右も左も分からずに
青梅街道を、エレキギターとエフェクターを積んだオヤジの車で走行しながらオレは何となく、久しぶりに聞くセクバ・バンビーノ・ジャバテの曲のをカーステレオで聞きながら、(ひさびさだけど、やっぱりいいなこのCDは)と思いながら(だけど、オレはこの音楽のどこが好きなんだろう)という経過を辿り、(ところでこの音楽はレベルミュージックだろうか)という妄想へと誘われた。
レベルミュージックという言葉にオレはいささか過激なニュアンスを感じており、しかしながら同時に多分に憧憬的ニュアンスも含んでいるようでもあり、どう解釈していいのかいまだによくわからない。
いまだによくわからないからオレは今日もそのアフリカの曲を聞いているうちに、勝手にそんなことを考えてしまっているのであった。カーステレオから流れる曲のリズムに耳を傾けた。そういえば、とオレは思い出した。
赤い疑惑の練習で家を出る前にオレは先日録画しておいた高田渡のNHK特番を観ていたのだ。その番組を観るまで「高田渡はレベルミュージシャンなのか、はたまた単純に日本語の粋を心得た器用なただのミュージシャンなのか」その部分が分からなかった。だけどその番組を観て、やっぱりこの人はレベルミュージシャンだったんだ、ということがはっきりと分かってオレは興奮を抑え切れなかった。そして高田渡は「民衆の唄」を歌ったと番組はナビゲートするのだが、「民衆の唄」というのはつまりオレがここ数年、最も希求している音楽だったはずであり、その番組を観たことはオレをして啓示的であった。
ところでその番組を観終わった後に何となく長尾家のテレビチューナーのハードディスクに録り溜められたオヤジの映画コレクションに目を通すと、チェ・ゲバラに関する番組やら映画やらが3つも並んでいて、ふ~ん、と思った。ただ、すぐに家を出発しなきゃという時間でもあったので、ふ~ん、だけで済ませたのかもしれない。
そのことを青梅街道を運転中に何となく思い出したのだが、よく考えてみれば、オヤジはチェ・ゲバラというアイコンが好きなのだろう。それはオレにとっては意外なことでもあり、もっともなことだとも思えるのだ。
姉貴のハナシによるとどうやらオヤジはケーブルテレビの映画チャンネルの気になる映画をとにかく片っ端から録り溜めて結局ほとんど観てないらしく、だから、オヤジがチェ・ゲバラの番組なり映画なりを実際に見るのかは分からないのである。オヤジにとってチェ・ゲバラの存在はきっとその程度なのかもしれない。
それにしてもなんとなくでもチェ・ゲバラに敬意を持っているだろうオヤジの、オレはムスコなのだよな、と改めて思ってみたら妙な気分になったのだ。「レベルミュージック」とか「民衆の唄」とか考えてるオレは完全にオヤジの血がそうさせているのじゃないのか、と無駄に胸がアツくなってくるのだ。オヤジがチェ・ゲバラをどこまで好きかなんてことはここでは問題ではないのだ。
オヤジの実家は宮本常一(この人もオレにレベルな衝撃を与えた偉人だが)氏と同郷の山口県周防大島というところだ。オヤジの家は代々が神社で、つまり神主の一家なので、本来ならオヤジは神主として家業を継ぐ段取りであったが、ちょっとした運命のいたずらで神主はオヤジと十歳離れた弟が継ぐことになり、オヤジは東京で教師とギタリストをやって家庭を持つことになったのだ。
難しいことにはうかつに言及できないが神道というのは右なのである。しかしながら教師という職は左な人種もかなり多く、そしてオヤジは生き様的に見て、どう考えても左なので、その右左のことが気になってしょうがなくなった。そんなことが気になり出したのは最近のことだけど、あまりに気になっていたのでいつか酒の席の時に機をみつけて問いただしてみた。
「オヤジは右なの左なの」
「バカ野郎、左に決まってるダロウ」
オヤジは豪快に笑ってそう言ったので、そうだよね、聞くまでもないね、とオレも豪快に笑ったのだ。それでもオヤジは自分が神社のムスコでありその右左の問題は自分の中での矛盾でもあるということを幾分気にしてるようでもあった。
そんなことを思い出したりしながら西荻の駐車場に着くと沓沢ブレーキーの車と顔を合わせた。オレたちは実家車満喫連合会の一員なのだ。ブレーキーと口数少なめにスタジオに向かう。冬の空気は綺麗で引き締まっている。
遅刻して現れたクラッチと3人でセッションを開始する。もう何年も同じことをやっている。今ではオレにとってこの作業は何の疑問もない不思議な習慣であり、クラッチにしてもブレーキーにしてもそれは同じかもしれない。そしていつでも革命を信じている。恥ずかしくて人には言えないけど、オレはいつもそういうイメージでバンドをやっているらしい。ロックというものがそうなのかもしれない。革命が起こらなくても何かを信じて音を鳴らすのであって、それは言葉にならないがクラッチにもブレーキーにも伝染しているようにも思われる。
オレは帰宅後に早速オヤジが録ったチェ・ゲバラの番組を鑑賞した。オレは恥ずかしながらチェ・ゲバラについて「知る機会」を、なんやかんや逸していたので、新しく知ることが多く、素直に面白かった。
