六日間お粥の刑
会社で歓送迎会があった。
社長夫婦宅でのアットホームな会で心が和んだ。
机に並んだ瀟酒な食べ物を、あまりガツガツしない程度に色々食べた。
酒はほとんど飲まなかったが、
ちょっと飲んだだけでもオレにとって酒は酒なので、
帰宅してベッドで横になると寝そうになり、
危ない危ない、と思いパソコンで事務的なことをして、
安心して自分の部屋に戻りベッドで横になると、
今度はやはりそのまま寝てしまった。
キノミキノママで寝てしまったのだ。
翌朝起きると何だか気だるい感じがした。
台所ではオヤジが朝からモロコシを茹でていた。
オヤジの茹でるモロコシ鍋の横には
姉貴が昨晩仕込んだらしいミネストローネ風スープがすましていた。
気だるいし食欲もそんなにないのだが、
姉貴のミネストローネ風スープもオヤジが茹でるモロコシ風スープも、
どちらも非常に魅力的に映り、
これらのメニューには一期一会の味があることを確信し食べることにした。
ミネストローネ風スープを何故姉貴が作ったかは大体見当がついていた。
数日前にオレが何かの料理に━━オレはそれが何の料理か思い出せないのだが、
トマト缶を使い、余った半分くらいのトマト缶の中身を別の容器に映して、
そして冷蔵庫で再度保存していたからだ。
冷蔵庫にトマト缶の余りがあるからよかったら何かに使って、
と姉貴に言ったことさえオレは覚えているのだった。
スープは気だるい身体には非常に優しい感じだった。
それだけでも十分だとも思えたがオレはオヤジのモロコシにも手を伸ばした。
オヤジが何故モロコシを茹でていたのかは分からないが、
体調が悪いからかモロコシの味は、悪くはないが、
おいしい、と言い切れるモロコシの味ではなかった。
が、オレはそれを二切れも欲張ってしまった。
せわしくお出かけの準備をしている姉貴に
「あのミネストローネ、うまかったよ」
と伝えると、
「そう? あれミネストローネじゃないけどね。適当に作った」
という謙遜を踏まえたようないつもの姉貴の反応だった。
姉貴も、そしてモロコシを茹でていたオヤジも
いつの間にかどこかへ出かけてしまい、
オレは実家に一人取り残された。
すると携帯で友人から連絡が入った。
その連絡によりオレは2時間後に渋谷に行かなくてはならなくなった。
突然便意を催したのでトイレで一仕事済ませた。
しかし矢継ぎ早に次の便意がきて、
その内容は一気にオレの身体の容態の変化を気づかせる内容であった。
所謂しゃーしゃーの水便だったのだ。
その後五、六回便器への往復を繰り返し、
いったいこの身体で渋谷に行けるのだろうか。
しかしなんとか一旦症状は止まったので自転車ででかけた。
渋谷での用事はとりたてて報告するほどのことではないが、
わはは本舗の本拠地の中だったことは特筆すべきかもしれない。
さておき用事の間は便意も控えてくれて、
帰り際に一度地元の駅のトイレの世話になるだけで済んだ。
帰宅すると微熱があるようだったが、
晩メシはオヤジと姉貴が共同で仕込んだツミレ鍋だったので、
風邪には丁度いいと思い、食べた。
すごく旨いが、塩が若干キツい印象だった。
ダルいので10時頃からぐっすり寝てしまった。
翌朝何故か早朝、起きると依然身体がダルいし便も水様だ。
今日はバンドの練習日であったので不安になり
B氏とC氏に、体調不良で今日は休むかもしれない、
との予告をしておく。
まだ7時だがとりあえず昨日のツミレ鍋の残りだけチビチビ食べて、
もう一度寝る。疲労に眠りはつきものなのだ。
昼前に起きると少しいいようなのでB氏とC氏に
やっぱり大丈夫そうです、という前言撤回メールを。
練習中、もちろんダルかったのだが、
一応、唄うのは気持ちいな、と思えるほどの、
まあいつも通りの練習ができはした。
帰り際に急に例の便意がきて、
スタジオのトイレの世話になった。
便の容態のヤバさは、その連続性で明確になっていたが、
C氏の、オレも基本は水だね、という大胆な発言の前に、
オレは特に自分の不運を愚痴ることを忘れ二人と別れた。
