fc2ブログ

私のケータイ電話を取り巻く状況

私が高校生の頃、学校で携帯電話を持ってきたやつがいた。その頃は友人との連絡手段にポケベルというアイテムがもてはやされていた時代で、電話を携帯するなんてことは想定外だ。やつは得意げに教室のベランダで、さも調子良さげに、まるで自分が多忙な人間であるかのように誰かとの会話を楽しんでいた。私はその光景を嫌悪した。

天邪鬼で流行りに逆らいたがりだった私は、電話を携帯などあり得ない、これ見よがしに学校に電話を持ってきたアイツはゲス野郎だ、私はそんな風に感じて白い目を向けた。

大学生になると携帯電話を持ち始める友人が増え始めた。その勢いはなかなかバカにならないもので、いつの間にか携帯を持たない方が傍流となり、私は取り残された。そしてハッキリした動機を思い出せないが、文明の利器に反抗しても仕方ないし、通信手段として電話を持てばいいことの方が多いだろう、と思い切って携帯デビューした。

大体、私のこのような、何かに対するアンチや意地は本人の自意識過剰だけで、今まで批判的で持たなかったのに、遂にあいつも携帯デビューか、などと批判されることを恐れていたモノだが、誰も私の拘りや意地なんかに関心などないのである。しれっと手にした携帯電話はやはり便利で、すぐに馴染んでしまった。

大学生の頃バックパッカーにハマって、東南アジア数カ国、ヨーロッパ数カ国、私はアルバイトのお金をつぎ込んで貧乏旅行を楽しんでいた。そして海外旅行中のとある場所(ベトナムだったんじゃないかと思う…)で、お話しした欧米のバックパッカーから、これ凄いんだ、という風に一風変わった携帯電話を見せてもらった。それがiPhoneだった。

おそらくその時彼からiPhoneがどういうものであるのか、説明を受けたはずだが、私はよく分からなかったし、その当時普及し始めたインターネットが見られる電話で、相当便利でヒップなものらしい、という印象だけを持ったのだ。彼の説明によるとこれからこの携帯電話が世界に広まるだろう、とのことだったので、分からないなりに記憶に留めた。

彼の言った通り数年後、iPhoneは日本にも浸透し始め、ものすごい速さで人々の手に収まった。流行りに抵抗する天邪鬼の私の癖は、ケータイの携帯に妥協した頃から弱まって、iPhoneに関しては便利そうなので何の抵抗もなく手に入れてしまったんじゃなかったか。

2011年の東北大震災をきっかけに私の政治ウォッチが始まった。原発事故と放射能汚染問題は私を脅かし、このままじゃ日本は沈むんじゃないか、と思わせた。それまで関心を向けなかった国内の政治に関して俄に知識を取り入れ始め、そして、勿論想像はしていてが、知れば知るほど、日本の政治がヤバいことになっていると気づいて私は左翼となった。

デモや集会、スタンディングに参加したり、その頃は夢中でいろいろやった。そんな時、私の情報源はほとんどTwitterだった。何かというとスマホを取り出しては自民党の悪事のあれこれの記事を読み漁り、怒りを募らせる日々だったが、選挙結果は散々で繰り返せば繰り返すほど嫌気も出てくるのだった。

そして田舎に引っ越してから、私の左翼熱は怪しくなった。田舎の生活は、まじめに自然と向き合うと際限がなくなってしまう。悠々自適とはいかず忙しいのである。しかし、常に自然が目の前にあるので楽しいし疲れない。

東京にいる頃は都心まで務めに出ていたモノだから、どうしても国政のことが妙な圧力になっていた。ひしめき合うビル群や、尋常じゃない数の人間が群がる駅や電車の中にいると、この国の悪政が原因なんじゃないか、と思わされていた。どうしても考えごとが国のネガティブな問題に向かいがちだった。

田舎は平和だった。森や田畑や山々が日々私を癒した。私は都会生活とのその身体的圧の違いに驚き、衝撃を受けた。それからTwitter熱は弱まり、逆にインスタグラムを開いて田舎の楽しい生活をストーリーでアップすることに熱を上げた。

それだけスマホは私の生活の一部だった。私のスマホ依存歴を紹介した流れとなったが、実は本題はここからなのだ…。

先日、都内に行く用事があって、ついでがあったので下北の馴染みの店に行ったのだが、そのお店に出入りした数十分の間にケータイがなくなった。割とすぐ気づいたので見つけられないはずはないのに出てこない。過去にもケータイをなくしたことはあったが、その時も心理的動揺を隠せなかった。ただの機械なのに、何だか恋人を無くしたかのような喪失感に包まれるのだ。

ケータイ依存の人間の恥部じゃなかろうか。私はケータイ依存と思われたくないために、できるだけ冷静でいようと努めたが、どうやっても楽しい気分にはなれず、己の器の小ささを呪った。

そして話しはここからである。落ち込んで埼玉の田舎に戻ってきた私はPCでiPhoneを探す、という機能を試してみた。ダメ元でやってみたら、何故か私のケータイは町田、鶴川の川の中にあることになっている。鶴川と下北はざっくり小田急線ライン?などと妙な推理が頭をよぎる。

しかし下北でスマホがなくなったことに気づいて探すまでの間は数十分で、人に盗られるようなことも考えにくい。もしかして鳥が運んだ?という友人がいたが、人に盗られたと考えるより、その方が事故性があって私の諦めも早く決着するのではないかと思い、鳥かもしれない、ということにして忘れようとした。

すると先ほど、鶴川方面に用事があるから見てきてあげようか?と言ってくれる友人が現れて、それは助かるなともう一度PCで iPhoneを探すやってみたら、げっ、なんと豪徳寺のとある建物にポイントされた。こうなると鳥の仕業ということは考えづらくなり、自ずと人間の仕業かもしれない、ということになってくる。

薄気味悪いことで、この先捜索を続ける意味はあるのか、たかがケータイじゃないか、と思い込もうとするワタシはやはりケータイ依存の片鱗を隠しきれず、とはいえ、SNSじゃなく、電話機能の欠落に狼狽える私は、明日、新しい電話を購入予定である。
スポンサーサイト



プロフィール

アクセル長尾

Author:アクセル長尾
赤い疑惑の活動報告
およびアクセルの手記
赤い疑惑WEB

最新記事
カテゴリー+月別アーカイブ
 
リンク