今日は何だかよくわからないけど、そんなことばっかりを考えさせられる日だった。オレがバンドをやる理由は一体何なのか。赤い疑惑のバンドとしてのアティチュードはどうあるべきなのか。結局右も左も分からずに転がってばかりいるのだが。
レベルミュージックという言葉にオレはいささか過激なニュアンスを感じており、しかしながら同時に多分に憧憬的ニュアンスも含んでいるようでもあり、どう解釈していいのかいまだによくわからない。
いまだによくわからないからオレは今日もそのアフリカの曲を聞いているうちに、勝手にそんなことを考えてしまっているのであった。カーステレオから流れる曲のリズムに耳を傾けた。そういえば、とオレは思い出した。
赤い疑惑の練習で家を出る前にオレは先日録画しておいた高田渡のNHK特番を観ていたのだ。その番組を観るまで「高田渡はレベルミュージシャンなのか、はたまた単純に日本語の粋を心得た器用なただのミュージシャンなのか」その部分が分からなかった。だけどその番組を観て、やっぱりこの人はレベルミュージシャンだったんだ、ということがはっきりと分かってオレは興奮を抑え切れなかった。そして高田渡は「民衆の唄」を歌ったと番組はナビゲートするのだが、「民衆の唄」というのはつまりオレがここ数年、最も希求している音楽だったはずであり、その番組を観たことはオレをして啓示的であった。
ところでその番組を観終わった後に何となく長尾家のテレビチューナーのハードディスクに録り溜められたオヤジの映画コレクションに目を通すと、チェ・ゲバラに関する番組やら映画やらが3つも並んでいて、ふ~ん、と思った。ただ、すぐに家を出発しなきゃという時間でもあったので、ふ~ん、だけで済ませたのかもしれない。
そのことを青梅街道を運転中に何となく思い出したのだが、よく考えてみれば、オヤジはチェ・ゲバラというアイコンが好きなのだろう。それはオレにとっては意外なことでもあり、もっともなことだとも思えるのだ。
姉貴のハナシによるとどうやらオヤジはケーブルテレビの映画チャンネルの気になる映画をとにかく片っ端から録り溜めて結局ほとんど観てないらしく、だから、オヤジがチェ・ゲバラの番組なり映画なりを実際に見るのかは分からないのである。オヤジにとってチェ・ゲバラの存在はきっとその程度なのかもしれない。
それにしてもなんとなくでもチェ・ゲバラに敬意を持っているだろうオヤジの、オレはムスコなのだよな、と改めて思ってみたら妙な気分になったのだ。「レベルミュージック」とか「民衆の唄」とか考えてるオレは完全にオヤジの血がそうさせているのじゃないのか、と無駄に胸がアツくなってくるのだ。オヤジがチェ・ゲバラをどこまで好きかなんてことはここでは問題ではないのだ。
オヤジの実家は宮本常一(この人もオレにレベルな衝撃を与えた偉人だが)氏と同郷の山口県周防大島というところだ。オヤジの家は代々が神社で、つまり神主の一家なので、本来ならオヤジは神主として家業を継ぐ段取りであったが、ちょっとした運命のいたずらで神主はオヤジと十歳離れた弟が継ぐことになり、オヤジは東京で教師とギタリストをやって家庭を持つことになったのだ。
難しいことにはうかつに言及できないが神道というのは右なのである。しかしながら教師という職は左な人種もかなり多く、そしてオヤジは生き様的に見て、どう考えても左なので、その右左のことが気になってしょうがなくなった。そんなことが気になり出したのは最近のことだけど、あまりに気になっていたのでいつか酒の席の時に機をみつけて問いただしてみた。
「オヤジは右なの左なの」
「バカ野郎、左に決まってるダロウ」
オヤジは豪快に笑ってそう言ったので、そうだよね、聞くまでもないね、とオレも豪快に笑ったのだ。それでもオヤジは自分が神社のムスコでありその右左の問題は自分の中での矛盾でもあるということを幾分気にしてるようでもあった。
そんなことを思い出したりしながら西荻の駐車場に着くと沓沢ブレーキーの車と顔を合わせた。オレたちは実家車満喫連合会の一員なのだ。ブレーキーと口数少なめにスタジオに向かう。冬の空気は綺麗で引き締まっている。
遅刻して現れたクラッチと3人でセッションを開始する。もう何年も同じことをやっている。今ではオレにとってこの作業は何の疑問もない不思議な習慣であり、クラッチにしてもブレーキーにしてもそれは同じかもしれない。そしていつでも革命を信じている。恥ずかしくて人には言えないけど、オレはいつもそういうイメージでバンドをやっているらしい。ロックというものがそうなのかもしれない。革命が起こらなくても何かを信じて音を鳴らすのであって、それは言葉にならないがクラッチにもブレーキーにも伝染しているようにも思われる。
オレは帰宅後に早速オヤジが録ったチェ・ゲバラの番組を鑑賞した。オレは恥ずかしながらチェ・ゲバラについて「知る機会」を、なんやかんや逸していたので、新しく知ることが多く、素直に面白かった。
今日は何だかよくわからないけど、そんなことばっかりを考えさせられる日だった。オレがバンドをやる理由は一体何なのか。赤い疑惑のバンドとしてのアティチュードはどうあるべきなのか。結局右も左も分からずに転がってばかりいるのだが。
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