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宮本常一

晩メシの卓上の封書にふと眼をやった時、見逃しがたい響きのビルの名前が飛び込んできた。━━オリエス指田ビル。オリエス。その言葉の響きが様々な記憶を呼び起こした。それは地元田無の駅前商店街にあるビルの名前だった。

「オリエス」は一代前は「ポポロ」というかわいい名前だった。経営者が変わったからなのか何なのか、経緯は知らないが、その「ポポロ」はいつの日か「オリエス」に変わってしまったのだ。当時、小学生くらいのオレにとって、「ポポロ」が「オリエス」に変身したということが、いったいどういうことなのか不思議でならず、納得もいかなかった。「ポポロ」はいったいどこに行ってしまったのだろう。

大学生の頃、東南アジアに旅行に行った時、様々なカルチャーショックを受けたものだが、その中でも人間の住居や商店の佇まいにはひとしきり魅せられたものだった。東南アジアの街並は、おそらく日本の戦後の復興時のそれに似ていたのではないだろうか。オレが育った東京のそれと比べるとデジタルとアナログ、と例えてもいい程の隔たりがそれらには感じられたのだ。

20代の前半に数回の海外旅行の機会を持ったが、その頃から住居や建物に対する愛着━━特に年齢を重ねてきたそれらに対する愛着心、というのが自分の内に巣食っていることに気づくようになった。昭和の色を強く残すボロい建物を見ると、歩いている最中でも立ち止まって見たくなる。どんどんと刷新されていく商店の軒並みの中で何故かこの建物だけ相当に古い、なんてところがあると必ず立ち止まる。失われていく感覚と古いものの良さ、を同時に覚えて何とも言えぬ気持ちになる。

実家を離れて自活を始め、数年後に実家に戻ってきた。その数年で街並は明らかに変化していた。マンションはどんどんモダーンな容貌になって、そんな絢爛なマンションを見るとオレなんかはゾッとするようだけど、モダーンが好きな人の方が日本の世には多いのかもしれない。しかし、オレのようにゾッとはしないまでも古いものが消えていくことに恐れを感じている人が少なくないはず、という不確定の推測をオレは信じる。

宮本常一という人物を知ったのは数年前に、思い出せないが、図書館の中だかどこだかで、ふと宮本常一の写真集を眼にしたことがきっかけだった。その写真集で、宮本常一の出身がオレのオヤジの実家である山口県大島であることを知り、宮本常一の名は確実にオレの脳にインプットされていた。その写真集は確か、日本の田舎(僻地)の変わりゆく、写真的には何の変哲もない風景をとにかく撮り続けた写真集で、それなのに、恐らく戦前戦後と思しき時代のモノクロで焼き付けられた、特に寒村と呼ばれそうな地域のそれらの写真一枚一枚はオレに強烈な印象を与えたのだった。

それからしばらく、オレは宮本常一は写真家なのだと思い込んでいたが、後日彼が民俗学の研究者だったということを知った。同時に民俗学というのがどういう学問なのかを知り、そして宮本常一が、あの衝撃の「日本残酷物語」の編集に加わっていた、などということを知った。そういう流れを経てオレは宮本常一のファンになった。

宮本常一は日本各地に残る集落を点々と、その集落に伝わる文化やしきたりや生活そのものを、実際に自分の眼で見て、実際に現地の人間から話しを聞いて書き留めて歩いたという。戦後の目覚ましい復興の影で消えていった(現在では完全に消滅したような)生活や信仰を、彼が書かなければ絶対に残らなかったであろう日本の姿を人生をかけて文字に起こしていったのだ。民俗学というのはそのような学問であるらしいが、何にしろ宮本常一の仕事はオレには素晴らしいモノに思えたし、何か勇気づけられるような気にもさせてくれる。変わりゆく風景を嘆くことは無意味なことではないんじゃないか。

トモダチが貸してくれた宮本常一の文庫本。貸してくれたトモダチはその本に書かれている世界に感銘を受けて、この本の舞台のひとつである土佐まで、東京から青春十八切符ででかけてゆっくり土佐及び四国周遊の旅に出た。トモダチがそんな行動に出ることが、まるでバカバカしく思えないのは、実際にこの本で描かれている宮本常一の描写が非常に美しく詳細で、さらに人間または人間文化への愛情に溢れていたからであった。オヤジと同郷の宮本常一の、その地元である周防大島のことについて書かれた描写を読むことで、オレはオヤジからも大島の婆ちゃんからも聞いたことのない、大島という島についての歴史や風俗を知るという機会を得た。それはそれで因縁めいた気もし、すごく不思議なことではあったが、この本にはとにかく雑多にいろんな感動を覚えた。食卓に置かれた封筒に記載された「オリエス指田ビル」にふと立ち止まったのは、この本を読了したせいだったろうか。

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