ノリ君
御柱祭を観に行くことになった。それは松田クラッチが持ちかけた提案だった。初めは、二つ返事でOKするほどの魅力は感じなかったし、仙台ツアー、名古屋ツアーと土日は潰れがちだったしで躊躇したのだが、長野に行ける、ということと、オーガのメンバーに会える、ということを考えると断る訳にはいかない気がして行くことにした。後日、沓沢ブレーキーも一緒に行くことになった。何と、仲のいいバンドなんだろう、と思わずにはいられない。
オーガというのはオーガユーアスホールというバンドのことで、彼等は今メジャーで活動している期待の星なのである。期待の星と形容したくらいだからまだ年齢も若い、オレ達より確か5歳くらい下なのだ。しかしメジャーで活動しているくらいだから赤い疑惑の10倍以上有名で、話していて驚いたことにミクシのコミュニティの参加者は一万人を越えるのだそうだ。さらに驚いたのはメンバーそれぞれのコミュニティまであるというのだ。で、そんなことに驚いていたらクラッチが「でもブレーキーのコミュニティもあるけどね」とちゃちゃを入れるのだった。でも、そう言われてみれば確かに以前、大阪に刹那的に熱狂的な赤い疑惑ファンがいて、そのファンに、何の冗談か知らないが、ブレーキーはコミュニティを作られてしまったのだった。しかもあまりにもマニアックなコミュニティだったのでほとんど誰にも気付かれなかった。
ブレーキーの話で脱線しちまった。オーガに話を戻そう。
オーガとは昔京都で対バンする機会があって、どういう訳だかメンバー同士仲良くなっちゃって、それから度々一緒に遊ぶ仲になっていて、特にクラッチとオーガのマブチが急速に絆を深めたようだ。クラッチは単独で長野に、オーガと遊ぶ、という感じで出かけることがあった。釣りなんかに行くようであった。
ところでこのオーガでベースを弾くノリ君。彼は今回オレとブレーキーの御柱初日(発起人のクラッチは訳あって初日は不在だった)を完璧にエスコートしてくれた。つまり世話をしてくれた訳だ。翌日もオレたちが東京に帰る最後の最後まで一緒に居てくれて、しかも、自然に終始楽しそうにオレたちと時間を過ごしてくれた。ノリ君は空気のような軽さでフワッと寄り添うような感じで横に居てくれる。頼りない訳でもなく、主張がある訳でもなく、恐ろしいほどに嫌味がないのだ。ノリ君と話している時、オレは何故か小学生の頃のトモダチ同士のコミュニケーションの雰囲気を思い出すのだった。言葉ではうまく説明できないけど、とても貴重な感覚だった。
ノリ君はオレとブレーキーを、彼の実家に案内してくれた。長野県原村の立派な農家のお宅だった。ノリ君の家にオレたちの車が着いた時、辺りはもう日が暮れていて街灯のほとんどない田舎道は真っ暗だった。車から降りて空を見上げると驚くばかりの星空が広がっている。ノリ君はおじいさんご自慢の庭を見せてくれた後、横に長く延びた日本家屋の左端の玄関入口からオレ達を招じ入れ、そしてすぐ土間に隣接している居間の扉を無造作に開けて、食後のまったりをやっているノリ君のご両親にオレたちを紹介してくれた。このタイミングではちょっと、と思われる程ご両親は夕飯を終えた膳を前にまったりな感じだったのだが、特に驚くこともなく対応してくれたノリ君のお父さん、お母さんが、あまりにもノリ君の雰囲気そのままの素朴な方々だったので、オレはしみじみ感じ入る他なかった。そしてその後案内してくれたノリ君の部屋が、ノリ君の雰囲気そのままの素朴なレイアウトだったことはもう言うまでもないことなのだ。
オーガというのはオーガユーアスホールというバンドのことで、彼等は今メジャーで活動している期待の星なのである。期待の星と形容したくらいだからまだ年齢も若い、オレ達より確か5歳くらい下なのだ。しかしメジャーで活動しているくらいだから赤い疑惑の10倍以上有名で、話していて驚いたことにミクシのコミュニティの参加者は一万人を越えるのだそうだ。さらに驚いたのはメンバーそれぞれのコミュニティまであるというのだ。で、そんなことに驚いていたらクラッチが「でもブレーキーのコミュニティもあるけどね」とちゃちゃを入れるのだった。でも、そう言われてみれば確かに以前、大阪に刹那的に熱狂的な赤い疑惑ファンがいて、そのファンに、何の冗談か知らないが、ブレーキーはコミュニティを作られてしまったのだった。しかもあまりにもマニアックなコミュニティだったのでほとんど誰にも気付かれなかった。
ブレーキーの話で脱線しちまった。オーガに話を戻そう。
オーガとは昔京都で対バンする機会があって、どういう訳だかメンバー同士仲良くなっちゃって、それから度々一緒に遊ぶ仲になっていて、特にクラッチとオーガのマブチが急速に絆を深めたようだ。クラッチは単独で長野に、オーガと遊ぶ、という感じで出かけることがあった。釣りなんかに行くようであった。
ところでこのオーガでベースを弾くノリ君。彼は今回オレとブレーキーの御柱初日(発起人のクラッチは訳あって初日は不在だった)を完璧にエスコートしてくれた。つまり世話をしてくれた訳だ。翌日もオレたちが東京に帰る最後の最後まで一緒に居てくれて、しかも、自然に終始楽しそうにオレたちと時間を過ごしてくれた。ノリ君は空気のような軽さでフワッと寄り添うような感じで横に居てくれる。頼りない訳でもなく、主張がある訳でもなく、恐ろしいほどに嫌味がないのだ。ノリ君と話している時、オレは何故か小学生の頃のトモダチ同士のコミュニケーションの雰囲気を思い出すのだった。言葉ではうまく説明できないけど、とても貴重な感覚だった。
ノリ君はオレとブレーキーを、彼の実家に案内してくれた。長野県原村の立派な農家のお宅だった。ノリ君の家にオレたちの車が着いた時、辺りはもう日が暮れていて街灯のほとんどない田舎道は真っ暗だった。車から降りて空を見上げると驚くばかりの星空が広がっている。ノリ君はおじいさんご自慢の庭を見せてくれた後、横に長く延びた日本家屋の左端の玄関入口からオレ達を招じ入れ、そしてすぐ土間に隣接している居間の扉を無造作に開けて、食後のまったりをやっているノリ君のご両親にオレたちを紹介してくれた。このタイミングではちょっと、と思われる程ご両親は夕飯を終えた膳を前にまったりな感じだったのだが、特に驚くこともなく対応してくれたノリ君のお父さん、お母さんが、あまりにもノリ君の雰囲気そのままの素朴な方々だったので、オレはしみじみ感じ入る他なかった。そしてその後案内してくれたノリ君の部屋が、ノリ君の雰囲気そのままの素朴なレイアウトだったことはもう言うまでもないことなのだ。
スポンサーサイト