そんな2人に父は「お前たちは仕事持たないでどうやって生きてるんだ?」と単刀直入に聞く。そして彼らは毎回、こうこうこういう具合です、と父に真面目に返答を返す。その場では一応納得するが、その後でしっかり酔っ払ってしまうので彼らと飲むと毎回同じ質問をして彼らもまたか、と苦笑い。が、とにかくそんな関係性ができたのだった。

父は定時制でずっと教えていたこともあって、若者とのコミュニケーションに長けていた。私が父に尊敬する部分を持っていたとしたら、その分け隔てのない感覚だった。定時制にはオレオレ詐欺で捕まる不良生徒の他、自閉気味、オタク、いろんなタイプの若者が集まるらしく、彼らとの交流は父の人望にも厚みを持たせていたのだろう。また、父の知り合いにはお偉いさんから下々までいろんな人がいた。だから、私がどんなタイプの友人を実家に連れて行ってもニュートラルに、しかもちゃんと興味を持って接していたし、息子の友達と酒を飲むのが楽しそうで、私は父のそんなところが好きだった。

ある時、しゅうくんとはるかちゃんが「メヒコ(父は長尾カズメヒコと芸名で名乗っていた)可愛いよね〜」と私の前で、「あのフォルムがさー」とか、「あのファッションセンスがさー」と話しているのを聞いて私は吹き出してしまった。そうなのだ。高校生くらいから母が死ぬくらいまで、私にとっての父の存在は不明確で、何ならちょっと恐いぐらいな印象だった。そこから段々と距離が縮まり、酒を飲むようになってからは徐々に父に対して、好感を持つようになっていった。そして年老いてその丸まっていく姿を何となく見ていて、言葉にはしなかったが、どこかで「可愛い」と感じていたに違いなく、彼らが「メヒコ可愛い」と言葉にしたのを契機に私の中の父親評は「可愛い」になった。毎度酒をしたたかに飲んで潰れていく姿も、ケアは面倒だが客観的に見ればカワイイのだ。

父の飲んで潰れて、という姿は、父の現役の頃にはなかったことだと周囲の方々は言っていた。年老いて肝臓が弱ってきてそうなったのか不明だが、その頻度は並大抵じゃなくて、飲んだら必ず、なのだった。大体人と飲んでるとペースが上がるらしく1〜2時間くらいで出来上がり、気づくと船を漕いだり机に突っ伏してしまう。それがおかしくて写真を撮ってSNSに載せたりすると、いろんな友人が、長尾くんのお父さんヤバいね、と謎の評価をしてくれるのだった。父はエンターテイナーを自認していたはずだが、わたしというメディアを経由して、更に私の友達たちまで楽しませてしまうのか、と妙に感心したものだった(父の死後、長尾くんのお父さんと一緒に飲んでみたかった、という友人がいたほどだった)。

父の晩年はかように酒に彩られていた。酔って自転車で帰る時に転んでどこか擦りむいたとか、記憶が全くないが、いつのまにか家に帰ってきていたということがしばしばあって、その度に心配になっていた。

ある晩、父から借りた実家の車を実家に戻すため、夜田無の道路を走っていたら、歩道でゾンビのようにフラフラ這いつくばる老人の姿がある。それがどうもよく見覚えのある丸っこい容姿カタチなので、車を減速し、帽子、手袋、カバンと確認していくと間違いなく父なのである。すぐに路肩に車を寄せて駆けつけると、四つん這いになって立ち上がることもままならない様子なのだ。さすがに私も呆れ返って、オイ、何やってんだ! と父の手をとって引っ張り上げ、立たせようとした。父は、引っ張り上げてくれたのが、通りすがりの親切な人だと、思ったのだろう、「これはこれは、どうもすいません!」と酔いながらも丁重に挨拶をしてくるので、もう一度「オイ、オヤジ! オレだよオレ!」と怒鳴った。すると父は天から授かったギョロ目をカッと見開いて、「…何でお前がこんなところに!」と驚いている。何でこんなところに! というのは正しく私のセリフである。とにかく車に乗れ、と父を引きずって車に押し込んだ。

翌日、何であんなところで這いつくばってたのか問い詰めたものの、何でかわからない、という。次第に記憶を辿ってゆくと、どうもどこかで飲んだ後にタクシーに乗ったところまで思い出したようだ。そこから先は推測しかできないが、へべれけで行き先をちゃんと伝えられず運転手に愛想をつかされ、引き摺り下ろされたんだろう、と。あの時私があそこを通らなかったらどうなっていただろう。警察に保護、補導されたか、車道に倒れて轢かれてしまったか。一歩間違えれば…。その頃から父に対して、何があっても不思議じゃない、と思うようになり、かと言って、ほどほどにしろ、とか量を減らせよ、とか注意することも私はしなかった。酩酊は自分も好きだし、それを制するのは父の楽しみを奪ってしまうことになる、と確信していたからだった。

⑥へ続く


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