晩メシは、鰯の丸干しがあったのでそれにした。
姉貴は一週間ほど前に仕込んで冷凍してあったシュウマイを食べたが、
オレは下痢が止まらないのでサカナを食べたのだ。
それほどシュウマイを羨ましくは思わなかったが、
姉貴はそんなオレの体調を哀れんでいた。
鰯の丸干しはそれでも━━弱ったオレの身体でもっても、
非常に旨かった。
思えばオレは鰯ばかり食っているようだ。
その夜からまた激しい下痢が始まった。
オレはベッドとトイレの往復を十数回は繰り返していた。
それは初めての経験ではないが、まさに地獄だった。
そんなベッドとトイレとの往復の間の浅い眠りには夢を見るものなのだろうか、
ちょっと眠りについたと思うと、激しい便意を催す夢からさめて、
オレはふらつく足をそのままにトイレに駆け込んだ。
トイレの中でふらついて、一度は壁に激しく頭を打ちつけた程だった。
すでに腹の痛みは伴っていなかった。
ただ単に身体の欲望にまかせ、水分を放出しているような状態だったが、
実家に幸か不幸か完備されているシャワートイレのせいなのかいなか、
肛門は切れてシャワーが随分と痛みの感覚を刺激するようになり、
もちろん、拭いても痛いし、それが非常な苦痛で、
便意がくるたびに終わった後のその痛みを瞬時に予想しなければならなかった。
明け方会社に行くかどうか迷ったが、行くことにした。
流石に何か口にする気にもなれず、
割と寝起き顔のまま家を出ようとしたところ、
何も食わないで出かけようとしたせいか、
オレのダルそうな寝起き顔のせいか、
オヤジが、また寝坊したんだろ、と偉そうに口にしたのにはムッとした。
オレの地獄も知らないで。
それにオレは今の会社に遅刻したことは一度もないのだ。
会社までの道中、一度駅の便所に駆け込むだけで何とかなったが、
あきらかに体調はおかしい。
それは自転車を漕ぐのでも駅から会社まで歩く感覚でも明らかだった。
同僚には多少謙遜する努力は払ったが、
自分の身体の異変の経緯を早めに伝えておいた。
実際力が入らないし下痢は止まらないので後から出社してきた社長夫婦にも、
早めに伝えておいた。
トイレに通ううちに会社の皆様がオレを心配の眼差しで労るようになっていた。
昼休憩まで何とか持ったが、何か口にしないと動けなくなりそうなので、
コンビニでおにぎりと梅スープ春雨を仕入れて食べた。
おにぎりは苦しかったが梅スープは温かく優しかった。
少しだけ力が湧いたような気がしたが、
ついにオレの顔色に異変がみられたらしく、
皆さんが、無理しないで帰ったほうがいいんじゃない、
と口々にいってくれて、そうだな、
自分の次の一手を冷静に考えてもここは早退して病院に行った方が、
後々いいようにも思えた。
そして遂に、病院にこれから行こうと思います、
という脅し文句を前提に早退させてもらうことにした。
仕事場から出るとこんな身体のまま仕事に向き合わねばならぬ
プレッシャーからの解放か、
もう出る水分がなくなって頻度を減らした便意のせいか、
病院に行く程だろうか、とも思えたが、
明日以降のことを考えるとやはり不安なので自宅の近所の病院に、
会社で宣言した通り行くことにした。
S内科クリニックは妙な西洋風建造物であり、
内側からは何の活気も感じられない貧相な病院であったが、
一応営業しているようであった。
入ってみるとガラガラで、二人くらいのばあちゃんをみかけたくらいだった。
初めに看護婦が熱と血圧を測ってくれた。
特に問題はないようであったが、
診察の前に皆にやってもらっているという尿検査を、
オレもやらねばならないらしかった。
大の便意ばかり催していたので、
尿意はしばらく意識の外にあった。
しかしトイレに行ってみると少し出てくれたので、
それで診てもらうと、担当の、言葉に落ち着きのない医師は、
オレの身体の衰弱度は結構ヤバいことを教えてくれた。
尿の成分でそんなことが分かるそうだから西欧医学は大したもんだ、
