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山を買った男の物語(後編)

裏山を所有者から買いたい、という腹づもりになった私は、山林相場の聞き取り調査の結果に納得がいかず、もう直接交渉で進めようと腹を決めた。100万、200万、300万という周囲の人間の鑑定はうっちゃって、T婆さんに、50万円までなら出します、と宣言するのはどうだろう、と考えがまとまってきた。向こうは持て余して困ってるのだからそれで話が決まるんじゃないか…。

山林の購入に関して、誰もはっきりとした知識を持っていないようだったが、役場に行ってみたら、というアドバイスを思い出し、私は久しぶりにT婆さんに連絡し、山のことで一緒に役場に行ってもらえないか、と頼んだ。婆さんも売却に前向きなのだろう、すぐに了承してくれ、旦那さんも一緒になって3人で役場に行った。

担当課に行き、山林の売買について質問すると、やはり役場の人たちでも正解を知らないようだった。いやむしろこの手の個人間の取引に正解などないようだ。が、法務局に行けば「公図」というものを発行できて、登記されている土地の大体の地図を取得できるから行ってみるといい、ということを教えてもらった。

私は法務局などという機関に世話になったことがない。どんなところかも知らないが、もしかしたら法務局の人にもアドバイスしてもらえるかも…。私とT老夫妻は日を改めて今度は東松山の法務局まで出向いた。婆さんは固定資産税の納付証明と土地の権利証を持参し、私が車に2人を乗せて。

法務局で手数料を払うと確かに公図という地図を発行してもらえた。普通の地図と似てはいるが、何だか独特なものに見えた。測量された土地じゃないのでこの地図も必ずしも正確なものではないが、大体合っているらしい。私は山の向こう側の境界線がどの辺で隣接地の所有者がどれくらいなのか気になっていたが、その公図を見ると反対側の境界の隣接地は1区画2区画などではなく、幾つもの区画に分かれていた。つまり、もしこの先、隣地との境界を判明させたいなら、複数の地権者に連絡して、もし先方が境目を把握していれば、教えてもらう訳だが、それが何区画もあると思うと気が遠くなった。

法務局では売買についてのアドバイスは大して聞けなかったが、固定資産税の納付書を見て、「まあ、土地の価格が決まってるわけではありませんが1つの目安としてこの評価額を参考にしてもいいと思います」というのだった。土地の価格の判定には複数の目安があって、評価額もその一つだというのは知っていた。

私と婆さんは職員と納付書を覗き込んだ。納付書の評価額欄にはなんと約20万という、想定より大分安い金額が記されている。私が、あれ、予想より安い、50万出しますと早めに言わなくてよかった、20万じゃ安過ぎるよなぁ、と嬉しくなったが隣りでT婆さんは、えっ、と言ったまましばらく絶句して、20万にしかならないの、あの山は!と悲痛な表情になった。私も何だか気まずいような済まないような気持ちになってきた。婆さんは、「あたしゃ、にさんびゃく万くらいはするもんだと思ってたのに…」と肩を落としている。

婆さんはオレがにさんびゃく万くらい出してくれると思っていたのだろうか、そう考えると何だか本当に哀れに思えてきて、例の50万までなら出します宣言は一旦引っ込めた。そして帰りしなに今度は、婆さんがその土地を先代から相続した時に世話になったという司法書士事務所にも行ってみた。司法書士事務所の担当もやはり、「そうですね、この評価額を1つの目安になるでしょうね」と言っている。T婆さんはダメ押しを受けてやはり哀切を深めている様子である。

「もし、双方で納得できる売買金額が決まったら、こちらで権利書の書き換えをしますから。」
その際、手数料はいくらいくらで、Tさんの必要書類は何々、私は印鑑だけでいい、というようなことを司法書士は付け加えて言った。

私は老夫妻をご自宅に送り届け、ちょっとお茶でも、と言われたのでT夫妻宅にお邪魔した。南向きの庭に面した応接間は片付いていて、お2人の趣味などがまったく想像できないような、特に何も飾り気のない部屋だった。

