オヤジの演奏
物心ついた時から家でオヤジがギターを演奏している姿をよく見ていた。本職は教師だからこの人はミュージシャンではない、ただのギター好きだと思っていた。オヤジは付き合いの広い人間らしく、いつからか誘われてバラライカ(それもバスバラライカというデカい楽器)を弾くようにもなっていた。オレがそういうオヤジの演奏している姿を感心して眺めていたかといえば、まったくそんなことはなく、割と普通のことだと思っていた。
オレがロックに取り憑かれた時、家にはオヤジのクラシックギターがあった。だから触らせてもらってユニコーンのスコアをそのギターでなぞったりして練習していたけど、それでも演奏するオヤジの姿や、その演奏される音楽は特別なものではないと思っていたのだ。それはきっとオヤジだからであり、ずっと家にあったものだったから刺激というものではなかったのかもしれない。
目当ての高校に入学して褒美にエレキギターを買ってもらったオレは軽音楽部に入って「ロック」というものに没頭した。そしてそれからというもの「ロック」はほぼ自分のすべての価値観になったため、オヤジの演奏や演奏してる音楽にはもうもはやまったく興味を逸してしまったのであった。
高校生くらいからオレのひねくれ具合にエッジがかかったためか、それ以降、オヤジとはほとんど口をきかなくなった。オヤジは夜遅くに帰ってくるし、部屋に籠っていれば特に無理してコミュニケーションをとる必要はなかった。大学時代はその先に迎えるであろう「ロックミュージシャンを目指すフリーター」という人生設計に対して両親が異議を唱えていたので、当然のことながら親との距離を広げてしまっていった。
実家を離れてフリーター生活をしばらく続けて、なかなか思うようにことが運ばずに(人生はなかなか大変だな)と思っていた時、オヤジが記した「私の半生記」と題された、数ページに亘る文章を読む機会を持った。その文章の内容が面白かった。いや面白いというより衝撃であった。何しろオヤジが回顧する己の大学時代や卒業後の様子(世知辛い感じ)が、自分が経過し迎えていた人生や現状と大して変わらず、また思考回路や感受性が自分のそれと酷似しているように思えたからだった。ロックやエレキにハマったのはオヤジからの影響では決してなく、オレが見つけた価値観だと思ってたが、どうもそうではなく、もともと流れていた「オヤジがギターを愛した血」というものが自分のなかにあったためではなかっただろうか。そしてオレはその頃からオヤジの演奏や、オヤジが演奏する音楽に次第に興味を抱くようになった。
その頃までまともに会話をしようとしていなかった為か、恐ろしいモノを見るような眼でオヤジを敬遠していた自分の態度はこれを機に改めねばなるまい、そう思われてしかたがなかった。その直後、母がガンになり闘病生活に入り、家族であるオヤジと姉とオレは看病生活に入り、その看病生活というのはどうしたってそれぞれが力を合わせなければならなかったため、その経緯をきっかけにオレはオヤジとの距離を少しずつ狭めていくことに成功したのであった。
母がガンで死んだ衝撃をきっかけに「東京ファミリーストーリー」を作った。その中でオレは、オヤジがクラシックよりも、ロシア民謡(バラライカで演奏する)よりも演奏するのが好きだったらしいメキシコのラテン歌謡を赤い疑惑に取り入れてみようと思った。それでオヤジと共演することも思いつき、それっぽい曲やメロディーをイメージしてみたのだ。不思議なことにそんな風なラテン歌謡的な曲やメロディーのイメージは、自分にすんなりできるようだった。実家で無意識のうちに耳に入れていたオヤジのギターのメロディーや唄は強烈にオレの脳にインプットされていたのかもしれない。
先日、トモダチがカバーしていたメキシコの曲をイメージしていたら、今度はオヤジが演奏したり聞いたりしていたロシア民謡の「カチューシャ」という曲が鮮明に思い出された、ということがあった。リズムやコード進行が酷似していたからだが、そのような連想をオレに可能にさせたということはある意味で不思議なことでもあった。早速ギターを持ってそのコード進行を探してみてメロディーを口ずさんでみると、これは赤い疑惑でやれるかもしれない、と思った。メキシコ民謡とロシア民謡の類似性を述べたいのではない。オヤジがオレに分け与えてくれた天分に対する、因縁めいた、ともすればロマンティックにもとられそうな妙な思考について述べてみただけである。
ワールドミュージックと呼ばれる音楽ばかりを聞いているが、実は昔からオレのすごく側にもワールドミュージックらしきものがあり、それはオヤジがギターやバラライカで鳴らしていたものであったようだ。「youtubeに自分の演奏がアップされているらしいから見方を教えて」と、さっき夕飯の食器を洗っているところオヤジがそんな依頼をしてきた。それでオヤジと一緒に悲しきPCの画面の、またその中に設置された悲しきウィンドウに呼び出されたオヤジのギター演奏を、静かに見つめ過ごすという、時が一瞬止まったかのようなワンシーンがあった。悲しきモニターに設置された小さなウィンドウではあったが、その映像はやはりオレにとって衝撃的にも思われ、また音楽的に素晴らしいものにも思われた。