と思ったし、同時に病院に来といてほんとによかったと思った。
その医師が、常人の2倍くらいのスピードでオレの容態を説明するのだが、
どうも外れたことは言ってなさそうなので、心配になり、
今聞いたことメモってもいいですか、と断って、
もう一度説明してもらったが、やはり早くてロクなメモにならなかった。
とにかく、身体のエネルギーになるカリウムとぶどう糖が極度に欠乏して、
普段は登場しないケトンタイ、とかいう危険なヤツが、
体液に異常発生しているようだった。
下痢の脱水症状に対して単純に水分ばかりとってると、
余計によくないのだそうで、こんな時にはポカリかアクエリアスを飲め、
とのことだった。
それからいろいろ薬を処方され、いろいろ今後の献立に対する指令を受け、
その献立に対する指令に興味を持ったオレはその指令を
しっかり覚えようと意識を集中させたが、
やはり医師の発言のスピードが早すぎるので、
ちゃんと記憶できなかった。
が、なにしろ三日間は梅干しのみのお粥、
その後の三日間はネギと豆腐くらいのお粥というのが大筋だった。
後半の三日間で、間違っても卵を入れちゃダメだ、というアドバイスが印象的だった。
だいたい皆さん栄養つけようと思って卵なんか入れるでしょう、
それが大失敗なんです、お腹の回復には時間がかかるもんなんです。
病院に来る前にオレは粥に卵を入れるのは
お腹にどうなのか、ということを図らずもボンヤリ考えていた矢先であったので、
その医師の言葉はばっちりオレの心を捉えたのであった。
しかし、食欲というのは恐ろしいもので、
オレは六日間お粥の刑に耐えうるだろうか、非常に心細くもあった。
薬を飲み、お粥を食べて二日目くらいで便が正常に戻ったとしたら、
オレは残りの五日間をお粥で我慢していられるだろうか。
そんなことを心配しながら病院からの帰り道、
家の近所のイーオンで2リットル入りのアクエリアスと、
お粥用の梅干し(紀州南高梅塩分7%)を購入したのだった。
社長夫婦宅でのアットホームな会で心が和んだ。
机に並んだ瀟酒な食べ物を、あまりガツガツしない程度に色々食べた。
酒はほとんど飲まなかったが、
ちょっと飲んだだけでもオレにとって酒は酒なので、
帰宅してベッドで横になると寝そうになり、
危ない危ない、と思いパソコンで事務的なことをして、
安心して自分の部屋に戻りベッドで横になると、
今度はやはりそのまま寝てしまった。
キノミキノママで寝てしまったのだ。
翌朝起きると何だか気だるい感じがした。
台所ではオヤジが朝からモロコシを茹でていた。
オヤジの茹でるモロコシ鍋の横には
姉貴が昨晩仕込んだらしいミネストローネ風スープがすましていた。
気だるいし食欲もそんなにないのだが、
姉貴のミネストローネ風スープもオヤジが茹でるモロコシ風スープも、
どちらも非常に魅力的に映り、
これらのメニューには一期一会の味があることを確信し食べることにした。
ミネストローネ風スープを何故姉貴が作ったかは大体見当がついていた。
数日前にオレが何かの料理に━━オレはそれが何の料理か思い出せないのだが、
トマト缶を使い、余った半分くらいのトマト缶の中身を別の容器に映して、
そして冷蔵庫で再度保存していたからだ。
冷蔵庫にトマト缶の余りがあるからよかったら何かに使って、
と姉貴に言ったことさえオレは覚えているのだった。
スープは気だるい身体には非常に優しい感じだった。
それだけでも十分だとも思えたがオレはオヤジのモロコシにも手を伸ばした。
オヤジが何故モロコシを茹でていたのかは分からないが、
体調が悪いからかモロコシの味は、悪くはないが、
おいしい、と言い切れるモロコシの味ではなかった。
が、オレはそれを二切れも欲張ってしまった。
せわしくお出かけの準備をしている姉貴に
「あのミネストローネ、うまかったよ」
と伝えると、
「そう? あれミネストローネじゃないけどね。適当に作った」
という謙遜を踏まえたようないつもの姉貴の反応だった。
姉貴も、そしてモロコシを茹でていたオヤジも
