山を買った男の物語(前編)
その段丘に立って空を見上げると、竹の葉がぐるりと天を遮って、ほとんど何も見えないが、風が吹くとその葉達がしなやかに揺れてカサカサと音を立てるのが新鮮で大きく息を吸った。そして強い風が吹くと今度は、どうも密に生えすぎた竹の幹同士が触れ合ってコンコンと抜けるような音を立てた。何だか神聖な気分になった。
私が購入した、あのボロい中古家の裏山に初めて入った時、私とピーさんは興奮にかられ、鼻息を荒くした。家の東側に覆いかぶさるように鬱蒼と茂る竹藪を、担当の不動産屋さんは
「持ち主の方は小川に住むお婆さんで、お年を召していらっしゃるからあんまり来られないみたいで…」
と説明した。
「もし屋根にかかって困るようだったら切っちゃっていいですよ」
とも付け足した。
私たちはすぐにタケノコ? ということに思い至り、不動産屋さんに聞くと、
「採れるみたいです。持ち主のご親戚がシーズンに、その時だけいらっしゃるようです。」
と教えてくれた。胸を熱くする我々に、
「少しくらいなら採ってもいいと思いますよ。ホッとくとすぐに大きくなって始末に悪いですから」
と笑うのだった。
まさか家のすぐ裏の山でタケノコを掘れるとは、私は改めていい田舎家を買ったものだ、と悦にいった。
家を買ったタケノコシーズンは、まだピーさんが山形に里帰り出産で帰省しており、私は新居のリフォームを、東京から通ってこなしている最中だった。ある日、手伝いに来てくれていた友人2人と裏山に上がるとヒョコヒョコとタケノコが生えていた。私たちは納屋に放置されていた剣スコで次から次へとタケノコを掘り出した。初めは要領が掴めないが、何度もやってるうちに根元までうまく掘れるようになった。タケノコドリームは掌の中だった。
それから間もなく、我が家の前に車が止まった。老夫妻が降りてきて裏山に入ろうとしていた。私は本能的に、あの、すいません、と少し大きな声を出して駆け寄った。ここ(中古家)を最近買ったものですが、と挨拶し、
「持ち主のご親戚の…?」
と聞いてみると果たして持ち主の弟さんであった。タケノコを掘りにきたのだ。
ご夫妻も、誰かこの空き家に人が入った、と知っていたようだった。一通り挨拶を済ませるとご婦人は私と旦那さんが話している最中、アタシは興味ないわ、と言わんばかりにキリをつけて1人で裏山に入っていった。旦那さんは話好きなのか、小川で育った自分の出自と、若い頃はヤクザの使いっ走りやったりナ、などの武勇伝を混ぜながらずっとしゃべっていた。
私がタイミングを見計らって、
「実は私もいくらかタケノコを掘らせていただいたのですが…」
と恐る恐る聞くと、旦那さんは笑って
「なーに、沢山あるんだから大丈夫だよ。」
と気に留めないようだった。
それから、
「持ち主の方に一度ご挨拶させていただきたいのですが」
と相談を持ちかけた。私は旦那さんのお姉さん、つまり持ち主のお婆さんの連絡先を教えてもらい、その日はそれで終わった。
私が裏山の持ち主にお会いしたいと思ったのは、不動産屋さんが指摘していた通り、裏山から鬱蒼と生えている竹をある程度間引きしたいと思っていたからだった。不動産屋さんは勝手に伐っていいと言っていたが、一応持ち主と顔が通っていた方が竹を間伐するのだって後ろめたくないだろう。
そして急ぐでもなく何となく、聞いておいた連絡先に電話してみた。持ち主の方が出てくれて、アラ、こちらからもご挨拶に行ければよかったのだけど、アタシは足が悪くてもうあんまり動けなくて、と言った。しかし、私の方から連絡が来たので喜んでいるようでもあり、
「一度私たちの方からご挨拶に行きます」
と私の家まで来てくれるようなことを言った。足が悪いのに大丈夫かしら、と心配したが、おじいさんが車で動いてくれるようだった。お言葉に甘えて私は面会の日時を約束した。
後日お会いしたTさんご夫妻は、確かにもう山の管理などとてもできないだろう、というようなご老人たちであった。旦那さんは身長が低く、青いベースボールキャップを被っているのが意外な感じで、正直で誠実そうな、人の良さそうなのが表情に溢れ出ている。持ち主であるお婆さんは、膝が悪いのだろうか、確かに歩くのが大変そうであった。
管理も何もできなくてごめんなさいね、というお婆さんに
「もし私でよければ空いてる時間に間伐とかやりますよ」
と言ってみた。
「アラぁ、そう?ワルいわねぇ、、、。こんな山誰も欲しがらないもんね、、、。」
私は反射的に
「あの、興味なくはないですよ、、、」