「自分の演奏の姿をこうやって見るってえのは、なかなか勉強になるんだねー。自分の演奏の下手さが如実にわかるねー」オヤジが隣で囁いたので、オレは、オヤジの演奏から受けた心的動揺を隠しつつ「まったくその通りですね」と実感をこめて答えたのだった。
オレがロックに取り憑かれた時、家にはオヤジのクラシックギターがあった。だから触らせてもらってユニコーンのスコアをそのギターでなぞったりして練習していたけど、それでも演奏するオヤジの姿や、その演奏される音楽は特別なものではないと思っていたのだ。それはきっとオヤジだからであり、ずっと家にあったものだったから刺激というものではなかったのかもしれない。
目当ての高校に入学して褒美にエレキギターを買ってもらったオレは軽音楽部に入って「ロック」というものに没頭した。そしてそれからというもの「ロック」はほぼ自分のすべての価値観になったため、オヤジの演奏や演奏してる音楽にはもうもはやまったく興味を逸してしまったのであった。
高校生くらいからオレのひねくれ具合にエッジがかかったためか、それ以降、オヤジとはほとんど口をきかなくなった。オヤジは夜遅くに帰ってくるし、部屋に籠っていれば特に無理してコミュニケーションをとる必要はなかった。大学時代はその先に迎えるであろう「ロックミュージシャンを目指すフリーター」という人生設計に対して両親が異議を唱えていたので、当然のことながら親との距離を広げてしまっていった。
実家を離れてフリーター生活をしばらく続けて、なかなか思うようにことが運ばずに(人生はなかなか大変だな)と思っていた時、オヤジが記した「私の半生記」と題された、数ページに亘る文章を読む機会を持った。その文章の内容が面白かった。いや面白いというより衝撃であった。何しろオヤジが回顧する己の大学時代や卒業後の様子(世知辛い感じ)が、自分が経過し迎えていた人生や現状と大して変わらず、また思考回路や感受性が自分のそれと酷似しているように思えたからだった。ロックやエレキにハマったのはオヤジからの影響では決してなく、オレが見つけた価値観だと思ってたが、どうもそうではなく、もともと流れていた「オヤジがギターを愛した血」というものが自分のなかにあったためではなかっただろうか。そしてオレはその頃からオヤジの演奏や、オヤジが演奏する音楽に次第に興味を抱くようになった。
その頃までまともに会話をしようとしていなかった為か、恐ろしいモノを見るような眼でオヤジを敬遠していた自分の態度はこれを機に改めねばなるまい、そう思われてしかたがなかった。その直後、母がガンになり闘病生活に入り、家族であるオヤジと姉とオレは看病生活に入り、その看病生活というのはどうしたってそれぞれが力を合わせなければならなかったため、その経緯をきっかけにオレはオヤジとの距離を少しずつ狭めていくことに成功したのであった。
母がガンで死んだ衝撃をきっかけに「東京ファミリーストーリー」を作った。その中でオレは、オヤジがクラシックよりも、ロシア民謡(バラライカで演奏する)よりも演奏するのが好きだったらしいメキシコのラテン歌謡を赤い疑惑に取り入れてみようと思った。それでオヤジと共演することも思いつき、それっぽい曲やメロディーをイメージしてみたのだ。不思議なことにそんな風なラテン歌謡的な曲やメロディーのイメージは、自分にすんなりできるようだった。実家で無意識のうちに耳に入れていたオヤジのギターのメロディーや唄は強烈にオレの脳にインプットされていたのかもしれない。
先日、トモダチがカバーしていたメキシコの曲をイメージしていたら、今度はオヤジが演奏したり聞いたりしていたロシア民謡の「カチューシャ」という曲が鮮明に思い出された、ということがあった。リズムやコード進行が酷似していたからだが、そのような連想をオレに可能にさせたということはある意味で不思議なことでもあった。早速ギターを持ってそのコード進行を探してみてメロディーを口ずさんでみると、これは赤い疑惑でやれるかもしれない、と思った。メキシコ民謡とロシア民謡の類似性を述べたいのではない。オヤジがオレに分け与えてくれた天分に対する、因縁めいた、ともすればロマンティックにもとられそうな妙な思考について述べてみただけである。
ワールドミュージックと呼ばれる音楽ばかりを聞いているが、実は昔からオレのすごく側にもワールドミュージックらしきものがあり、それはオヤジがギターやバラライカで鳴らしていたものであったようだ。「youtubeに自分の演奏がアップされているらしいから見方を教えて」と、さっき夕飯の食器を洗っているところオヤジがそんな依頼をしてきた。それでオヤジと一緒に悲しきPCの画面の、またその中に設置された悲しきウィンドウに呼び出されたオヤジのギター演奏を、静かに見つめ過ごすという、時が一瞬止まったかのようなワンシーンがあった。悲しきモニターに設置された小さなウィンドウではあったが、その映像はやはりオレにとって衝撃的にも思われ、また音楽的に素晴らしいものにも思われた。
「自分の演奏の姿をこうやって見るってえのは、なかなか勉強になるんだねー。自分の演奏の下手さが如実にわかるねー」オヤジが隣で囁いたので、オレは、オヤジの演奏から受けた心的動揺を隠しつつ「まったくその通りですね」と実感をこめて答えたのだった。
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