いつの間にかどこかへ出かけてしまい、
オレは実家に一人取り残された。
すると携帯で友人から連絡が入った。
その連絡によりオレは2時間後に渋谷に行かなくてはならなくなった。
突然便意を催したのでトイレで一仕事済ませた。
しかし矢継ぎ早に次の便意がきて、
その内容は一気にオレの身体の容態の変化を気づかせる内容であった。
所謂しゃーしゃーの水便だったのだ。
その後五、六回便器への往復を繰り返し、
いったいこの身体で渋谷に行けるのだろうか。
しかしなんとか一旦症状は止まったので自転車ででかけた。
渋谷での用事はとりたてて報告するほどのことではないが、
わはは本舗の本拠地の中だったことは特筆すべきかもしれない。
さておき用事の間は便意も控えてくれて、
帰り際に一度地元の駅のトイレの世話になるだけで済んだ。
帰宅すると微熱があるようだったが、
晩メシはオヤジと姉貴が共同で仕込んだツミレ鍋だったので、
風邪には丁度いいと思い、食べた。
すごく旨いが、塩が若干キツい印象だった。
ダルいので10時頃からぐっすり寝てしまった。
翌朝何故か早朝、起きると依然身体がダルいし便も水様だ。
今日はバンドの練習日であったので不安になり
B氏とC氏に、体調不良で今日は休むかもしれない、
との予告をしておく。
まだ7時だがとりあえず昨日のツミレ鍋の残りだけチビチビ食べて、
もう一度寝る。疲労に眠りはつきものなのだ。
昼前に起きると少しいいようなのでB氏とC氏に
やっぱり大丈夫そうです、という前言撤回メールを。
練習中、もちろんダルかったのだが、
一応、唄うのは気持ちいな、と思えるほどの、
まあいつも通りの練習ができはした。
帰り際に急に例の便意がきて、
スタジオのトイレの世話になった。
便の容態のヤバさは、その連続性で明確になっていたが、
C氏の、オレも基本は水だね、という大胆な発言の前に、
オレは特に自分の不運を愚痴ることを忘れ二人と別れた。
晩メシは、鰯の丸干しがあったのでそれにした。
姉貴は一週間ほど前に仕込んで冷凍してあったシュウマイを食べたが、
オレは下痢が止まらないのでサカナを食べたのだ。
それほどシュウマイを羨ましくは思わなかったが、
姉貴はそんなオレの体調を哀れんでいた。
鰯の丸干しはそれでも━━弱ったオレの身体でもっても、
非常に旨かった。
思えばオレは鰯ばかり食っているようだ。
その夜からまた激しい下痢が始まった。
オレはベッドとトイレの往復を十数回は繰り返していた。
それは初めての経験ではないが、まさに地獄だった。
そんなベッドとトイレとの往復の間の浅い眠りには夢を見るものなのだろうか、
ちょっと眠りについたと思うと、激しい便意を催す夢からさめて、
オレはふらつく足をそのままにトイレに駆け込んだ。
トイレの中でふらついて、一度は壁に激しく頭を打ちつけた程だった。
すでに腹の痛みは伴っていなかった。
ただ単に身体の欲望にまかせ、水分を放出しているような状態だったが、
実家に幸か不幸か完備されているシャワートイレのせいなのかいなか、
肛門は切れてシャワーが随分と痛みの感覚を刺激するようになり、
もちろん、拭いても痛いし、それが非常な苦痛で、
便意がくるたびに終わった後のその痛みを瞬時に予想しなければならなかった。
明け方会社に行くかどうか迷ったが、行くことにした。
流石に何か口にする気にもなれず、
割と寝起き顔のまま家を出ようとしたところ、
何も食わないで出かけようとしたせいか、
オレのダルそうな寝起き顔のせいか、
オヤジが、また寝坊したんだろ、と偉そうに口にしたのにはムッとした。
オレの地獄も知らないで。
それにオレは今の会社に遅刻したことは一度もないのだ。
会社までの道中、一度駅の便所に駆け込むだけで何とかなったが、
あきらかに体調はおかしい。
それは自転車を漕ぐのでも駅から会社まで歩く感覚でも明らかだった。
同僚には多少謙遜する努力は払ったが、
自分の身体の異変の経緯を早めに伝えておいた。