この瞬間私は裏山を持つ、ということを意識し始めた。この裏山を自由にいじっていいならそれはそれでかなり充実度の高いライフワークができるのではないか、という計算が頭の中で瞬時に行われた。
「あら、この山買ってもいいと思ってるの?ホントに?」
お婆さんは、まさかこんな竹藪の山に興味を持つ人がいるのか、と驚いている様子だが、嬉しそうである。脈はあるな、と私は思った。
「でも、ハァ、山を売り買いするって言ってもアタシは何も分からないから…。あなたそういうこと分かるの?相場だとか?」
お婆さんは畳み掛けてくるので私は少したじろいだ。もちろん、山の金額や相場など知り得るはずもない。だけどヒーさんに聞いたり、役場とか不動産屋に相談したら何か分かるかもしれない。
「確実なことは言えないですけど、こちらでもいろいろ調べてみます」
話しはそこで終わってT夫妻とは別れた。
ヒーさん、というのは私が小川町に移住するより前に東京から小川町に移住したミュージシャンの知り合いで、彼は養蚕小屋だった古屋を500万で買い取って床板から気合いのリフォームをして、ユートピアのような住居を小川町の外れの山間の地に作ったのだ。私とピーさん(紛らわしいのだが、ヒーとピーの違いで、私の妻のことである)は、彼の家に遊び来たことをきっかけに小川町に興味を持ち、追いかけるように移り住んできたのだ。
それで、ヒーさんはその家を500万で購入したのだが、買ったら山が2つついてきた、と笑って言うのだった。田舎のことをあまり知らなかった私はそれを聞いて魂消た。ヒーさんの説明によると、山林は管理が大変で今はやる人がいないから二足三文で売られているのだそうだ。後で知ったことだが、山がつくと安くなる物件なんかもあるそうだった。
私がT婆さんに、こんな山誰も、と言った時に反射的に、興味なくないです、と返したのにはそういう根拠があったのだ。500万で土地と建物に山2つ、と考えると、確かに山林は二束三文、100万は越えないだろう、という推測が立っていたのである…。
山を買う、なんて大それたことを、私は移住してくるまでまさか考えたことはなかった。20代の頃に何となく山の緑の魅力に捉われ、30代で田舎暮らしへの憧れが高まっていた。とはいえ40代で移住して脱サラして、植木屋に転身し、まさか山を買う構想を練るようになるとはつゆも考えなかった。私は田舎暮らしの無限のポテンシャルに興奮し続けていた。(つづく)
私が購入した、あのボロい中古家の裏山に初めて入った時、私とピーさんは興奮にかられ、鼻息を荒くした。家の東側に覆いかぶさるように鬱蒼と茂る竹藪を、担当の不動産屋さんは
「持ち主の方は小川に住むお婆さんで、お年を召していらっしゃるからあんまり来られないみたいで…」
と説明した。
「もし屋根にかかって困るようだったら切っちゃっていいですよ」
とも付け足した。
私たちはすぐにタケノコ? ということに思い至り、不動産屋さんに聞くと、
「採れるみたいです。持ち主のご親戚がシーズンに、その時だけいらっしゃるようです。」
と教えてくれた。胸を熱くする我々に、
「少しくらいなら採ってもいいと思いますよ。ホッとくとすぐに大きくなって始末に悪いですから」
と笑うのだった。
まさか家のすぐ裏の山でタケノコを掘れるとは、私は改めていい田舎家を買ったものだ、と悦にいった。
家を買ったタケノコシーズンは、まだピーさんが山形に里帰り出産で帰省しており、私は新居のリフォームを、東京から通ってこなしている最中だった。ある日、手伝いに来てくれていた友人2人と裏山に上がるとヒョコヒョコとタケノコが生えていた。私たちは納屋に放置されていた剣スコで次から次へとタケノコを掘り出した。初めは要領が掴めないが、何度もやってるうちに根元までうまく掘れるようになった。タケノコドリームは掌の中だった。
それから間もなく、我が家の前に車が止まった。老夫妻が降りてきて裏山に入ろうとしていた。私は本能的に、あの、すいません、と少し大きな声を出して駆け寄った。ここ(中古家)を最近買ったものですが、と挨拶し、
「持ち主のご親戚の…?」
と聞いてみると果たして持ち主の弟さんであった。タケノコを掘りにきたのだ。
ご夫妻も、誰かこの空き家に人が入った、と知っていたようだった。一通り挨拶を済ませるとご婦人は私と旦那さんが話している最中、アタシは興味ないわ、と言わんばかりにキリをつけて1人で裏山に入っていった。旦那さんは話好きなのか、小川で育った自分の出自と、若い頃はヤクザの使いっ走りやったりナ、などの武勇伝を混ぜながらずっとしゃべっていた。