まあ、どうぞ、と言われて急須から注がれたお茶はほんのり薄緑色に色づく程度で、私は、アレっ、と思った。飲んでみると、ほぼ白湯に近く、茶の味はしなかった。婆さんが、
「それで、どうですか、オタクいくら出してくれるのかね?」
あまりに単刀直入だが、もうお互い、売買を成立させるためにこうして動いているのだ。
「そーですね…。…あの、40万でいかがでしょうか?」
私は評価額が20万だと判明したことを受け、予定の50万から10万ケチって、婆さんの様子を伺った。20万でも30万でもなく40万と評価額の倍額を張ったのは、私の婆さんに対する気持ちだった。20万と聞いて落胆していた婆さんがどうも哀れだった。
「40万円?…ねえ、100万円出してくんないかね?ねェ?」
婆さんは私の眼をジッと覗き込んで懇願するような感じなのだ。私は動揺した。まさか、そんな具体的な、しかも評価額よりうんと高い金額を提示されるとは思ってなかった。
「あ、いや、あー、そうですね…、…でも40万までしか出せないです」
私は、私の気持ちが20万乗っていることに婆さんは特別何も感じていないだろうか、と心配になった。
「ねえ、そう言わないでさァ、100万出してくれないかね?」
婆さんの悲哀の表情に私の心が揺さぶられる。婆さんも爺さんも恐らく80代後半くらいに見える。この先長くないのかもしれない…。いや、でも、40万という金額は悪い提案じゃないんじゃないか、ここでブレてはダメだぞ、と勇気を出した。
「ごめんなさい。…40万までしか出せません。」
なるべくきっぱりお伝えしたつもりだった。
「ダメかねェ、ねェ?」
畳み掛ける婆さんに
「ばあさん、もうよせよ、困っているよ、20万円の価値ってことなんだ。それに結論を急がなくてもいいじゃないか」
横で苦々しい表情で傍観していた爺さんが口を挟んだ。というか私にとっては有難い助け舟であった。

結局、結論は今日分かったことや私とのやり取りを、家を出て都心に住んでいる倅さんと共有して決める、ということに落ち着いた。私は、この田舎を捨てて出て行った息子さんが、あのボウボウの竹藪を欲しがるとは思えなかったが、万が一売るのはもったいない、などと言い出したらどうしよう、と少し不安になった。

数日後、早速倅さんから電話があり、母から話しを聞いたが、長尾さんが折角欲しいと言ってくださっているのだから私はお譲りしたいつもりでおります、という内容で私を安心させた。が、勤務先の不動産部署に一応あの場所がどれくらいの価値なのか、本当に20万程度なのかどうか確認してみますので、少しお待ちください、とのことだった。倅さんは大手の会社に勤めていて、社内に不動産関係の部署があるようだったが、結局更に数日後、「調べてもらいましたがせいぜい30万くらいでしょうとの返事でしたので、長尾さんご提案の40万でお売りしたいと思います」という電話があった。私は小躍りした。

後日また倅さん同席の下、Tさん宅に私が赴いた。倅さんと挨拶を交わすと、「長尾さんはあの山、どうされるおつもりなんですか、単純に知りたいのですが?」と倅さんが不思議そうに私を見た。確かに今時分、山林を買いたい、などという発想は理解不能かもしれない、田舎を離れ都心部に移った人には余計。
「私はあの山を管理したいのです。竹を間伐して、うまくいけば広葉樹を植えて雑木の森のようにできたらと思っていて…」
倅さんは非常に感心した眼差しで私を見て、そうですか、と納得して、どこか嬉しそうですらあった。

後日40万円を振り込んで、確認してもらった後、また例の司法書士事務所に同行して権利書の書き換えをしてもらう手筈をとった。息子さんと話し合って売買が成立してしまってからは、婆さんの、あの鬼気迫る哀願のムードは霧消していて、私は気持ちよく取引ができてとても安心していた。そして、婆さんが子どもに幾らかでも多く財産を残したかったのだろう気持ちを想像もした。まさか、自分の今後の暮らしの羽振りを考えてあのように訴えたとは思えなかったからだ。

数日後、権利書の書き換えが済んだから取りに来て、と司法書士から連絡が入った。車に乗る前に古屋の真裏に迫る竹藪の山を眺め、ついにこれが私の所有になったのだ、とこの山の未来の表情を想像し、よし、と独りごちて車に乗り込むのだった。(完)
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