2010年元旦、太陽を拝む
2010年の幕開けを象徴する初日の出は素晴らしかった。一昨年、初めて訪れてよりそこの磁場としてのパワーを感じ、昨年、そしてまたぞろ今年も、元旦の夜中に我家を抜け出し、青梅の山奥、御岳山へ日の出を参拝に赴いた。去年も一緒だったコヤマと、他にまだ御岳山未体験の輩3名を道連れに、氷点下三度の厳しい寒さの中、背筋を伸ばしての軽い登山である。
凍結寸前の山道を車でひた走り、ケーブルカーの駅の駐車場に到着。日の出時刻に合わせ準備を整え出発。昨年のこの山から眺めた、感動の日の出を思い出しているオレやコヤマの積極的な足取りにつられてか、みんな、これから眼にするであろう美しい景観を胸に描きながら、割合スイスイと頂上の御岳神社まで登った。境内からは果たして、山頂から東方を見下ろす、東京バビロンへと続く素晴らしい景観が広がっていて、すでに空は深い紺色を排し、地平線から上方へホウズキ色から青へのグラデーションを映しており、早くも胸ぐらがソワソワしてくるようだった。
しかし、神社の境内は人々でゴッタ返し、日の出を拝む方角には五重、六重ほどの人垣が視界を塞いでいる。日の出時刻ギリギリに到着した不逞のアラサー5人組にとって、もはやそこで格好の日の出スポットを見つけることは困難であった。かといってこの山のことをそんなに知っている訳でもない。山頂手前に一カ所、ここよりは人が少ない展望スポットがあったのを思い出し、そこまで戻ろうか、どうしようか、などとコヤマと相談しながらウロウロしていたら、「長尾平 ここから徒歩5分」という看板にぶつかる。長尾平?そうだ、その名前は出発前にネットでこの山のことを調べた折に記憶していた景観スポットのひとつだ。携帯を見ると日の出まであと10分くらいだ。迷ってる暇はない。みんな本能的にその看板の指す別れ道を辿った。あたかもそここそがオレ達の求めている素晴らしいスポットであると確信しているかのように。
急な階段状の崖をヨチヨチ降りていくと不思議な地形の山腹に出た。緩やかな尾根を整備した山道が前方に広がっており、10メートル程の幅で真っ直ぐ続く道の両脇は思いっ切り山肌。迷うこたあない、ここを真っ直ぐ進め、先には素晴らしい場所が待ってるぞ、といわぬばかりの雰囲気。右にも左にも、明方の控えめな光に薄く色付けされた隣山の山肌が麗しく迫っている。
長尾平、と呼ばれている場所━━恐らくこの尾根道の突端━━を目指し早足で、何度目かの林道を抜けようとしたその時、人々の歓声と共に低い鼓の音とホラ貝らしい低音の笛の音が同時にオレたちの耳に飛び込んできた。林道を抜けるとそこは180度視界の開けた、まさにその尾根の突端であり、恐らく「長尾平」であった。そして白装束というか祭装束というのか、とにかく白い衣を身にまとったおじさん方(太鼓、太鼓、ホラ貝と思われる笛、という構成の3名)が長尾平の中心からやや右に寄った位置取りで日の出を祝う演奏をしているのがわかった。その周りには20人から30人ほどの見物客が同じ東方を向いてその場にいたが、地の面積と人の数からいって、先ほど訪れた御岳神社の境内に比べれば俄然ゆとりがあり、むろんオレ達のスペースも十分用意されていた。
東方より太陽が頭のテッペンの、ほんの氷山の一角たる一部分を地平線から覗かせて、すると一瞬にして辺りの空気が一変する。何かが始まる瞬間が凝縮された尊い感覚に捕われる。太陽の頭のテッペンがもたらす非常に逞しい細い光線はオレたちの皮膚の表面を溶かして柔らかく包みこむ。ギラギラと輪郭を波打たせながら、ジワジワ光の面積を広げていく。オレは心の準備が出来ていた筈なのに、やはりこの光景に感動してしまい(おじさん方の素晴らしい演奏にもかなり打たれたためか)胸が締め付けられ涙がこみ上げてくる。地平線からその低点を切り放し、すっかり姿を露にしたお天道様とそれに照らされた、目の前に広がる御岳山からのパノラマはまさに「いよっ、ニッポン!」としか表現しようのない感じであり、オレは日本に生まれた日本人であるのだな、ということを噛みしめない訳にはいかなかった。おじさん方の演奏がその想いへの演出的役割を果たしてくれていた事実と、同時にその演出的役割にみえるおじさん方の演奏は、そもそも演出なんかではなくて、恐らくこの地で当然のように続けられてきた日本人の伝統なのではないだろうか、という推測とがオレを荘厳な気持ちにさせてくれたのではないだろうか。