実際力が入らないし下痢は止まらないので後から出社してきた社長夫婦にも、
早めに伝えておいた。
トイレに通ううちに会社の皆様がオレを心配の眼差しで労るようになっていた。
昼休憩まで何とか持ったが、何か口にしないと動けなくなりそうなので、
コンビニでおにぎりと梅スープ春雨を仕入れて食べた。
おにぎりは苦しかったが梅スープは温かく優しかった。
少しだけ力が湧いたような気がしたが、
ついにオレの顔色に異変がみられたらしく、
皆さんが、無理しないで帰ったほうがいいんじゃない、
と口々にいってくれて、そうだな、
自分の次の一手を冷静に考えてもここは早退して病院に行った方が、
後々いいようにも思えた。
そして遂に、病院にこれから行こうと思います、
という脅し文句を前提に早退させてもらうことにした。
仕事場から出るとこんな身体のまま仕事に向き合わねばならぬ
プレッシャーからの解放か、
もう出る水分がなくなって頻度を減らした便意のせいか、
病院に行く程だろうか、とも思えたが、
明日以降のことを考えるとやはり不安なので自宅の近所の病院に、
会社で宣言した通り行くことにした。
S内科クリニックは妙な西洋風建造物であり、
内側からは何の活気も感じられない貧相な病院であったが、
一応営業しているようであった。
入ってみるとガラガラで、二人くらいのばあちゃんをみかけたくらいだった。
初めに看護婦が熱と血圧を測ってくれた。
特に問題はないようであったが、
診察の前に皆にやってもらっているという尿検査を、
オレもやらねばならないらしかった。
大の便意ばかり催していたので、
尿意はしばらく意識の外にあった。
しかしトイレに行ってみると少し出てくれたので、
それで診てもらうと、担当の、言葉に落ち着きのない医師は、
オレの身体の衰弱度は結構ヤバいことを教えてくれた。
尿の成分でそんなことが分かるそうだから西欧医学は大したもんだ、
と思ったし、同時に病院に来といてほんとによかったと思った。
その医師が、常人の2倍くらいのスピードでオレの容態を説明するのだが、
どうも外れたことは言ってなさそうなので、心配になり、
今聞いたことメモってもいいですか、と断って、
もう一度説明してもらったが、やはり早くてロクなメモにならなかった。
とにかく、身体のエネルギーになるカリウムとぶどう糖が極度に欠乏して、
普段は登場しないケトンタイ、とかいう危険なヤツが、
体液に異常発生しているようだった。
下痢の脱水症状に対して単純に水分ばかりとってると、
余計によくないのだそうで、こんな時にはポカリかアクエリアスを飲め、
とのことだった。
それからいろいろ薬を処方され、いろいろ今後の献立に対する指令を受け、
その献立に対する指令に興味を持ったオレはその指令を
しっかり覚えようと意識を集中させたが、
やはり医師の発言のスピードが早すぎるので、
ちゃんと記憶できなかった。
が、なにしろ三日間は梅干しのみのお粥、
その後の三日間はネギと豆腐くらいのお粥というのが大筋だった。
後半の三日間で、間違っても卵を入れちゃダメだ、というアドバイスが印象的だった。
だいたい皆さん栄養つけようと思って卵なんか入れるでしょう、
それが大失敗なんです、お腹の回復には時間がかかるもんなんです。
病院に来る前にオレは粥に卵を入れるのは
お腹にどうなのか、ということを図らずもボンヤリ考えていた矢先であったので、
その医師の言葉はばっちりオレの心を捉えたのであった。
しかし、食欲というのは恐ろしいもので、
オレは六日間お粥の刑に耐えうるだろうか、非常に心細くもあった。
薬を飲み、お粥を食べて二日目くらいで便が正常に戻ったとしたら、
オレは残りの五日間をお粥で我慢していられるだろうか。
そんなことを心配しながら病院からの帰り道、
家の近所のイーオンで2リットル入りのアクエリアスと、
お粥用の梅干し(紀州南高梅塩分7%)を購入したのだった。
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