私がタイミングを見計らって、
「実は私もいくらかタケノコを掘らせていただいたのですが…」
と恐る恐る聞くと、旦那さんは笑って
「なーに、沢山あるんだから大丈夫だよ。」
と気に留めないようだった。
それから、
「持ち主の方に一度ご挨拶させていただきたいのですが」
と相談を持ちかけた。私は旦那さんのお姉さん、つまり持ち主のお婆さんの連絡先を教えてもらい、その日はそれで終わった。
私が裏山の持ち主にお会いしたいと思ったのは、不動産屋さんが指摘していた通り、裏山から鬱蒼と生えている竹をある程度間引きしたいと思っていたからだった。不動産屋さんは勝手に伐っていいと言っていたが、一応持ち主と顔が通っていた方が竹を間伐するのだって後ろめたくないだろう。
そして急ぐでもなく何となく、聞いておいた連絡先に電話してみた。持ち主の方が出てくれて、アラ、こちらからもご挨拶に行ければよかったのだけど、アタシは足が悪くてもうあんまり動けなくて、と言った。しかし、私の方から連絡が来たので喜んでいるようでもあり、
「一度私たちの方からご挨拶に行きます」
と私の家まで来てくれるようなことを言った。足が悪いのに大丈夫かしら、と心配したが、おじいさんが車で動いてくれるようだった。お言葉に甘えて私は面会の日時を約束した。
後日お会いしたTさんご夫妻は、確かにもう山の管理などとてもできないだろう、というようなご老人たちであった。旦那さんは身長が低く、青いベースボールキャップを被っているのが意外な感じで、正直で誠実そうな、人の良さそうなのが表情に溢れ出ている。持ち主であるお婆さんは、膝が悪いのだろうか、確かに歩くのが大変そうであった。
管理も何もできなくてごめんなさいね、というお婆さんに
「もし私でよければ空いてる時間に間伐とかやりますよ」
と言ってみた。
「アラぁ、そう?ワルいわねぇ、、、。こんな山誰も欲しがらないもんね、、、。」
私は反射的に
「あの、興味なくはないですよ、、、」
この瞬間私は裏山を持つ、ということを意識し始めた。この裏山を自由にいじっていいならそれはそれでかなり充実度の高いライフワークができるのではないか、という計算が頭の中で瞬時に行われた。
「あら、この山買ってもいいと思ってるの?ホントに?」
お婆さんは、まさかこんな竹藪の山に興味を持つ人がいるのか、と驚いている様子だが、嬉しそうである。脈はあるな、と私は思った。
「でも、ハァ、山を売り買いするって言ってもアタシは何も分からないから…。あなたそういうこと分かるの?相場だとか?」
お婆さんは畳み掛けてくるので私は少したじろいだ。もちろん、山の金額や相場など知り得るはずもない。だけどヒーさんに聞いたり、役場とか不動産屋に相談したら何か分かるかもしれない。
「確実なことは言えないですけど、こちらでもいろいろ調べてみます」
話しはそこで終わってT夫妻とは別れた。
ヒーさん、というのは私が小川町に移住するより前に東京から小川町に移住したミュージシャンの知り合いで、彼は養蚕小屋だった古屋を500万で買い取って床板から気合いのリフォームをして、ユートピアのような住居を小川町の外れの山間の地に作ったのだ。私とピーさん(紛らわしいのだが、ヒーとピーの違いで、私の妻のことである)は、彼の家に遊び来たことをきっかけに小川町に興味を持ち、追いかけるように移り住んできたのだ。
それで、ヒーさんはその家を500万で購入したのだが、買ったら山が2つついてきた、と笑って言うのだった。田舎のことをあまり知らなかった私はそれを聞いて魂消た。ヒーさんの説明によると、山林は管理が大変で今はやる人がいないから二足三文で売られているのだそうだ。後で知ったことだが、山がつくと安くなる物件なんかもあるそうだった。
私がT婆さんに、こんな山誰も、と言った時に反射的に、興味なくないです、と返したのにはそういう根拠があったのだ。500万で土地と建物に山2つ、と考えると、確かに山林は二束三文、100万は越えないだろう、という推測が立っていたのである…。
山を買う、なんて大それたことを、私は移住してくるまでまさか考えたことはなかった。20代の頃に何となく山の緑の魅力に捉われ、30代で田舎暮らしへの憧れが高まっていた。とはいえ40代で移住して脱サラして、植木屋に転身し、まさか山を買う構想を練るようになるとはつゆも考えなかった。私は田舎暮らしの無限のポテンシャルに興奮し続けていた。(つづく)
スポンサーサイト