太陽を拝む、ということが動物である人間にとってどれだけ価値のあることなのか、それが実感できる。それを元旦に仰々しく迎える姿━━例えば今回御岳山長尾平で日の出を仰々しく迎えた人々の姿━━というのは冷静な現代的、文明的な感覚からみたら宗教的にも映るかもしれない。だけど、宗教というよりも当然のこと。宗教みたいに言葉はいらない。言葉にならない。つうかそういうことだから、としか例えようが無い。そんな風に思える程、今回の初日の出参拝は奇跡的で、でも当り前の奇跡とでも呼びたくなるほど不思議な時間だった。そのおじさん達の演奏は10分くらい続いたろうか。鼓のビートがテンポを急激に落とし、フェイドアウトしていくように演奏が終わるとその場にいた人々の間から自然と拍手が起こり(それでオレはまた胸を熱くしてしまう)、一息つくと人々は三々五々立ち去っていく。
そこから休憩に寄った茶屋までの道のりで、オレ達は今眼にした感動の光景の感想を述べ合った訳だが、皆興奮を隠し切れず、すごかった、という表現しかできなかったが、言葉にはならなくても得たモノ(ヴァイヴ)が大き過ぎたので、皆満たされた気分であった。「いやあ、まだ夢見心地で…」と嘯くサトシの言葉も疑う余地がないほど、オレも先ほどのご来光に酔い痴れていた。
何故、初日の出という言葉があるのか。何故、登山信仰というのが日本にはあるのか。わざわざ元旦の夜中に抜け出して山を登り、初日の出を拝んでみればそのことが分かる。オレも一昨年御岳山に自主的に訪れるまで、「初日の出」というのは正月に関する言葉の、ひとつの概念でしかなかった。「初日の出」という言葉を知らない人は少ないと思うが、実際に「初日の出」を観てない人は多いかもしれない。初日の出を拝む素晴らしさを実感していない人がいっぱいいるのかもしれない。それはもったいないことではないだろうか。例えば盆踊りのように、なんとなく昔から続いている日本文化の意義を見つめ直すべきではないか。輸入の文化━━例えばそんな元旦の一週間前にむしろ盛大に行なわれているクリスマス信仰などに代表されるような━━に押されがちな日本の伝統達は、ちゃんと味わえば絶対に輸入文化より身体に染みるはず。パスタとかフランス料理とかいくら「隣の芝は青く」見えたとしても、やっぱそういう料理って飽きるよな。豆腐とか煮物とかひじきとかみそ汁、結局そういう料理がベストだと思ってしまう日本人の感覚と同じようなもので。蛇足で付け加えると、結婚式なんかもね。その内あのオレの苦手な「チャペルでハッピーウェディング」というのが飽きられてみんな神前式になるんじゃないかね。
ノーフューチャーを標榜しても御岳山の初日の出にはかなわなかった。2010年、引き締めて迎える覚悟を新たにし、今年一年も全力で質素に生きようと思う。素晴らしい一年の幕開けを与えてくれた御岳山に感謝を込めて。
凍結寸前の山道を車でひた走り、ケーブルカーの駅の駐車場に到着。日の出時刻に合わせ準備を整え出発。昨年のこの山から眺めた、感動の日の出を思い出しているオレやコヤマの積極的な足取りにつられてか、みんな、これから眼にするであろう美しい景観を胸に描きながら、割合スイスイと頂上の御岳神社まで登った。境内からは果たして、山頂から東方を見下ろす、東京バビロンへと続く素晴らしい景観が広がっていて、すでに空は深い紺色を排し、地平線から上方へホウズキ色から青へのグラデーションを映しており、早くも胸ぐらがソワソワしてくるようだった。
しかし、神社の境内は人々でゴッタ返し、日の出を拝む方角には五重、六重ほどの人垣が視界を塞いでいる。日の出時刻ギリギリに到着した不逞のアラサー5人組にとって、もはやそこで格好の日の出スポットを見つけることは困難であった。かといってこの山のことをそんなに知っている訳でもない。山頂手前に一カ所、ここよりは人が少ない展望スポットがあったのを思い出し、そこまで戻ろうか、どうしようか、などとコヤマと相談しながらウロウロしていたら、「長尾平 ここから徒歩5分」という看板にぶつかる。長尾平?そうだ、その名前は出発前にネットでこの山のことを調べた折に記憶していた景観スポットのひとつだ。携帯を見ると日の出まであと10分くらいだ。迷ってる暇はない。みんな本能的にその看板の指す別れ道を辿った。あたかもそここそがオレ達の求めている素晴らしいスポットであると確信しているかのように。
急な階段状の崖をヨチヨチ降りていくと不思議な地形の山腹に出た。緩やかな尾根を整備した山道が前方に広がっており、10メートル程の幅で真っ直ぐ続く道の両脇は思いっ切り山肌。迷うこたあない、ここを真っ直ぐ進め、先には素晴らしい場所が待ってるぞ、といわぬばかりの雰囲気。右にも左にも、明方の控えめな光に薄く色付けされた隣山の山肌が麗しく迫っている。
長尾平、と呼ばれている場所━━恐らくこの尾根道の突端━━を目指し早足で、何度目かの林道を抜けようとしたその時、人々の歓声と共に低い鼓の音とホラ貝らしい低音の笛の音が同時にオレたちの耳に飛び込んできた。林道を抜けるとそこは180度視界の開けた、まさにその尾根の突端であり、恐らく「長尾平」であった。そして白装束というか祭装束というのか、とにかく白い衣を身にまとったおじさん方(太鼓、太鼓、ホラ貝と思われる笛、という構成の3名)が長尾平の中心からやや右に寄った位置取りで日の出を祝う演奏をしているのがわかった。その周りには20人から30人ほどの見物客が同じ東方を向いてその場にいたが、地の面積と人の数からいって、先ほど訪れた御岳神社の境内に比べれば俄然ゆとりがあり、むろんオレ達のスペースも十分用意されていた。
東方より太陽が頭のテッペンの、ほんの氷山の一角たる一部分を地平線から覗かせて、すると一瞬にして辺りの空気が一変する。何かが始まる瞬間が凝縮された尊い感覚に捕われる。太陽の頭のテッペンがもたらす非常に逞しい細い光線はオレたちの皮膚の表面を溶かして柔らかく包みこむ。ギラギラと輪郭を波打たせながら、ジワジワ光の面積を広げていく。オレは心の準備が出来ていた筈なのに、やはりこの光景に感動してしまい(おじさん方の素晴らしい演奏にもかなり打たれたためか)胸が締め付けられ涙がこみ上げてくる。地平線からその低点を切り放し、すっかり姿を露にしたお天道様とそれに照らされた、目の前に広がる御岳山からのパノラマはまさに「いよっ、ニッポン!」としか表現しようのない感じであり、オレは日本に生まれた日本人であるのだな、ということを噛みしめない訳にはいかなかった。おじさん方の演奏がその想いへの演出的役割を果たしてくれていた事実と、同時にその演出的役割にみえるおじさん方の演奏は、そもそも演出なんかではなくて、恐らくこの地で当然のように続けられてきた日本人の伝統なのではないだろうか、という推測とがオレを荘厳な気持ちにさせてくれたのではないだろうか。
太陽を拝む、ということが動物である人間にとってどれだけ価値のあることなのか、それが実感できる。それを元旦に仰々しく迎える姿━━例えば今回御岳山長尾平で日の出を仰々しく迎えた人々の姿━━というのは冷静な現代的、文明的な感覚からみたら宗教的にも映るかもしれない。だけど、宗教というよりも当然のこと。宗教みたいに言葉はいらない。言葉にならない。つうかそういうことだから、としか例えようが無い。そんな風に思える程、今回の初日の出参拝は奇跡的で、でも当り前の奇跡とでも呼びたくなるほど不思議な時間だった。そのおじさん達の演奏は10分くらい続いたろうか。鼓のビートがテンポを急激に落とし、フェイドアウトしていくように演奏が終わるとその場にいた人々の間から自然と拍手が起こり(それでオレはまた胸を熱くしてしまう)、一息つくと人々は三々五々立ち去っていく。
そこから休憩に寄った茶屋までの道のりで、オレ達は今眼にした感動の光景の感想を述べ合った訳だが、皆興奮を隠し切れず、すごかった、という表現しかできなかったが、言葉にはならなくても得たモノ(ヴァイヴ)が大き過ぎたので、皆満たされた気分であった。「いやあ、まだ夢見心地で…」と嘯くサトシの言葉も疑う余地がないほど、オレも先ほどのご来光に酔い痴れていた。
何故、初日の出という言葉があるのか。何故、登山信仰というのが日本にはあるのか。わざわざ元旦の夜中に抜け出して山を登り、初日の出を拝んでみればそのことが分かる。オレも一昨年御岳山に自主的に訪れるまで、「初日の出」というのは正月に関する言葉の、ひとつの概念でしかなかった。「初日の出」という言葉を知らない人は少ないと思うが、実際に「初日の出」を観てない人は多いかもしれない。初日の出を拝む素晴らしさを実感していない人がいっぱいいるのかもしれない。それはもったいないことではないだろうか。例えば盆踊りのように、なんとなく昔から続いている日本文化の意義を見つめ直すべきではないか。輸入の文化━━例えばそんな元旦の一週間前にむしろ盛大に行なわれているクリスマス信仰などに代表されるような━━に押されがちな日本の伝統達は、ちゃんと味わえば絶対に輸入文化より身体に染みるはず。パスタとかフランス料理とかいくら「隣の芝は青く」見えたとしても、やっぱそういう料理って飽きるよな。豆腐とか煮物とかひじきとかみそ汁、結局そういう料理がベストだと思ってしまう日本人の感覚と同じようなもので。蛇足で付け加えると、結婚式なんかもね。その内あのオレの苦手な「チャペルでハッピーウェディング」というのが飽きられてみんな神前式になるんじゃないかね。
ノーフューチャーを標榜しても御岳山の初日の出にはかなわなかった。2010年、引き締めて迎える覚悟を新たにし、今年一年も全力で質素に生きようと思う。素晴らしい一年の幕開けを与えてくれた御岳山に感謝を込めて。
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